不思議な光                          山内美恵子
 最近、老いが加速している感が否めない。
夫が不治の病を発病してからは、より加速を増す。絶えずからだのあちこちに、小さな故障が起きるようになった。
 老境は安閑恬静な暮らしをと、思い巡らしてきた。だが、予期せぬ夫の病気は、私の人生にも激変が生じ、長い間日課にしてきたウォーキングや、ジョギングもままならない。
 それらは、二十年前腰痛をきっかけに、自分の健康は自分で維持しようと始めたささやかな体力作りだった。いざ日課にしてみると思いの外長く続く。成果も上々だった。筋肉量が増し、ストレスの解消となった。
 しかし、中止を余儀なくされたとたん、筋力が衰え故障が絶えない。筋力の衰えた状態を、「サルコペニア」と言うそうだ。米国の研究者の提唱により、近年は日本でも注目され、高齢者の筋力作りに力を入れる市町村が多くなった。
 終日、夫の世話に明け暮れていると、あっという間に実りの感じられない一日が終わってしまう。後に残るのは、果てしない疲労と老化の加速であった。日々啓発もない本を読んでいるような虚しさを、介護の先輩でもある友人に話した。
「とにかく、暇があったら体を休めることです。そうでないと倒れてしまいますよ」
とのおことばをたまわる。時々友人のことばを反芻するが、ほとんど不可能に近い。
 
 平成二十五年一月、厚い雲に覆われた寒い日だった。その日は、鉛のようなからだを押し出し病院に向かった。夫の病室に入るや否や、倒れるようにベットに半身を横たえた。夫はリハビリ中だった。その間は誰も病室を訪れる人はいない。
 五か月に及ぶ病院への日参は、気ぜわしかった。からだは疲労困憊(こんぱい)しているのに、頭が冴えて眠れなかった。二度ほど帯状疱疹に罹ったため、食事にも細心の注意を払う。それでも疲労は改善されなかった。体力の貯金も底をつき、体重は二キロ減っていた。
 しばらくして、夫がリハビリから戻ってきた。夫に促がされ、いつもの時刻より早く病院を出る。外は雪催いの空だった。
 病院の敷地を抜けしばらく走ると、ハンセン病療養所「多磨全生園」がある。豊かなみどりに包まれた施設は、一つの集落を呈していた。めったに人に会うことはない。かつては、施設の中を一般の人が通ることは禁じられていた。今では車以外は通行が可能なため、毎日施設の中を横断して病院に通う。
 ハンセン病は、治療薬が開発され治癒する病気となった。しかし、入所者たちは長い間、人間としての尊厳も人権も奪われ、言い尽くせない偏見と困難にみちた悲痛の人生を強いられてきた。そんな入所たちの無念の息づかいが、静寂な森の中にこだましているような気がし、身を小さくして通行する。
 敷地の外れに、「ハンセン病資料館」がある。後にじっくりと見学させていただき、その苦しみを少しでも汲み取りたいと思う。
 「全生園」の正門の前は、丁字路になっている。交通量も激しい。信号待ちの間は自転車から降りて待つ。しかし、その日は立っているのも苦痛で、自転車に乗ったまま片方の足のみで支え、信号を待った。
 頭がもうろうとしていた。信号待ちがこの日ほど長く感じられた日はなかった。ほどなく私は、全身に強い衝撃を感じた。一瞬、何が起こったのかわからなかった。目を開けると、倒れた自転車の下敷きになっていた。かごの中の紙袋は破け荷物が散乱、衝撃の強さを物語っていた。
 どうやら私は、自転車に乗ったまま居眠りをしてしまったらしい。その瞬間、自転車から両手が離れ、コンクリートの上に転倒したのだった。こわごわからだを起こす。だが、どこも痛みは感じられない。ただ、頭部の損傷が気になった。この日に限って帽子を被っていなかったからだ。
