小さな宇宙で
              
石川 のり子

 また金魚が死んだ。金魚にとっての宇宙が塩素で汚染されて、命を奪われたのである。水面のホテイアオイの丸い葉陰に隠れるようにして、さほど苦しんだ様子もなく浮いていた。
 その日は七夕の朝で、犬の散歩から戻り、枝に吊るす短冊二枚を手に庭にまわった。直径一メートルほどのひょうたん型のプラスチック製の小さな池は、底が見えるほど澄んでいた。この池に覆い被さっている楓の枝ぶりが短冊を吊るすのにちょうど良いのだ。手を伸ばして、ふと視線を落として気づいた。底に金魚がいない。葉に隠れ横たわった金魚を目にした瞬間、後悔で胸が苦しくなった。短冊の一枚には「金魚が長生きしますように」と書き、もう一枚には「小さな宇宙が平安でありますように」と書いたのに、吊るす前に悲劇は起きていた。
 実は、昨夜からこうなるのではないかとかすかな不安があった。その気持ちを払拭するために、願いを短冊に認めたのだ。
 昨日の夕方、私はいつものように植木やプランタの草花や夏野菜に水を撒いた後、池にも水道水をシャワーのように注いだ。金魚は喜んで浮かびあがって泳ぎ回った。今思えば苦しかったのかもしれない。いつもならそこで止めるのだが、梅雨が明けて三十度以上の猛暑、楓の木陰になっている池の水も温まり、青色に淀んでいた。少し水道水を入れて、すっきりさせれば気持ちがよいだろうと、一方的な私の気持ちで、蛇口ごと池に入れた。金魚にとってみれば、小さな地球に爆弾を仕掛けられたようなものだったろう。
 三〇分ほど花壇の草取りをして、腰を伸ばすと、池の底で金魚の泳いでいる姿がはっきり見えた。
「とんでもないことをしたかもしれない!」と思い、あわてて蛇口を締めたが、時はすでに遅しの予感がした。
 いつもなら水道水の塩素を抜くために、バケツに二、三時間は汲み置いて、池に入れることにしているのに、軽率なことをしてしまった。こんなこともあろうかと、ハイポも買って物置に入れてあるのに、それを入れることさえ忘れた。私が部屋の中で、短冊に願いをこめていたころ、金魚は飼い主が汚染した池で苦しんでいたのだ。
 動かなくなった和金を掬い上げて掌に載せると、十五センチほどで背の赤と腹の白がきれいだ。買ってきたときは小指にも満たない小ささで、赤色もこれほどはっきりしていなかったのに、五年間で三倍にもなっていた。
 一緒に買った二匹は、早々と庭の土になっていたが、この一匹だけは池の環境に馴染んだ。どんなに水が濁っても、冬の寒さで水が凍っても忘れたころ底から現れ、ときどき私が餌やりを忘れても、大きなミミズを口いっぱいに押し込んで、たくましく生きていた。私はつい多少のことでは死なない金魚だと錯覚し、油断してしまった。

 私と金魚とのつき合いは長い。まだ幼かった娘たちが春祭りの金魚すくいでもらったのがはじまりだった。ガラスの金魚鉢に入れて飼っていたが、狭い商売用のタライに入れられて子どもに追い回されて弱っていた金魚は、翌日死んだ。死ぬのは悲しいもので、狭いからだろうと、幼稚園児だった娘を慰め、庭の隅に転がっていたシェパード犬のプラスチックの水飲みの器を、植木屋さんに松の木の下に埋めてもらって池にした。
 すぐに夫が職場の帰りに、出目金と和金とランチュウの三匹の観賞用の金魚を買ってきた。娘たちは大喜びで眺め、水草も一緒に買いに行って、浮かべて楽しんだ。ところが、一週間ほどで相次いで死んだ。水を循環させる装置もなく、金魚の飼い方も知らなかったので、高い金魚は寿命が短いものとあきらめさせた。
 池に金魚がいなくなると、池が蚊の発生源にもなるし、何と言っても寂しい。年に一度の春祭りまでは待てないと、家族は口々に言う。
 夏休みのある日、娘がスーパーの安売りで、五匹百円の和金を見つけてくれた。
 メダカのような小さい金魚がそろって池を泳ぎ回っているのを見ていると、頬がほころび元気が湧いてくる。それが五、六年も生きて、大きくなると、なおのことうれしい。
 物の本によれば、金魚の棲息する宇宙を整えてやれば、寿命の長いもので二十年も生きるらしい。我が家では、ときどき水を換え、水草を浮かべ、金魚の餌をやるだけだったから、最長で八年くらいだった。数十年も金魚を飼っていて、いったい何匹の金魚を死なせてしまっただろうか。

 七年前、この地(利根町)に引っ越して、すぐに飼った三匹の金魚は、今も私の心に残っている。新しい土地で、夫の健康も優れなかったせいもあって、以前住んでいた家の庭の池を運んで、同じように埋めてもらった。夫も金魚が好きだったので、ホームセンターで金魚を買ってきた。この金魚は、二世まで誕生させて、メダカのような小さい二匹がいっしょにいることに、感激した。こんな小さな池でも命の誕生があるのだ。新しい土地で心細かったので、池をのぞくたびに勇気をもらった。そして、稚魚が親の犠牲になるのではないかと心配した。
 ところが、夏祭りで孫がもらった金魚を同居させてしまったことで、事態は一変した。それなりの配慮はして、十日ほどは花を生ける大きな水盤に入れて別所帯にしていたのだが、猫が水を飲んでいるのを見て、過去にとられた苦い経験を思い出し、池が安心と判断した。その結果、病気で健康な金魚までも失ってしまった。夫が亡くなったばかりで、落ち込んでいたときだったので、孫にも娘にも話さず、新しい金魚を買った。それが、今また、七夕の日に死んだ。
 二日ほど落ち込んでいたが、庭に出るたびに蚊に刺されて困るので、ホームセンターに車を走らせた。
 今、五匹二百円のチビの金魚が小宇宙を浮遊している。今度こそ今までの失敗の経験を生かして、長生きの記録を作りたいと、心を新たにしている。