縁のゆくえ                
                  高橋 勝

 5、6年前、NHKのスペシャル番組で、無縁死として亡くなっている「消えた老人」がつぎつぎに見つかるという放送があった。それ以来ではないだろうか、無縁社会という言葉が広く使われるようになったのは。実際、民間のある統計によると、孤独で亡くなり、引き取り手のいない無縁死の人は、今では年間3万人余りに昇り、なかには名前さえわからない人が1千人近くいて、そうした人々は自治体によって火葬にされたり埋葬にされたりして、その数は増加傾向にあるという。
 今日、無縁社会とか無縁死などという言葉を目や耳にする機会が多いのは、少子高齢化の進行にともない、認知症に罹る高齢者の割合が増えたことも関係していると推測される。しかしこれらの言葉には、自分の死に際だけは誰にも看取られないはずはないと思う一方で、どこか淋しげな、自身の死の姿に目を向けることそのものを忌み嫌うような響きが漂っているようである。そうであるなら、こうした「縁」の付く言葉には、今日に生きる人々のもののとらえ方が逆説的に色濃く反映されていると考えることができるだろう。
 昭和22年施行の日本国憲法には、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するとの第24条があることによって、結婚する相手は個人の判断となり、「結婚しない自由」までが当然のように語られるようになった。このように現代人には、誰にも妨げられない自由が保障されているのであり、いかなる場面や社会においても自己主張をする権利があり、飽くことのない個人の利益や快適さを追求し続ける行動は善とみなされ、それらを実現することこそが幸福に繋がるとの思いが根づいているのである。
 確かにこうした理念が今の時点で広く成し遂げられているとしても、その一方で家族や隣人とのつながりが思うように持てずに苛立ちを抱いていたり、どこか日々の生活の間隙に虚しさを覚えたりすることがないなどとは言えないのではないか。無縁何々と命名するのは、実は現代人の不安心理を裏返しに顕現させているとも思えてくるのである。
 ところで、「縁」と似た言葉に「絆」がある。この言葉は、先の東日本大震災のあとでよく使われるようになったものと記憶する。その後のオリンピックや各種スポーツ大会で振られる日章旗や鉢巻きなどによく書かれているのをテレビ中継で目にすることがあるし、墓石に彫られているのも時として見かけるようになった。ちなみに辞書で調べてみると、「馬・犬・鷹などの動物をつなぎとめる綱」と出ている。つまり、「絆」とは「動物や人を束縛して動けなくする」という語源から転じて、友情や家族、あるいは学級や自治体や地域など固有の団結を強調できる「人と人、個人と団体、団体と団体の間における強い結びつき」といった意味として最近よく使われるようになったものと解釈できる。
 明らかに「絆」はお互いの強い結束を意味する言葉であるが、自然発生的に生まれるものというより、あくまで個人や団体が意識的に求めて得られるものであり、お互いに人と人とが求め合うことなしには存在し得ないところに特徴がある。例えば、「絆」の用いられる語句を調べると、脚絆、絆創膏などが見つかることからも、この意味合いが裏づけられるのである。一方で「縁」というものは、人間関係に当てはめてみれば、単に一人の意志によるだけではなくて、むしろそれを超越してしまう、まるで知らぬ間にどこからか風が吹いてくるような偶然性が介入してきて取り結ばれる、いわば運命の契りと言える。因縁、宿縁などの言葉からも分かる。
 今日、「縁」のつく文字が意図的に避けられている現象は、現代社会がこの偶然性を徹底して排除し、あくまでも自分の自由に選んだ意志にのみ価値観をおく風潮になっている証と言えるのではないか。それまでの、特に戦前までの日本においては、「縁は異なもの味なもの」ということわざが広く生きていたように、結婚にしても親の決めた相手に納得できなくても、それを運とあきらめて受け入れ、そのなかで自らが立ち上がり、前向きに精一杯生きてきた大部の女性達が見られることに思いを寄せてみると、そこには自身の人力を超えた、思いも寄らない縁の存在をわが身に引き受け、縁と一体となり、日々縁そのものになって自らの一生をまっとうする健気な人間の生きざまがあったことが知られるのである。このことは、ふと頭に浮かんだのだが、演劇の「女の一生」に通じるものがあると思う。
 この戯曲は、もともと森本薫が日本文学報告会の委嘱を受けて戦時中に執筆したもので、昭和20年4月の東京で空襲の合間を縫うようにして初演されている。その後、文学座の演目として取り上げられ、なかでも今は亡き杉村春子の当たり役として人気が高まっていく。主人公の布引けいは、その後何度か文学座の女優に引き継がれているが、今では通算1千3百回の上演に及ぶという。
 この戯曲が、今日、文学座の中心演目に限らず、日本演劇史の代表作のひとつになっているのは、主に女主人公の生きざまが戦後に生きる女性たちに深く訴えてきたからだと考えられる。戦争が終わったものの、夫を失い、女手ひとつで子どものある嫁は残った子供を抱えながら家業を廃れさせずに継続させなければならなかった。そうした時代状況の中で、試行錯誤しながら夢中で生きてきた自分の足跡がそっくりそこに投影されているのを見て、感動を呼び起こされ、かつての、そして今の自己を確認し、懐かしさと共に生への勇気を新たに湧き起こさせてくれているのである。そのことを凝縮してくれる布引けいの鬼気迫る台詞が思い出される。
 「誰が選んでくれたんでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの。間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ」

 今日の個人主義の世の中で、「私」は、吹き抜けの自由や物欲や権利を手に入れることができたのかもしれない。だが、それと引き替えに、それを超える偶然性のもたらす不思議な存在というものを徹底して除けものにしてきたつけが、今、心の鏡に垣間見て、無縁死と重ね合わさった己の真の姿がそこに映し出されているのに怯えているのかもしれない。