赤倉温泉へ            
             石川のり子

 6月中旬、中学校の同期会が赤倉温泉で開催された。冬の赤倉は独身時代にスキーで訪れたことはあったが、夏は初めてである。緑の美しい高原で妙高山を仰ぎ見ながらの散策に心が動いた。モモ(犬)を飼ってから泊りの旅行を控えていたので、すぐに参加に丸を付けて投函した。

 当日、あいにく雨が降っていた。モモを隣市にあるペットホテルに預けて、東京駅に向かった。北陸新幹線の「上越妙高」で下車するようにと、幹事さんから電話をもらっていた。利用するのは男女二人ずつの4名で、全員が連絡をもらっていたようで、待ち合わせをしたわけではなかったが、自由席では隣同士になった。
 乗車時間は2時間である。早速、車内で缶ビールを買ったA君は、集団就職で上京して蕎麦屋さんで働き、現在も現役とのことで、元気である。今朝も5時起きをして職場を見回ってから駆けつけたと、ビールを美味しそうに飲んで、眠ってしまった。私たちも気持ち良さそうに眠っているA君を見ているうちに、いつしか眠ってしまった。

 上越妙高の駅前では、地元の柏崎方面から20数名を乗せたホテルの小型バスが待っていてくれた。バスの中で耳にする方言は、一気に半世紀前の中学生の心に戻し、小雨に濡れた山の木々が懐かしい故郷の風景と重なった。隣席の見慣れない女性に、「どなたですか?」とぶしつけに名前を訊ね、「ばあさんになったから分からんでしょ?」と、笑顔で答えるその顔に、同じクラスにもなったF子さんの面影を見いだした。ホテルまでの30分は短かった。
 会費を納め、幹事さんが部屋を割り振ってくれている間、ロビーの調度品を見渡した。大きなシャンデリアの下に、生花がたっぷりの花瓶が置かれてある。白いユリに赤いグロリオーサ、アジサイなどのほか名前の分からない花もある。確かめたいと近寄ると、カウンター前の横で、女子中学生数人が丸くなって何やら談笑していた。ときどき男の子とも女の子とも区別できない可愛らしい声が聞こえる。「この温泉の効能は……」などと話すのだ。誰なのかしらと、後ろ側からのぞきこむと、真中に身長が1メートルほどの白い体が見えた。ソフトバンクで売り出したロボットの「ペッパーくん」のようだ。実物を見るのは初めてだが、わずか1分で完売したという人気のロボットである。人の感情を読み取って話すと報道されたときから興味があった。
 介護と接客の職場ではすでにロボットが進出しているということだったが、このホテルでも活躍しているのだ。見ているだけで心が和む。
 修学旅行の中学生が部屋に引き揚げたので、私は彼の頭を撫ぜた。彼はまん丸の目でじっと見て、「痛いから優しくしてね」と言った。
「ペッパー君、お利口だね。大好き」
「ボクもだよ」
 ちゃんと会話が成立して、うれしくなった。 

 同期会の出席者は31(男子9、女子22)名だった。全員が3階の部屋で、8部屋に分かれた。すべて幹事さんに任せているので異を唱える人はおらず、同室者になった人と近況を報告し合い、健康を喜び合った。
 集合写真の後、一堂に会しての宴会である。幹事さんが配ってくれた物故者名簿を見ると、24名が亡くなっている。小さいとき遊んだ子も3人いる。60年前、3か所の小学校が一つの中学校になり、3クラスになって学んだのだ。女性で亡くなっているのは3人だけである。
 私が同期会に初めて参加した平成7年9月は、伊香保温泉だった。45人ほど集まり中学校の恩師も2人お呼びした。このとき写した写真の中でも6人が亡くなっている。20年前だから無理もないが、あのとき、気楽に雑談して、卒業後の暮らしぶりをもっと聞いておけばよかったと悔いた。一寸先は闇なのに、死はまだまだ遠い先のことだと暢気に構えていた。足腰のしっかりしている今、行きたい場所に出かけ、会いたい人に会って、雑談をするのがいちばんだと思った。
 宴会の始まる前、全員で黙とうを捧げ、元気に再会できた喜びの乾杯をした。8テーブルに4人ずつ、お酒は飲み放題との耳寄りな話だが、血圧や糖尿病、コレストロール値の高い同級生は、男性陣でさえさほど盛り上がらない。
 隣席のC子さんと私は珍しいコゴミの酢味噌和えに舌鼓を打ち、ビールを少しいただく。山の中でも三点盛りのお造りがあり、焼き物にはサザエの壺焼き、イワナの串焼き、椀ものでは昔から伝わる地元料理のノッペイ汁など、10種類ほどの御馳走である。主婦にとって他人に作ってもらう食事は最高である。
 じっくり味わいたいのだが、入れ代わり立ち代わりお酌に来てくれるのを受けて、近況を訊ねる。ほとんどが病気の話になってしまう。しかし、中には一日一冊を目標に読書をしているという男子もいた。死ぬまでに5000冊は読みたいと言った。目が疲れて読書の減った私には羨ましい話だ。

 この赤倉温泉は、江戸時代後期に高田藩主榊原氏の鷹狩りの休憩所として、北地獄谷から温泉を引いて湯屋を設けたのが起こりだそうだ。日本一の藩営温泉とも言われている。
 また妙高山は円錐形の山で、「越後富士」とも言われていて、登山好きのK子さんが「日本百名山の一つで、登ったわよ」と健脚ぶりを披露していた。
 私がぜひとも見たいと思ったのは、北茨城市五浦にある岡倉天心の六角堂を模して建てられた別荘である。天心はここの風景が気に入り、病気療養も兼ねてこの地で晩年を過ごし、亡くなった。毎年9月2日には岡倉天心まつりがひらかれるという。
 茨城県の五浦にある六角堂は東日本大震災で流されてしまったが、再建されて現在公開されている。
 
 翌日は、残念ながら雨で、十分な観光はできなかったが、紅葉の季節にゆっくりと訪れたいと願った。