心用意
              中井和子

 徹子はスーパーで買い求めた食材のビニール袋を提げて店を出た。
 外はすっかり暮れなずんでいて、徹子は驚いた。一瞬足を止めて辺りを眺めてため息を吐いた。店に入ったときは、まだ日もあったのに、(秋の日のつるべ落としか……)徹子はひとり呟つぶやいて、やはり、車で来るべきであった、と後悔した。時計を見ると五時少し前だ。 
 徹子は夫、雄一と二人暮らしである。
 雄一の家は由緒ある旧家で、雄一は周囲からの信望も厚く、町内の顔役として何かといえば引っ張り出されていた。
 その雄一も八十歳半ばになり、体力が衰えてきて、病院通いも繁(しげ)くなってきた。その通院や、地域での会合への送迎も、徹子がワーゲンを運転して雄一に付き合っている。
 このご時世、健康のために歩け、歩けの風潮で、徹子も、最近は足腰が衰えてきたことを痛感している。もっと散歩の時間が欲しいと願う。しかし、老老介護寸前の生活で、精神的にも余裕がなくなっている。それならば買い物ぐらい歩いてみようと、出かけてきたのであった。
 市街地から離れた人気のない住宅地の薄暗い道は、喜寿を過ぎた徹子には心もとない。夕闇に浮かぶ侘(わび)しげな街灯の光を頼りに、自分の影が長くなったり、縮んだりするのを面白がりながら、ひたすら足元に気をつけて歩いた。
 最近、同年の知人たちが、小石につまずいて転んだとか、家の中でも転倒して骨折したなどという話をよく耳にする。老人の骨折は死に繋がる、というから恐ろしい。
 徹子は買い求めてきた惣(そう)菜の入ったビニール袋を持ち替えて、明日から師走に入ることを思い立ち、大きなため息をついた。
 数年前までは、十二月というと、新しい年を迎える準備に気持ちが引き締まり、日程表を作って大掃除や、歳暮、おせち料理の買い物などをメモして、甲斐甲斐しく体を動かしていた。しかし、年齢と共に体力が落ちてきた徹子は、同時に気力も失せてしまい、最近では必要に迫られてから、そのときどきに動けばいいなどと、開き直っているくらいだ。

 スーパーを出て二十数分ほどで家に到着した。
 徹子は玄関のドアに手を掛けると、なにかに引かれるように、道向こうの高台の住宅地へ視線が向いた。そして、見知った高台の中ほどの家に、電灯が点(つ)いているのが見えた。徹子はちょっとの間、その灯をみつめていた。
 その住宅の家主、木村孝子は、半年前から、東京へ嫁いでいる娘の家に身を寄せていて、その家は現在留守宅になっている。
(娘さんか、息子さんでも見えているのかしら?)
 徹子は呟きながら家の中に入った。
 徹子は首に巻いたブルーのマフラーを外(はず)しながら、台所へ直行し、台の上に食料品を置いた。そして、着替えをするのに寝室へ向う途中、廊下から書斎をのぞいた。夫の雄一が安楽いすに深深と身を預け、鼻眼鏡で本を読んでいた。
「ただいま……」
「お帰り」
 雄一は眼鏡の上から、ちらと、徹子に目をやり、またすぐ本に視線をもどした。
 その雄一へ徹子はたたみかけるように言った。
「あのね、おとうさん。木村先生の家に電気が点(つ)いているんですよ……」
「ふーん。ようすを見に帰られたのだろう」
 雄一は本から目を離さずに、興味がなさそうに言った。
 最近の雄一は、町の寄り合いでもないかぎり、このように日がな一日書斎に閉じこもりきりだ。足が弱ってしまうからと、徹子は心配するのだが、雄一は馬耳東風だ。
 
 徹子は、二人だけの夕餉(げ)の支度にとりかかった。今夜は刺し身に、作りおきの野菜の揚げ浸し、それにホウレン草のお浸しに浅漬。体が温まるように豚汁も作る。老人食はかんたんである。
 野菜を刻みながら、徹子の頭の中は先ほどの高台の家の主、木村先生に占領されていた。先生は、来年は八十五歳になられるはずだと、徹子は先生の年齢を数えてみる。
 先生は、小学校の校長を勤め、長年教育に携わってきた、識見に富んだ女性で、徹子は尊敬していた。その木村孝子先生に、市の婦人会や会合のときに講演を依頼したことがあり、それが縁で個人的にも付き合うようになった。
 ところが、先生が半年前に膝を痛め、母親の一人暮らしを心配した娘の響子が、東京へ呼び寄せたのだ。
 徹子は木村家の点灯を確認してから二,三日経て、先生宅を訪ねることにした。

