神様はどこに  
               福谷美那子
     
「神様はどこにいらっしゃるの?」
 時々保子は尋ねられる。しかし実に率直な質問なだけに、いつも返事に困っている。
 肉眼で見たこともない神さま、まして声を出して共に話したこともない神をどう表現したら良いのであろう。
 しかし信仰の神秘はここから始まるのかもしれない。
 窮地に追い込まれたとき、人間は神に縋ろうとする。けれど、人間にたいする神の無限の愛を他の人に理解してもらうには、よほどの厚い信仰がなければ出来ないことと思うのだ。
「神様、どこにおられるの?」
 保子は朝夕、神の前に呼び戻された子どものように、部屋に飾ってあるマリア像に向って正座する。これは救世軍の兵士であった母が、子どもたちに躾けた習慣だった。
 今思うと、これは母を通していただいた神のお恵みなのかもしれない。
 マリアのこともその父であるヨゼフのこともあまり知らない子どもたちが、マリアの優しさを懸命に想像して祈りを捧げたのだから。
 何故か保子は不思議でならなかった。
 折にふれて聞く神様のお話、今思えばそれは多分に現実離れした神話に聞こえたこともあったのだが、幼子に偉大な神の力を怖れさせるには、充分であったような気がする。 
 ある日、母の目を盗んでケーキを食べてしまった。いつか見つかる、そう思うと、胸の動悸にたえず落ち着かず、母の顔を見つめるのがこわかった。
 ままごと遊びで、本物の包丁をこっそり台所から盗んで、菜っ葉をきざんだときと同様、子どもにとって、人目をぬすむことは、スリル満点であった。しかし、そんなとき、じっと鏡で自分の顔を映すと、悪魔が乗り移ったように、落ち着かなかった。
 こんな動揺は、保子が初めて知った神へのおののきである。
 もう一つ保子にとって不思議なことがあった。
 クリスマス深夜、煙突から大きな男が這い上がって、みんなが寝静まると、寝室に忍び込むサンタクロースだった。枕もとの靴下の中に必ずプレゼントが入っていた。
 その役目は、保子の従兄弟にあたる永田正三が引き受けていたと、後から知った。彼は必ず子どもたちの枕元に、大きな紙包みを置いておいてくれた。正三はときどき遊びに来る父方の従兄弟なのだが、保子は六歳になるまで正三を神様からのお使いと信じきっていた。
 正三は、甲府中学卒業後、どこの進学校からも合格を約束されながら保子の父を頼って海軍の志願兵として横須賀に来た。身長が百八十センチもあり寡黙でおだやかな人だった。セーラ服から兵曹になったころ、休暇ができると保子の家によく遊びに来た。裏山にあたる追浜公園へ、野イチゴをつみに連れていってもらうのが子どもたちにとって何よりの楽しみだった。
 苺はたちまち籠いっぱいになった。
「甘い林檎もふきとばせ、すっぱいみかんもふきとばせ」
 こんな流行の歌を子どもたちに教えながら、彼は若草色の芝生にねそべって、青い空を眺めていた。時々歌いながら、口にふくんだ一袋のみかんを空にむかってぷいと吹き飛ばし保子たち姉妹を笑わせた。
 子どもたちは、正三の優しさをひたすら慕い仲間のように彼と遊んだ。
 第二次世界大戦もたけなわになって来た。実の父母以上に保子の両親を慕っていた正三は、保子の家から戦場へ発った。正三が保子の両親に「今度は死ぬ」と額の汗をぬぐいながら、話したのは、十五夜の晩だった。
 いよいよ戦地に発っていく日、家族全部が玄関に並んで一人一人正三と握手をした。私が母のかげに隠れていると、
「叔父ちゃん、一人足りません」
「アックンちゃん(保子の愛称)だ」
 父は、うしろでもじもじしていた保子を前へ出した。大きな手が、最後に保子の手を包んだ。とても温かかった。
 子どもたちは、正三の後ろ姿を見ようと二階へ駆け上がり、お団子とすすきの飾ってある部屋の窓から、
「正三兄ちゃん! 元気でね」
 と、叫び続けた。夜空にこだまする子どもたちの声援に答えて、彼は遠くの坂道から何度も軍帽を振った。あの夜が最後になってしまった。
 あれからたくさんの歳月が流れた今も神の存在を知ろうとしたとき、にわかに私の心を占めるもの、それはあの十五夜の光景である。
 昭和16年10月17日、正三は、00基地において、驚くほどの荒天に受け持ちの飛行機を流失しようとした。彼は天皇陛下のためにこれを失ってはいけないと、ボートで急行したものの怒濤は荒れ狂いその機体に着くことはできなかった。
 遂に決心してボートに縄をつけ他の一方を手に海中に飛び込んだのだが、機体を引き寄せることは出来ず、そのまま姿を見せなかった。数日後、遂に望み綱も切れ、正三は遺体となって発見された。
 保子の母の日記よりーー
「叔母ちゃん!叔母ちゃん!」
 正三の声に目が覚めた。真冬の寒い明け方だった。懐かしい甥の声に起こされた。まだ、戦地から戻ってくる筈がない。空耳だったのかもしれない。
 またも、今度は枕元に胡坐をかいて正三が座っていた。
 白い地に紺の縞模様の、彼がいちばんに気に入って、好んで着ていた浴衣に目が吸いつけられた。
「あら、正三!」
 力いっぱい声を出してみたが、それなり彼の姿は消えてしまった。

 同じ時刻、長く保子の家で働いているナナちゃん(ばあや)が、寝入りばなに、彼の靴音を聞いた。紛れもなく正三の靴音なのだが、いつになっても玄関に正三の姿が現れない。懐中電灯で裏玄関までの通路をばあやは照らしたのだが、姿はなかった。
 確かに靴を引きずる彼特有の足音で、いつになったら姿を見せるのかと、ばあやは立ち尽くしていた。
 看護婦まで正三の夢に何回となく目が覚めたと訴えていた。正三はそのとき溺れそうになりながら怒濤と戦っていたのであろうか?
「おばちゃん、おばちゃん」
 腹の底からしぼりだされた声とはうらはらに、哀しみに沈んだ正三の澄んだ声が保子の母の耳元を離れなかったという。
 人々の心に灯りを点して死んでしまった正三、母はせめてもの悔やみに、彼が好んだ保子の家の二階に戦友をたくさん招いて追悼会を開いた。
 山梨県から駆けつけた正三の両親は、司令部から届いた正三の遺品を開くやいなや伯母は遺品に縋って泣き、伯父は頭を垂れたまま、身じろぎもしなかった。
 愛国日本のためとはいえ正三の死はどのように受けとめれば良いのであろう。
 終戦から六十年経た今も保子の心の中に決してぬぐうことのできない哀しみとして正三の死が甦ってくる。