 我に返った私は、全身から血の気が引いた。疲労とはいえ、老いの加速もついにここまで来たかと、やるせなさが身を包む。ケガをしなかったのが不思議でならなかった。
 胸をなでおろしながら、しばらく走り続けた。家の近くの緩やかな坂を上ろうとした時だった。右前方にオレンジ色の光の環が、くっきりと浮かび上がった。目を凝らすと、赤黄紫に彩られたその光の環はまるで写真で観る御来光のように輝いていた。
「何と美しい光だろう……」
 私はわれを忘れて見入った。まぶしさはない。目の錯覚ではないか、と何度も目を閉じたり開けたりを繰り返す。だが、光の環はしばらく消えることはなかった。
 とっさに私の脳裏に、聖心会シスター鈴木秀子氏が浮かんだ。氏は深夜高層の階段から足を踏み外し、臨死状態におちいり、至福の光に遭遇していた。「一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たこともないような美しい光に包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです」と、その時の光景を語る。
 それ以来、鈴木氏はご自身の膠原病が治癒し、他の人を癒す力をも授かったという。氏はその時の様子を、何冊かのご著書にも克明に記され、私の心にも深く刻まれていた。
 しかし、私は臨死状態ではなかった。修道生活の体験もない。光も氏のような至福の光とは明らかに違う。小首をかしげその場所に来ると、決まって口をついて出る、詩人、山村暮鳥の「雲」の詩を口ずさんでいた。
「おうい雲よ/ゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないか/どこまでゆくんだ/磐城平の方までゆくんか」
 素朴な詩だが、雲への呼びかけがほのぼのとして心が和む。暮鳥はわが故郷福島県のいわき市で、伝道師として活躍していた。白い雲を見ると私はつい、この詩を口ずさんでしまうのだった。この場所は十字路になっていて、見晴らしがよく広い空がよく見えた。
 その後、不思議な光のことはすっかり忘れてしまう。夫を個室に閉じ込めておくより、家に連れてきた方がリハビリになるような気がし、退院の準備に追われていたからだ。
 何人かの関係者の皆様に陋屋(ろうおく)に、おいでいただいた。その時、新人だという若いケアマネジャーが、
「毎日よく続きますね。私なんか一度病院に行っただけでも、疲れてしまいました」
 頬を紅潮させおっしゃった。私は老骨に鞭打ちながらの日々や、居眠りをして自転車から転倒し、妙なる光に遭遇したことを打ち明けた。そして、光の真意を問うた。
「あの光は一体何だったのでしょうか?」
「それはあなたを守ってくれたんですよ」
 すかさず、元看護師という年輩のお方が、身を乗り出しながら微笑まれた。するとケアマネジャーが、癒しの力を授かった鈴木氏のような恵みにあずかりたいと、
「私に山内さんのパワーをください。これから私の仕事がうまくいきますように―」
真剣な眼差しで私の手を両手で握りしめた。一同笑いを抑えきれず、どっと笑った。
 皆さんがおっしゃるように、私の前に現れたあの不思議な光は、私を守ってくれた愛の光だったのであろうか。そのおかげで私は、ケガ一つせずにすんだのかもしれない。
 光と遭遇して三か月後、脳のMRIを撮る機会があった。その折自転車から転倒したこと、夫の介護の身ゆえ、認知症になることは許されない現状を医師に訴えた。物静かな中年の医師は、再度パソコンから脳の写真を取り出した。しばらく眺め、
「だいじょうぶですよ。むしろ実年齢よりもきれいですね――」
 やわらかい笑顔を向けおっしゃった。やはり私は、あの光に守られたのだった。
 これまでの人生を振り返ると、確かに困難の多い人生だった。何度も不運に襲われたからだ。しかし、どんな困難な時でもどこかに必ず希望の光が漂っていた。そのせいか、私は不運を深く感じたことはなかった。
