乳 房            
             福谷美那子
 トム修道士が亡くなられた。フランスの山村で育ったお方だと聞いていたが、さだかではない。八十歳になられてから、健康がすぐれず入院されていた。
 お見舞いに行くと、いつも「モゴモゴ」言っておられた。耳をすますと、祈りのことばだった。多くは語らず、「ありがとう、ありがとう」と、言われた。
 野の花がお好きだったので、庭の花を摘んでいくと、うれしそうにいちばんいい顔をされた。時には、この方がよく歌われていた聖歌を歌ってさしあげた。

   ごらんよ空の鳥 野の白百合を
   撒きもせず紡ぎもせずに
   安らかに生きる
   こんなに小さな命にでさえ
   こころをかける父がいる

 神にすべてをゆだねた,何と美しい歌であろう!
 カトリックの修道士は終生妻帯を許されず、労働の日々を神に捧げられる。
 花と小鳥をこよなく愛されたのは、異国の故郷をしのんでおられたのだろう。
 入院されてから、だんだん眠っておられる時間が長くなったので、案じていた矢先、容態が思わしくないとの知らせをうけた。
 お見舞いの人が傍らで呼びかけると、うつらうつらしながら、両手を宙に浮かせるような仕草をされて、「ママ!」と、叫ばれた。
 そのとき、ナースが入ってきて血圧を計ろうと手をとると、彼は若いナースの胸元に、肉が薄くなった手をあてた。
「小さいとき、ママのお乳をなめていた。ママがいる。そこにママが……」
 その瞬間、ナースは胸のボタンをはずした。
 彼女の白い肌に薄紅色の乳首は水平に、少しのたるみもなく豊かだった。若さがまぶしかった。長かった労働で節くれだった修道士の指が、その乳房をまさぐった。
 白い睫毛の小さい目から、一筋涙が流れた。。
 数時間後、危篤状態にはいられて、風船から空気が抜けるように、息をひきとられた。
 口を半開きにして、ひらかれたままの目は水色だった。微かに笑みすら浮かべていた。この方は遠い国の方だった。当然知っていたことを、私はあらためて思い泣いた。
 ナースは壁に額をつけて、唇を噛み、とめどもなく流れる涙をぬぐっていた。
 きっと、彼女は園児のとき、この修道士のやさしさに育まれた方なのだ。その光景に胸が熱くなった。

 しばらくして、私はこんな話を聞いた。
彼女はどうしてもこのことを両親に話せなかったそうだが、ある日、亡くなった修道士と、たまたま同じ年の祖母にこのことを打ち明けた。
「おばあちゃんは目を細くして、私を慰めてくれました。『いいことをしてあげたね。きっとその修道士さまは、今ごろ、お母さまのもとに行かれて、甘えておられるだろうねぇ。本当にいいことをしてあげたねぇ』と、言ってくれました」
 そう話す彼女の顔には、安らぎが感じられた。異国で暮らした修道士はきっと、臨終のとき、母の胸元のぬくみを思い出したのであろう。病室の窓から見える土色に濁った海が白い泡をたてていた。

 私がこの修道士に初めて会ったのは、終戦後まもなくのことだった。当時、片瀬川沿いの、こんもりとした松林の中に、煉瓦色の屋根とクリーム色の壁のS女学園があった。遠くから見ると、おとぎの国に見えた。
 校門を少し入ると、小さい砂場があり、よく弟と忍び足で砂場に入り込んで遊んだ。
 あるとき、砂場に二人で字を書いていると、黒い修道服を着た男の人が通りかかった。三分刈りで白いスベスベした顔は、驚くほど痩せていた。
「坊や、お譲ちゃん、何しているの?」
 二人を覗き込むようにして、たどたどしい日本語で、声をかけられた。笑顔が心に沁みた。忍び込んだのに咎められなかった。
 その後も、大きく広げた手に飛び込むように、私はこの人に会いたくなって、弟を誘って出かけていった。
 やがて私はS女学園に転校することになったのだが、ミサの説教で、彼のユーモアたっぷりのイエスの話を、くい入るように聞きながら、幼い私を揺さぶったものは、修道士のやさしいまなざしと信仰の深さだったのだ、と気づいた。
 父を亡くしたばかりの私の心に、太い柱のように住み着いたこの修道士を、私はひたすら慕っていた。
 あるとき、彼は私に言った。
「天国へ行けなくなるよ」
 私への戒めのことばが、今も耳の底で鳴り続けている。