アリスから地域猫たちへのバトン
             羽田竹美

 
 アリスが死んだ。十四年間私の心の拠りどころになってくれた猫であった。うれしいときも悲しいときも、アリスに語りかけ、太っちょの体を抱きしめて癒されていた。それが昨年、次男の結婚が決まったとたんアリスの体調が崩れ始めた。それまで動物病院にお世話になったことがなかったアリスは、食が細くなりやせてきた。
 ゴールデンウィークに食べ物をほとんど食べなくなったとき、インターネットで開いている動物病院を探して連れていった。やさしい女医さんにお世話になり、アリスは元気をとりもどした。女の人には気を許すのに男性には驚くほど拒否反応を示す。この女医さんはアリスには気を許せる人だったのだろう。
 再び食べなくなったのは猛暑がやっとすぎた十月であった。私が東北旅行に出かける少し前であった。次男に世話を頼み、心配しながら出かけた。携帯メールで朝晩様子を聞いていたが、次男の返事はいつも、「食べました」であった。帰ってから少し元気になったかと思ったが、その後次男の結婚式のために沖縄に行かなければならなかった。それを察知したらしく、アリスはまた、食べなくなった。ペットショップでアリスの好きそうな缶詰を買ってきたが、少し食べるだけで、次には同じものは食べない。
 そのころ、南側のぬれ縁にノラ猫らしい猫がやってきてうずくまっている。アリスが食べなくなった缶詰やドライフードをやると、お腹を空かしているらしくガツガツ食べる。いつもうずくまっているところにダンボールでねぐらを作って寒くないように毛布を入れてやった。すると、作った夜からもう入っている。よほど気に入った様子で、それから毎日夕方に来て、ねぐらで餌をくれるのを待っている。餌の入ったお皿を出すと、ファーッと威嚇する。人間に心を開かないノラ猫特有の態度である。飼われたことがないのか、人間にいじめられて不信感をもっているかである。
 このような猫と付き合うには、適当な距離を置くことである。ねぐらを作ってもらい、毎日餌をもらっているのに、少し近づくと、威嚇して、すごい顔でにらむ。あまりの態度の大きさについ笑ってしまう。にらむ顔が今流行(はやり)の「ぶさかわ」で、憎めない猫でもある。
 アリスのひどい衰弱が心配になり、近所の動物病院に連れて行った。前に行った女医さんのところに行きたかったのだが、足の不自由な私一人では連れていかれない。嫌がるアリスをケージに入れ、ショッピングカートに乗せてそろりそろり押しながら坂を上って、五分ぐらいのところにある動物病院にたどりついた。
 体重を量ると、五キロもあったアリスは一キロ強の軽さになっていた。「お預かりして点滴しましょう」と、言ってくれた先生は、いかつい顔の男性、でもやさしい方で、「夕方にお宅まで連れていってあげますよ」と、言ってくれた。
 次の日も迎えに来てくれて、点滴が終わると送り届けてくれた。しかし、アリスはよくなるどころか日に日に弱ってくる。食欲がまったくないので、ペースト状の餌を注射器で口の横から入れて飲み込ませる。沖縄に行く前日、迎えに来てもらい入院させた。
 ちょうど台風が来ていて、沖縄を直撃するとの天気予報であった。飛行機が飛ばなかったらどうしょう。 結婚式が台風の最中だったら、せっかく青い海が見える祭壇の教会を選んだ意味がなくなってしまう。アリスの心配と重なって私の胃はストレスに耐えられないくらい重苦しくなっていた。
 幸い台風は逸(そ)れて、当日は抜けるような青空と真っ青な海であった。結婚式は無事に済んで、次の日の夜東京にもどり、動物病院に電話を入れた。
「明日、点滴が終わったら連れて行きます」
 というので、少しはよくなったかと期待していたのだが、アリスはもう歩くのもおぼつかないほど悪くなっていた。それでも帰ると、フラフラして倒れそうになりながらトイレに行く。お水も自分で飲めず、注射器で口に入れるとやっと飲む。あんなに毎日おいしそうにお水を飲んでいたのにと、涙が出た。その後二日間点滴をお願いしたが、ストレスでますます悪くなるアリスがかわいそうで点滴をやめた。男性の先生もこわかったのだろう。
「アリス、ごめんね。点滴はやめよう。お母さんもうどこへも行かないよ。ずっとアリスと一緒にいるからね」
 私は紙のように軽くなったアリスを抱いて頬ずりした。
 次男夫婦が新婚旅行から帰った次の日、十一月七日の朝、アリスは一声澄んだ声で鳴いてから声にならない声で何か言い、私の腕の中で息が絶えた。
 次男夫婦が午後来てくれた。ペットの葬儀屋さんに頼んでお骨にしてもらい、十字架の祭壇の前にお花と共に置いた。猫好きで、つい最近やはり可愛がっていたシロちゃんを亡くした友達からお花が届いた。
「アリスちゃん、シロちゃんと天国で仲良くしてやってね」
 というメッセージカードがついていた。
 アリスがいなくなった後、ファーッと威嚇するのでファア子と名づけた三毛猫は、毎日夕方になるとやって来てねぐらでごはんを待っている。アリスの食べ残したペットフードをきれいに食べてくれた。
 ところが、もう一匹白黒の可愛い顔をしたファア子と同じくらいの太った猫が訪れるようになった。やはりノラ猫のようだ。私がドライフードを入れたお皿を出すと、用心しながら近づいてきて食べる。男の子なので、コタロウと名づけた。東側のぬれ縁にやってきて、サッシ戸を開けておいたらリビングに入ってきた。アリスの匂いを探しているらしい。
「アリスは死んじゃったのよ。コタロウ、アリスの代わりにうちの猫になる?」
 そう言うと、さっと逃げていく。自由気ままなノラ猫の方がいい、と言っているようだった。塀の上を歩いているので、私が大声で、
「コタロウ、おいで!」
 と言うと、急いで飛び降りて走ってくるので、自分がコタロウという名前だと覚えたようだ。
 やはり猫好きな友達が教えてくれた。
「そういう猫はノラ猫と言わないのよ。地域猫というの。いろんなところに餌をくれる人がいて、いろんな名前で呼ばれてる、自由に生きている猫なのよ」
「なるほど……。地域で可愛がられている猫だから、ファア子もコタロウもあんなに太って毛並みも艶々しているんだ」
 私は納得した。この猫たちのお陰で私はペットロス症候群にならずにすみそうだ。