内裏雛(びな)
                 中井 和子

 昭和五十年ごろであったろうか、私より十数歳ほど若くいらっしゃるK子さんは、ご主人と、当時二歳ぐらいだったご長男と、我が家のお隣に住まわれていた。二,三年して、ご主人のお勤めの関係で、福島から車で約一時間のA市に移られた。
 それでも、時たま、K子さんと電話で近況をお話したり、K子さんからは季節の一句を添えられたお手紙を頂いたりと、お付き合いが続いている。
 それに、私はK子さんに感謝の念でいっぱいの忘れられない思い出がある。

 平成十二年夏、A市の近くで交通事故に遭(あ)った夫が、満身創痍ながら命は助かり、A市にある救急病院へ搬送された。
 私は病院から紹介されたビジネスホテルに泊まり、経過を見守ることになった。
 内臓の病気と異なり、外傷は見るからに傷ましい。集中治療室へ一日二回の面会時間に、意識もうろうの夫を見舞っていた。
 そして、私も車を運転して病院へ向う途中、極度の緊張からめまいがひどくなり、血圧の異常上昇を自覚した。危険を感じて道路わきに車を寄せてしばらく休んだ。降圧剤を持っていたので大事には至らなかったが、それはいまでも忘れられない怖い経験をした。
 そのような張り詰めた日日のある日、K子さんが、私を夕食に招いてくださった。
 A市に古くからある有名な料理屋であった。いまとなってはその時の料理は何であったかは忘れてしまったが……。
 K子さんは周囲にちらと視線を走らせながら、
「ここはね、昔、遊郭だったのよ。この部屋もその時のままなのでしょうねえ」
 と、説明された。私も改めて小部屋を眺め回した。当時の不幸な女たちの哀(かな)しい身上などを思い量りながら、時間が過ぎていった。
 私は毎日の深刻な時間から一時でも逃避できて、どんなに救われたことか。K子さんのお心遣(づか)いが、いまでも忘れられない。

 先ほど、そのK子さんから箱が届いた。
 開けてみると、内裏雛と、別珍にクラシックビーズがゴージャスにあしらわれた存在感のある眼鏡入れや、小物入れなどが出てきて驚いた。それに、おしゃれな絹の手提げ袋も。
 雛人形の白い顔は小さく五ミリほどで、その面長な顔に目鼻はなく、襟元は豪華な錦織の重ね襟で、十二単を思わせる。衣裳は十センチほどの四角形で、表裏それぞれに模様の異なる絹の古布が使われ、厚さ一センチの綿が入っている。それが二枚重ねになっている。女雛はピンク系の地に花模様、男雛は青色系の衣裳だ。四角形の内の一角を内側に折り、重ね襟に合わせて雛を包む。足元にできる空間は、厚地の生地で台形の袴で、座っている形だ。
 その対角の後方は裾になり、両サイドの角は袖の表現になる。それだけで優雅な十二単だ。おすべらかしは黒の木綿糸なのだが、いかにもそれがキュートで気品さえ感じられる。
 男雛は烏(え)帽子を被り、しゃくをもって威厳がある。

 昨年(平成二十六年)、このようなK子さんの独創的で、すばらしい作品群は本にまとめられ、出版された。
 K子さんの説明では、処分しようとしたタッパーを、何かに利用できないか、と考えつかれたのが契機で、布を扱われるようになられたとか。そのタッパーはカラフルな色彩のアフリカ布で包(くる)み、おしゃれな小物入れに変身していた。
 別珍やカシミヤなどの生地の袋物などにはポイントにビーズを抽象画のようにあしらったり、紋章のようにまとめたりと、目を見張らされるハイセンスな作品群が載(の)っていた。
 プライベート・ブランドになるのではないかというのが、私の感想であった。
 ずーっと以前のこと、インテリア関係の雑誌に、K子さん宅の室内の写真が掲載、紹介されたことがある。各部屋の室内意匠のセンスの素晴らしさが雑誌社の目を引いたのかもしれない。
 ページを開くとその部屋はゲストルームなのだろうか?
 素敵なグラスが並んでいる戸棚があり、その脇に腰丈のチェストが置いてあった。その上に水盤が置いてあり、なんという植物なのか、茎がまっすぐに立っている水草が活けられていた。
 その写真上から涼と、凛とした空気が伝わってきたのを今でも覚えている。
 また、別の部屋のチェストの上に、和紙に書かれたかな文字を背に、送って頂いた同じ作りの内裏雛が飾ってあった。雅で愛くるしく、自然に頬が緩んできたのを覚えている。
 雑誌には部屋のカーテンの写真もあった。目の粗いざっくりとした布地を真ん中でまとめ、下部をたくし上げている。その空間から、K子さんの思い入れのある緑の庭が目に眩しく映えて見えたのが思い出される。

 ときに、私の後輩である友人、S子さん宅で古い蚊帳を脱色して間仕切りに利用されていたのを拝見し、なかなか風情があったことを思い出した。
 私も真似て、蚊帳をカーテンにしてみようと、物置に眠っている蚊帳を取り出し漂白してみたがうまくいかない。結局S子さんに助けを求め、漂白していただいたのだが、本来の麻の美しい生地に生まれ変わってきたときは大感激であった。
 私は吊ったままのカーテンに仕立て、おおいに自己満足であった。生成りの麻地は色やけしていまでは薄茶色になってしまったが、それはそれでいい風合いだと思っている。
 K子さんにしても、S子さんにしても独創的で感性豊か友人たちである、私は大いに刺激を受けるのだが、私は感嘆するばかりでなにもできない。
 私は送られてきた内裏雛を手のひらに乗せ、嬉しい、を連発しながら、飾る場所を考えていた。
 もう一人の私が呟いていた。『やはり、私に身辺整理はできない』と。