 その日は晴れ渡り、青く澄んだ冬空に、遠くの雪でまっ白になった奥羽山脈が眩(まぶ)しく映えて見えた。徹子は、そろそろ里にも雪が舞うことであろうと思いながら、午前十時過ぎに、道向こうの住宅地へ向かった。辺りの空気は凛(りん)として冷たく、徹子の頬(ほお)を刺す。徹子は思わず身を縮めコートをかき合わせる。徹子の白い顔の鼻先がたちまち冷えて、赤くなる。
 高台の住宅地から後ろを振り返ると、下方の街並みの屋根がまるで肩を寄せ合っているかのように見えた。
 徹子は、久々に先生の家のドアの前に立ち、ちょっぴり緊張する。窓のカーテンが開いているので誰かはいるようだ。どなたが顔を出されるのかと、徹子は不安に駆られながら、ベルを押した。すると、当の先生がドアを開け、顔を見せたので徹子は仰天した。
「あらっ、先生!」
 徹子は半ば叫ぶように言うと、先生も目を大きくして驚いている。
「あら、あら、いらっしゃい! よくおわかりになったわね。さ、お上がりになって……」
 先生は嬉しそうに、そそくさと徹子を招じ入れた。
 徹子は、先生の髪がだいぶ白くなられて、またそのお顔に藤色のセーターがよく似合いだ、と思いながら、少し小さくなった先生の背へ声をかけた。
「夜、明かりが見えましたので、どなたかお見えなのかと、先生のごようすを伺いたくて来てみました。まさか先生にお会いできるとは思いませんでした」
「そう、ありがとう……。さ、お掛けになって」
 通された部屋は、以前は畳の茶の間であった。いまはじゅうたんが敷かれ、テーブル、いすの洋間へと模様替えされていた。
「さ、どうぞ、どうぞ」
 と、先生はいすを勧めた。そして、遠慮勝ちに部屋を眺め回している徹子に、
「膝を痛めましたときにね、お医者さんから生活様式を変えなさい、と言われましてね、すぐ模様替えしたんですよ。落ち着きませんか?」
「いえ、いえ。ほっとするお部屋ですね……。それで、お膝の具合はいかがですか?」
 徹子は、余計なお世話であることを意識しながら、
「でも、これからお正月もきますし、お寒いうちは、東京の方がよろしかったのではないですか?」
 と、言って、首を傾げた。
「あなた、そのお正月がくるので、私、帰ってきましたのよ。娘の家だからといっても、娘の連れ合いに、そりゃ気を遣いますのよ。その婿さんのご両親は、私より年長で静岡でお暮らしなの。彼だって口には出さないけれど、ご両親のことが気になっていると思いますよ」
 先生は、自分のことばに独り頷きながら、徹子の茶碗にお茶を注いだ。そして、塗りの菓子皿に最中を載せて徹子に勧めると、
「婿さんは、余計なことは何も言わない、人間的にも立派な男性ですよ。それだけに、私は気兼ねをしましてねえ……」
 と、言って、窓の外へ目をやった。
 徹子は頷きながら、先生の視線の先を追いかけた。前庭のワビスケが白い、可憐(れん)な花をつけているのが窓から見えた。庭の奥の向こう隅には、ナンテンの木が真っ赤な実を重そうにつけて、木の枝をしならせている。
「やはり、肌で、目で自然を感じられることはすばらしいことですね」
 先生は頬笑むと、話を元にもどした。
「私の膝の痛みも薄らいで、なんとか動けるようになったので、娘の気持ちはありがたいけれど、生きているうちは、ここで私らしく生きたい、そして私らしく死にたい、と強く思うようになりましたの。私も、少し大人(おとな)になったかしら?」
 と、徹子の顔をのぞき、いたずらっぽく笑った。
 徹子は真面目に大きくうなずいた。
 先生は、また話を続けた。
「それで帰ってきて、さっそく地域包括センターに電話をして相談しましたら、ケアマネージャーの方がすぐ来てくれましてね、お掃除や買い物をしてくれるという生活支援を受けることになりましましたの。ありがたいですね。いよいよ動けなくなったときは、施設に入れていただければいい、と思っています。人間、生まれてくるときも独り、死んでいくときも独り、と言うじゃありませんか」
 先生はすっかり心を決めたせいか、表情が明るく柔らかで、お顔が美しい。徹子は、雄一との生活に振り回されていて、まだ、これから自分がどのように生き、どのように終わるかなど、考えもしないし、また、考えることさえできないでいた。人間は弱い。つい、周囲に甘えてしまいたくなるのだ。
 以前に先生は、教え子の男性から聞いていた話を思い出した、と言って話された。
 その男性は、七十四才の父親と同居していた。父親は事故で坐(ざ)骨、大腿(たい)部を骨折した。医師から、もう、歩くことはできない、と宣告を受けた。絶望した父親は、その日から食を絶ち、三か月後に息絶えたそうである。
 その決意の断食の間の壮絶とも、地獄ともいえる父親の日日のようすを家族たちは見守り続けた。父親が成仏するまで、家族たちも、また、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の日々に堪えたのであろうと、徹子は容易に想像がついた。
 それは、父親への愛情と尊敬の念があったからこそ、堪えられたのではないかと、徹子は思った。
 先生は、徹子の茶碗にお茶を注ぎながら、
「凄(すご)い人生の幕引きですよ、ね」
 と、言った。 
 徹子は、無言のまま大きく頷いた。

 十一時を過ぎて、慌てて徹子は先生宅を辞した。表に出ると、また、奥羽山脈からの吹き降ろしの、身を切るような冷たい風に晒(さら)された。徹子は道を急ぎながら、人はそれぞれの人生哲学を持って生きて、そして老いて、死と向き合うのだ、と考えさせられていた。死亡率は百パーセントなのだ、じたばたしてもはじまらない。
 徹子は、雄一との現在の生活を大事にしよう。それが、いまの自分の最善の生き方である、と改めて思った。
 後悔のない生き方をしていれば、おのずから、終わり方が決まってくるように思われるのであった。

 徹子は昼食の支度に間に合うよう、帰り道を急いだ。