〈散文詩〉
      有機米
            高橋 勝


 十月末の夕暮れどき、刈り取られた稲田のなかを散歩している。稲株のなかから二番手の穂が背丈短く育って実を付けている。今日の昼前、有機米の通販サイトを検索していたときのこと、どこかのお店で出していたうたい文句が思い浮かぶ。

―― ○○県、△△さんの玄米「無肥料自然栽培コシヒカリ」が入荷しました!! ●農薬:もちろん使っていません! ●堆肥:使っていません! 動物の糞やし尿などの堆肥も使っていません! ●苗:農薬使っていません! ●田んぼの水:汚れの無い綺麗な川の水を使用(回流の水は使っていません!)

 有機栽培で育てたお米は安全なうえ、おいしいと言われる。確かに炊いた有機玄米には独特の甘みがある。おかずなしでもいただけるくらいだ。でもなぜなのだといつも思っていた。

 旨味の凝縮された種子に育つには、稲の内部で精力的な働きがあるに違いない。過剰な栄養を強いて注入されることがないから、土と水から養分を採りいれざるを得ないのだ、山から流れくる川の水を幸いに。除草剤でしっかりと守られていないから、害虫を跳ね返すだけの耐久性や強靱性を身につけざるを得ないのだ、太陽の慈愛を受けながら。
 人間が育つ有り様とどこか似てはいないか。一代で立身出世した父の子の不祥事がメディアでよく取りあげられたり、母親の盲目の愛情で育った子どもがなかなか自立できずにいたりするのを目にしたり小耳に挟んだりする。だが子にとってみれば、親に反抗心や嫌悪感を抱きながらも、身に染みて育った性格は不本意にも変えられない。自分を知れば知るほど、果てしもない悪循環に陥っていくだけなのだ。

 人生の晩年になって、父も母も世を去り、もらったものもほぼ使い果たし、社会の隅で細々と生きて行かざるを得なくなって、始めて親と子との根源に触れる機会が持てたとする。そうしてこの秘密の関係に、合点のいく解答が得られたなら、憎しみに呪縛されていた自分を乗り越えられ、新鮮な空気を胸一杯吸い込むことができるだろう。その時、そう青春の真っ直中に立っているのだ、新たな現実に立ち向かっていけるのだ、これまでの自分の時間はそのための道のりだったのだ、と実感できるなら、一回限りの人生も救われるのではないか。

 強火の土鍋で炊く玄米は、十五分もすれば昔の蒸気機関車の煙突や車体の下部から吐き出される水蒸気のように、上蓋を吹き飛ばさんばかりに吹き出し始める。彼もまた、今にして有機米のように生き始められるのだ……

 頭を上げると、西の山ぎわに、沈みゆく太陽が覗いている。