 しかし、私のおなかの中で死んだはずの息子が生き返った奇跡も、夫が四度も脳梗塞に見舞われながら生かされた奇跡も、大きな力によって守られた事実は明らかだ。
 おろか者の私は、その恩寵に思い至る術もなく、人生の黄昏まで生きてきた。そんな私にしびれを切らした大いなるお方は、光となって私の前にご出現あそばされたのである。私は深く恥じ入り頭を垂れた。
 そうだとしたら、私は何と温かい恩寵に浴しながら生きてきたことか。あの光は片片たる小事ではなかったことに、いまあらためて気づき喜びで胸がふるえた。
「人間のいのちは、科学で説明できる生物学的な生理現象として観測できる生命の側面だけで構成されているわけではない。精神性の側面があるのを忘れてはならない。人生の中には、実は因果律で説明できる出来事よりは、非合理的な瞬間の真実や、意味のある偶然というべき出来事の方が多い」
 ノンフィクション作家柳田邦男氏は、「数々の闘病記を読んだ結論である」と語る。いま思えば偉大なるお方は、私が失意の底に沈むたびに光ある窓を用意され、希望へと促し未熟な私に、深い人生を生きることを、お導きくださったのだった。 
 感謝の気持ちを深く胸に刻んだ私は、かつて感じたことのない熱い思いが湧き上がった。「こうしてはいられない。老いに甘えて精神まで老けさせてはならない」と、いう衝動にかられる。
 気がつくと、新緑の森に吸い寄せられように、かつての道を歩いていた。野も山もすっかりみどりに染まる。木々はそれぞれ生命力をみなぎらせ、風にそよいでいた。川のほとりの畑で人影が動く。日焼けした老夫婦が、菜花を収穫していた。
 久しぶりに、新しいいのちが育っていく姿を目の当たりにしながら、屋久島に移住し田畑を耕す、詩人山尾三省の詩が頭によぎる。

  風に聞け 季節の訪れを
  土に聞け 自然の恵みを
  海に聞け 水の廻りを
  空に聞け 宇宙の仕組みを
  我ら宇宙の申し子なれば
  風が 土が 海が 空が
  教えてくれるだろう
  安らかで明るく健康な一日を

 大自然の営みの中で生きた人らしい詩だ。句作のたびに「自然は私の偉大な学校」と、啓発されてきた私は、命令形の強く弾むようなことばに、ひたむきさを感じ心が揺さぶられる。詩人の直感のようなことばは、目の覚めるようなしぶきを浴びせられる。
 いつの間にか私は、みどりに包まれた民家の路地裏にいた。故郷の自然のふところに帰ってきたような気がした。木立のなかで、ウグイスがしきりにさえずる。しばらく耳を澄ます。頬を撫でるみどりの風が、しぼんだ心を膨らませ、清新の気を吹き込む。みどりの森は私の心の原郷を誘ってやまない。
 納屋の前でお腹の白い子猫が、前足をきちんと揃え私をじっと見つめる。その品の良さに声をかけてしまう。広々とした庭には、真紅のつるバラが咲き満ちる。竹藪のそばの、小川のせせらぎが耳に心地よい。
 九か月ぶりのみずみずしい季節の香りは、私の魂をゆり動かし、新鮮な感動に出会ったような感じがして、くたびれた私の心を一新させた。気ぜわしい日常から逃れ、心ゆくまで初夏の香りを満喫した私は、
「これからは、大地のようにどっしりと、風のよう爽やかに、空のようにおおらかに、いのちを弾ませて生きよう――」 
 そう自分に言い聞かせる。何かがはじけたように、足にも力がみなぎる。それまで私の心にうごめいていた、老いの加速も老老介護も気が軽くなった。
 人生の黄昏を迎えながらも、健康を与えられ介護という、かけがえのない「仕事」を授けられたことを感謝した。そして、私を必要とする家族があり、向き合って暮らせる幸せをかみしめる。

 久々にふくよかな心持になった私は、至福を感じながら、あかあかと染まった夕焼け空を、ゆっくり眺めた。