あの震災を忘れない
                 石川 のり子

 今年も3月11日がめぐってきた。
 三陸沖を震源とするマグネチュード9.0と報道された大規模な地震が発生して、6年になる。10年日記の3月11日のページを開くたびに、当時のことが生々しく浮かんでくる。

 私は、常と変わらず竜ケ崎市の公民館にフォークダンスの練習に出かけていた。1時間半の練習が終わって2時半過ぎ、娘に頼まれたUSBメモリーを買うため、近くの大型電気店に寄った。さすが平日は広い駐車場も空いていて、入り口近くに車を止めて、店内に入った。
 探す手間を省くため、まっすぐ受付に進んで、店員に声をかけた。そのとき、突然大きな音がして突き上げるように揺れた。慌ててカウンターにしがみ付き、片手で頭を押さえた。いつもの地震より長く揺れている。店内の灯りがいっせいに消え、外からの薄明りだけになった。レジ係の中年女性が「大丈夫ですか?」と、うわずった声をかけてくれた。
 こわばった顔を向けると、傍の若い男性従業員が間髪を入れず、「駐車場に避難してください」と、出口を指さした。店内の7,8人の客も出口に向かっている。歩くのさえままならない揺れの中を、案内の男性店員の腕につかまり、外へ出た。ほんの数分しか経っていないのに日が陰っていた。
 駐車場の周囲の電柱や木々がゆらゆら揺れていて、足を踏ん張らないと不安定で立っていられない。
 しゃがんでいる老人が、店員に「いったい何があったんだい?」と、大声でたずねた。携帯電話で連絡をとっていた従業員が、福島の方で大きな地震があって、たいへんなことになっているらしいと、ぼそぼそ声で伝えてくれた。
 私は家のことが心配になった。車に乗りラジオを付けると、現場の家屋の壊滅状況を伝えていた。聞いているだけで、体の震えが止まらなくなった。しっかりしなければ助けてくれる人はいない。
 交差点では暗くなっている信号機を無視して、前車の後をゆっくり続いた。慎重に、ときどき強く揺れる地震にハンドルをとられないよう、亀裂を避けて減速走行した。
 道路沿いの家に視線を走らせ、崩れていないことを確認しながら、「どうか家を守ってください」と、夫にお願いした。
 やがて我が家の近くに建っている5階建ての庁舎が見え、常と変わらぬ家並を目にしたときは、心底うれしかった。
 家の中はどうなっているだろう?
 不安な気持ちのまま玄関のドアを開けた。割れた白い花瓶と水仙3本が投げ出されていた。そのままキッチンに進み、レンジの開いたドアから皿が飛び出し、真二つに割れていたのが目に入った。戸棚は倒れず、ドアもきちんと閉まっていて食器類も割れていなかった。
 2階はどうなっているだろう。階段を駆け上ると、本棚の本が乱雑に飛び出し、机に積んでおいた本も崩れていた。本箱が倒れていないのが救いだった。ラジオから伝えられる惨状に比べると、ひとまず安心である。夫の遺影は、大丈夫だったよと、何事もなかったように笑っていた。
 停電で室内は暗いので明日片づけることにした。とりあえず、懐中電灯、常備食、水など必儒品を居間のテーブルに集めた。
 余震の続くなか、まんじりともせず一夜を明かし、明るくなるとすぐに家の周りを確認した。心配していた地盤沈下はなかった。雨戸を開けながら家の歪みを点検したが、物干し竿が曲がっている程度だった。一人暮らしは心細いが、かえって身ひとつの方が、何とでもなると、開き直ることができた。
 東京に住む娘には心配ないとメールで伝え、本の片づけを始めた。
 昼近くになって、甥が飲み水用として給水車から水をもらって来てくれ、電気も通じるようになると井戸水をポリタンクで運んでくれた。親戚が近くに住んでいると、本当に心強い。
 同じ地区でも、地盤によって家の崩壊の度合いが違う。沼地だった地区は液状化現象で地盤が沈み、道路が寸断し、家も電柱も傾いでいた。
 知人の家も傾斜して住めなくなって、中学校に避難した。当時は不安で生きた心地もしなかったと話していたが、基礎を堅固にして建て替えた家は、モダンで住み心地が良さそうだ。
 この地震の大津波が大勢の人命を奪った。最大10メートル以上の津波が押し寄せ壊滅状態になった。岩手、宮城、山形、福島、茨城など、死者行方不明者が2万7千人と報道され、私の住む町の人口より多くの人命が奪われていたことを知った。
 そして、何とも悲しいのが原子力発電所の事故である。地震国わが日本に、何と54基もの商業用原発があるという。私の故郷にも原発がある。放射能汚染は目に見えないから怖い。
 東京に住んでいる友人はいち早く韓国に避難したが、そんな10日ほどで逃れられるものではない。6年も経って、除染が進み、戻れる地域がふえた。
 住民は国と東京電力に集団訴訟をおこし、津波は予見できたのに、事故を防ぐための対策をとらなかったとの、司法判決を得た。
 経済優先の社会で、人間はもちろんだが、地球も病んでいるように思えて仕方がない。原発の話が故郷で持ち上がったとき、電気のない生活なんて考えられないのだからと、反対者に識者は語っていたが、チェルノブイリ原発事故で、放射能汚染の恐ろしさは知っていたはずである。
 これほどの打撃を受けているのだから、原発の稼動だけは反対である。水力、風力、太陽光、地熱など、自然エネルギーの活用を積極的にやるべきだ。
 今後どのように推移していくか見守りたい。