懐かしい音信    
                    中井和子

 平成二十五年の師走は、寒さのせいか私の血圧が急に不安定になり、上の数字が二百を超(こ)えて、起きているのも辛いような日日であった。
 人は八十歳を過ぎると、痛みに耐えながら生きるようになると、なにかの本に書いてあったが、まことに、そうなのかもしれない。
 そのようなある日、鎌倉の菓子店から包みが届いた。送り主を見ると、ここ数年、すっかりご無沙汰をしているA子さんからであった。どうなさったのかしら? 何か突然のことで、私は戸惑い、しばらく包みを眺めていた。

 実は、つい先日のこと、フィリッピンの児童たちへ絵の指導のボランティアをなさって帰国された、東京のF子さんがお土産を送ってくださった。
 そして、また、私と同じ福島市内に住みながら、二年もお会いしていないT子さんから、クリスマスカードが届いた。『会いたいです。お会いするのを楽しみにしています』と、添え書きがあった。
 独身のT子さんは、九十歳のお母様を一人で介護なさっていてお忙しい。
 私は、T子さんのお元気なようすを推察することができて、喜ばしくもまた、お会いする日が待たれるのであった。
 それにしても、今年はどうなっているのだろうか。立て続けになつかしい便りの数々は、考え合わせると不可思議であった。

 三か月前の九月には、台湾の淑貞さんとなんと十七年ぶりに東京で待ち合わせをして、美術館で開催されていた、フランスのタペストリー展をいっしょに鑑賞した。
 淑貞さんとは、彼女が福島大学経済学部修士課程留学中に知り合った。現在は東京の企業に就職して、海外出張の多い生活を送っている。年齢からいって私の孫のような友人である。
 また、淑貞さんと期を同じくして、教育学部へ留学していたミャンマーのキンさんという女性がいた。彼女は、すでに国の教育機関に籍を置いていて、淑貞さんより数歳年長だ。ときどき、二人で私の家に遊びに来ていた。
 そのキンさんが、十一月半ば、やはり、十数年ぶりに突然、日本の友人と我が家を訪ねていらした。
 キンさんは偉くなったらしい。彼女の今回の来日の目的は、子どもたちの勉強の意欲をそそるような、楽しい教科書を作るためであった。昨日まで、キンさんは東京の出版社に一週間詰めていたそうで、その仕事も終わり、土、日を利用して福島に見えたのであった。
 いっしょにミャンマーから来日した研修生二十人は筑波大に宿泊しているそうで、あと一週間後には研修生たちと帰国するという。責任のある立場のキンさんには時間の余裕がなかったようだ。
 そのキンさんとのあわただしい三時間ほどの再会であったが、暖かい手のひらの中に私の手をずっと握り締めて、懐かしんでくれた。
「ミャンマーに、また、来てください」
 なんども誘ってくれた。しかし、私にはその気力も体力もなくなってしまった。
 それほどみなさんからの久久の便りの数々は、なにやらお別れになる暗示ではと、勘ぐるほどなのであった。
『健全な精神は健全な身体に宿る』
 昔、どこかでよく見ていた標語が口をついて出てきた。では、悪く勘ぐる私の精神は、健全な身体ではなくなったからだと、苦笑した。
 これらのことを思い巡らせながら、しばらく眺めていた鎌倉の菓子店の包みを開けてみた。中にA子さんの手紙が入っていた。
 無沙汰を詫(わ)び、『……いつも温かく見守ってくださりありがとうございます。お礼の気持ちばかりでございます。娘も昨春、高一になりました。ダンス部のある高校を希望し、元気に通っています』と、写真が同封してあった。
 笑顔の四人の級友たちといっしょにピース、ポーズで写っているMちゃんがいた。肌の色が少し違うので、すぐわかった。それにしても、美少女の高校生たちで驚いた。Mちゃんは長い髪を真ん中から分けて、カメラに向けて、大きな目で頬(ほお)笑んでいる。私の頬も緩む。
 Mちゃんのお父さんはケニヤ人である。
 お母さんのA子さんは心優しい、しっかりした方で、以前はケニヤのナイロビ市内で、身障者たちの自立を支援するためのアクセサリー工房を造り、援助活動をなさっていた。
 A子さんのご実家の事情で、一家で日本へ帰国されたのであったが、ご主人は異郷の暮らしになじめなかったのか、離婚して帰国されてしまった。
 A子さんはそれから赤ちゃんを抱え、孤軍奮闘でずっとがんばってこられた。
 私は老婆心ながら、Mちゃんがいじめに合わないように願っていたのだが、写真をみると、それは杞(き)憂であったかのように屈託のない素敵な笑顔で写っていた。
 私はお礼の手紙を書いた。思いがけず、Mちゃんが電話をくれた。ものおじしない、しっかりした話し方をして、私は嬉しくなった。
 ダンスの種類を尋ねると、
「ヒップホップです」
「ヒップホップ? かっこいいわねえ!」
 いま若者たちの間で流行しているダンスである。その激しい動きのステップには感心するし、そして、楽しそうなので、私は好きである。機会があったらMちゃんのダンスを見に行きたいものだ、と思った。
 私のよどんでいた気分が晴れてきた。
 そうであった。みなさんからの音信はお別れなどではなく、元気を送ってくださるためであったのだ。そのお一人お一人のお優しい笑顔が浮かんでくる。
『もう少し、がんばろう』私は自分を励(はげ)ましたのであった。