近場の観光地    
               黒瀬長生

 今年は、例年より早く夏がおとずれたと思うほど、五月下旬なのに三十度を超す真夏日が続いている。
 私は、瀬戸内海に面した愛媛県今治市で平凡なサラーリマン生活を送っているが、それも五十年ほどになると不謹慎だが休日が待ち遠しく、休日を楽しみに勤務しているようなものである。
 六月一日の日曜日であった。前日の土曜日は、庭木の剪定と野菜苗の植え付けで動き回った。そのため物見遊山に何処かに出掛けたくなった。
 起きぬけの女房に、「村上水軍博物館に行こう」と声を掛けた。ところが女房は、「水軍ねえ……」と、にべもない反応で、それ以上の無理強いは出来ないと諦め、実弟に同行の連絡を取った。

 午前十時に自宅を出発し、西瀬戸自動車道の来島海峡大橋を渡って大島南インターで降りた。そこから島内の国道三一七号を十分ほど走ると村上水軍博物館に辿り着いた。
 会館前の駐車場は混雑していたので第二駐車場に回ったが、そこも大型観光バスが三台も停まり満杯状態であった。今までこの会館を三度訪れたことがあるが、いずれも閑散としていたのに……。
 それもその筈である。著書『村上海賊の娘』(和田竜)が、平成二十六年本屋大賞を受賞し、テレビや新聞で大々的に報道したため、村上海賊の発祥地愛媛県今治市宮窪町の村上水軍博物館に観光客が大挙して押し寄せてきたのである。
 私は観光客でごった返す会館内の古文書や甲冑、復元された小早船などの展示物を何とか一巡し、海賊の歴史のビデオに熱中した。また、特別に『村上海賊の娘(和田竜)展』が催されていた。その展示物のなかで著書のゲラ刷り原稿四枚に目が留まった。
 それらを見ると、赤ペンで校正した部分が全体の二割程度になっているのに驚かされた。いかに著名な作家であっても、生原稿と活字で組んだゲラ刷り原稿では、これほど受け止め方に大きな違いがでてくるものかと教えられた。

 会館前の地元漁協が運営する海鮮料理専門のレストランは、順番待ちの客が長い列をつくっていた。その先に、能島周辺の潮流体験船の発着場がある。一時間毎の運行なので三十分ほど待つと、出航時刻になり乗客が三々五々集まってきた。客席四十ほどのモーターボートは満席で、それぞれ乗客は浮袋を身に付けて出航となった。
 三年前にこの潮流体験で乗船したときは、乗客は、女房と私だけの淋しいもので船長さんに申し訳ないことだと恐縮した記憶があるが、今日は書籍の効果で満員である。
 能島は、村上海賊の本拠地で周囲800メートルの岩礁の小島である。その周囲の潮流は渓谷の急流のように激しく音を立てて流れ、白い波しぶきをあげ、ところどころ大きな渦を巻いている。今は城郭の建物は何一つ残っていないが本丸があった頂上付近は平地で桜の名所となっている。
 三十分ほどの潮流体験であったが、まさにこの海域が瀬戸内海を往来する船にとって最大の難所であると納得させられた。

 帰路についた。また大島南インターから西瀬戸自動車道に乗り入れた。ほどなく来島海峡大橋に差しかかった。全長四キロメートルで海上五十メートルほどのところに掛けられた世界初の三連吊り橋である。眺望は申し分ない。大橋の下を大型船が航行するのが小さく見える。瀬戸内の青い海に大小の島々が点在する。また、今治市街地のはるか彼方に霊峰石鎚山や瓶ヶ森の四国連山が見える。
 来島サービスエリアで遅い昼食となった。弟は当地のB級グルメ焼き豚たまご飯を、私は海道ラーメンを食べた。
 レストランからは来島海峡大橋を横から眺められる状態である。車の往来はさほど多くないが、大橋は歩道と自転車道も併設しているので、自転車の往来と散歩やウオーキングの方々で賑わっていた。

 午前十時に我が家を出て五時間ほどであったが、この間、村上水軍博物館を見学し、能島周辺の潮流体験も出来て、来島海峡大橋も渡った。これは立派な観光地巡りである。
 観光といえばついつい遠方を目指すが、こんな近場に立派な観光地があるのだと改めて感心した。能島は、私にとってあまりにも近場で珍しさに欠けるが、この観光客の多さからして捨てたものではない。今後、この押し寄せる観光客が一過性で終わることのないように祈りたいが、残念ながらブームはすぐに去ってしまうであろう。
 会館で『村上海賊の娘』の著賞を購入したが、上下巻それぞれ五百ページの長編なので、現時点で慌てて訪れている観光客のほとんどは、この著書を読破しているとは思えない。読了した後に再度この地を訪れると一層興味が湧くこと請け合いである。
 私も早速読み始めたが、著者が四年かかって収集した古い資料に基づく自信作だけに読みごたえがある。読了したら再度同じコースを辿ってみよう。会館の展示物や能島城址に新たな発見を期待して……。