同 級 生              
                   石川のり子

 久しぶりに太陽が顔を出した9月最後の日曜日、私は一年ぶりに目白駅に降り立った。 時計を見ると11時を回っている。M子さんとの待ち合わせは11時である。すぐに到着した旨をスマホで連絡すると、目白通りを駅に向かって歩いているとのこと、私も講習会場の日本女子大学の方角に歩き出した。
 出会ったところで、おしゃべりしながらM子さんの行きつけのレストランへ向かった。
 お店の人気メニューは「松花堂弁当」で、美味しいし値段も手ごろ、ご飯がお茶碗に7分目くらいのちょっと軽めだが、男性は平気でお替りをしている。
 食べながらお互いの近況を話す。M子さんとは中学時代の同級生なので、クラス会の写真を持参して、品定めもする。卒業してから60年も経っているので中学時代の面影はほとんど無いが、当時のエピソードを思い出して語り合う。頻繁に連絡をしないので、過干渉にもならず、程よい関係を保っている。
 しかし、何か行事があると知らせる。このたびの「都民の健康づくり運動」の講演会も彼女が文京区の日本女子大学の近くに住んでいるのを思い出して誘った。
 彼女には甲状腺の持病があり、高コレステロールの薬を飲み、眼科にも通っていると聞いていた。ちょうどその年は「体質改善の薬膳」だった。急に体質は変えられないだろうが、食事を見直すだけで症状が抑えられるかもしれない。
 私もそうなのだが、何となく体の調子が悪く、病院で検査してもらっても異常値が見つからない。医師からは「老化現象ですね」の一言ですまされて、納得しながらもすっきりしない。できたら老化による自分の体のバランスの崩れを、食事で見直し改善したいと願っている。そんなことを彼女に話すと、一人暮らしの彼女も「分かるわ、分かる」と言い、一緒に講演会に出席することになった。もっとも無料の講演会なのだが、快く参加してくれたのがうれしかった。主催の東京栄養士薬膳研究会の代表を姉がしているからだ。
 その日、4時に終了してから彼女のマンションに寄った。小ぎれいな部屋は3部屋あり、一緒に暮らしている次女は仕事が忙しくて帰らない日が多いとのことだった。
「私に似て猪突猛進型なの」と笑ったが、そういえば、M子さんも若かりし頃、旅行会社に勤めていて、突然、海外に行くと言って、我が家にお別れにきた。はっきり言わなかったが、どうやら好きな人を追いかけてスペインに渡る心積もりのようだった。
 彼はコロンビア人で、すぐに結婚したとのこと。15年後、中学生と小学生の娘二人を連れて日本に戻ってきた。当時のことは言いたくないと話さないが、日本語を全然教えなかった娘たちは慣れるまでたいへんだったらしい。
「よく登校拒否をしないで頑張ってくれたわ。その点は二人に感謝しているの」
 写真を見せてもらうと2人ともハーフなので美人で、子育ての苦労を聞いている私は、つい、
「モデルさんとか女優さんになったら、左うちわで暮らせるのにね」
 と、口を滑らせた。彼女はあっけらかんと、
「長女はスペインの大学時代に、バイトでモデルの経験があるけど、性に合わなかったみたい」   
 と、未練はないようだった。
 現在、外国の商社関係で翻訳の仕事をし、次女は日本でパートナーのフランス人と起業し、仕事は順調とのこと。私とは住む世界が違うので、もっぱら聞き役である。共通点は新潟の片田舎で机を並べて学んだことのみだが、気づかいをせずに何でも話せる友人だ。
 海外に渡ってから20数年経ったころ、銀座の松屋の地下で、偶然再会した。小一時間ほどカフェでコーヒーを飲んだ。
「あれから何年になるかしら? 東日本大震災のときは、甲状腺の持病のあるあなたはダブリンに避難したんですものね」
「そうそう、長女が呼んでくれたの」
「気軽にどこへでも行かれていいわね」
 そんなこんな話しているうちに、〈秋の日は釣瓶落とし〉である。我が家までは1時間半もかかるため、早々に辞した。

 別れ際に、同級生120人のうち27人も亡くなったことが話題になった。男性が圧倒的に多い。
「私たちは元気で長生きしましょうね」
 と、私が言うと、彼女はいたずらっ子のような笑顔を浮かべて、
「まだまだ恋もしなくちゃね」
 と、のたもうた。
 彼女のバイタリティーには、いつも驚かされる。