不安病
                 黒瀬長生
         
 先日、NHKテレビで不安病について放送していた。だれしも日常生活していると、大なり小なり不安の種を抱えているが、それを深刻に捉えて悩み続けるか、あまり気に留めず、そのまま放置するかである。
 この放送を観ていると、「不安」という文字がテレビの画面に大写しになった。そのとき私は、この『安』という文字を驚きで見入った。『安』はウ冠に女で、我が家に置き換えれば女房が家庭に居座り、すべてを取り仕切っていることだと気づかされたからである。そのことが、我が家をやすらかで、「安泰・安心」に保っているのである。
 今まで、この『安』という文字を、これほど注視したことはなく、平凡に読み書きしていたのだと反省しきりであった。
 女房は、ときに冗談のように言う。
「お父さんの両親は共に90歳で亡くなった。しかし私の母親は80歳だったので、私がお父さんより先に逝くのでは……」
 一般的に自分の寿命は、両親の遺伝だとばかりに、親の亡くなった年齢を目安にしがちであるが、まったく根拠のないことである。
 女房の言うように、そんなことが現実に起これば、私は女房が亡くなった後、7年間ほどは男ヤモメで老境の生活を強いられるのである。それを真剣に悩めば、まさに不安病になってしまうであろう。寿命は天命で、なるようにしかならないのだと割り切る以外にないのである。
 私達は結婚をして40年ほどになるが、私は女房に頼り切って今日まで生活してきた。家庭の日常茶飯事や自治会のことは勿論、預貯金がどこにいくらあるのか、ゴミを出す日はいつなのか、なども知らない無頓着な暢気(のんき)者である。
 女房は家庭を守り、私は家事に目もくれないサラリーマンである。我が家にとって、この『安』の状態がいつまで続くのであろうか。強欲かもしれないが可能ならば20年は続いてもらいたいと思っている。それくらい鷹揚(おうよう)にかまえる方が気楽で、不安病にもならないであろう。そして、多くの男性が願うように、女房より少し早めに私が旅立つのが幸せであろう。お先に失礼とばかりに……。

『奥さんを大事にせよと奥さんに先立たれたる友言いやまず』(中地俊夫)

 心打たれる歌である。夫婦とは元気なときは空気のようなものであるが、お互いいつまでも元気なわけではない。無理難題をいうのを控え、ときにはやさしい言葉をかけて、いたわる気持ちが必要な世代になってきたのである。
 女房は、専業主婦だが家に籠もっているわけではない。スイミングやエアロビクス、ボランティアなどで外出しがちであるが、私が帰宅するころには、何事もなかったように家事に専念しているのである。これでいいと思っている。

 この『安』の字に巡り合って異様な感覚になった。たしかに家の中に女房がいれば、家庭はやすらかである。それならば漢字の部首やつくりに、女を含んで構成された文字はどのくらいあるのだろうか、と思い浮かべてみた。
「好・汝・姫・始・努・奴・妊・桜・妙……」、まだまだありそうなので辞典で調べてみた。なんと「宴・嬉・怒・嫌・娯・婚・姿・委・姑・媒……」、など180ほどあることがわかった。
 それに比して、男を含んだ文字は思いつかない。辞典を引いても「勇・甥・虜・湧」しか出てこないのである。なぜ、男を含めた文字が、これほど少ないのであろうか不思議でならなかった。
 漢字は男性が作ったもので、女性を象形して作成したためであろうか。あるいは、古来より女性中心で物事が判断されていたためであろうか。漢文学者、漢字研究者は、この疑問にどんな答えを用意しているのだろうか、と興味の湧くところである。

 それにしても、我が家の『安』の状態が、いつまで続くか一切予測はつかない。しかし、少しでも長く続くことを願って止まないのである。60歳半ばを過ぎると、こんなことを考えるようになった。