銀山温泉
                中井正彦

 ここ数年間、家を空けての遠出はほとんどなかった。
 体調があまりよくなかったこともあるが、年齢のせいで腰が重くなったのである。
 体を動かして何かをやろうとしても、体は重いし、体のどこかに不具合を感じて動作が鈍くなる。物事を考えるにしても明るい考えは浮かばず、マイナス思考に向ってしまう。
 平成二十四年の正月であった。
 帰省した息子が、元気のない親のようすを見かねたのか、
「今年の五月の連休は、みんなでどこかに出かけましょう。行きたい所があったら計画を立てるから……」
 そうか…。私の行ってみたい所は山形県の銀山温泉である。しかし、有名地ともなれば旅館の予約が取れるか、どうかであった。
 インターネット上では、どこも満室であった。知り合いの旅行会社に探してもらうと、一部屋だけ空いている旅館がみつかった。

 銀山温泉については、十年ほど前のことと記憶しているが、アメリカの女性が若女将として働くようすと共に、温泉の風景をテレビで放映された。
 それから三年ほど経った大晦日の夜であった。雪の降る中、儚(はかな)げなガス燈が点る温泉街の風景や、そこで年越しをする人人の様子が再び放映された。それは時代を超えた別の世界のように思われる素晴らしい映像として、私の脳裏に残った。
 その後、NHKの連続テレビ小説「おしん」の舞台になるなど、すでに全国的に脚光をあびているようである。

 五月の連休のその日は快晴であり、予定どおり目的地へ向った。
 飯坂インターから東北自動車道を北へ走り村田ジャンクションで山形自動車道に乗り換えた。東根インターで降りると、その後はカーナビを頼りに目的地の尾花沢市へ向った。
 雪の尾花沢として知られているが、尾花沢は紅花の産地として有名であり、松尾芭蕉が奥の細道の道中、十一日間滞在して句会を行ったことでも知られている。

 銀山温泉の歴史は古く1456年に銀山が発見され、同時に温泉も発見されたのだそうだ。
 その銀山は1689年には廃山になり、廃山と共に利用者が次第に少なくなった。
 大正二年には銀山川の大洪水で温泉の湧出量はますます少なくなり、利用者もますます減って心配されていたが、大正10年には銀山川に発電所が造られて復興の足がかりとなった。 
 昭和元年には温泉ボウリングで高温の湯が多量に湧出した。旅館は三,四階建ての洋風に建て替えられた、という。
 更に戦後は旅館の外観を洋風から和風の風情ある街に様変わりさせて、観光復興に努力したものと思われる。
 温泉街のいちばん奥に位置している私たちの宿から、温泉街の中心まで出かけるのに徒歩で二十分ほどであった。
 温泉街の奥に銀山の廃坑があり、その入り口まで行ってみたが、坑道を歩いてみる元気はなく、辺りを眺めただけで温泉街に戻り、ぶらついた。
 温泉街のガス灯は、すでに点されていて、銀山川の両側に建てられた三,四階建ての旅館の風情は、あの大晦日の夜にテレビで見た雪の中の大正浪漫時代そのものの情景であった。
 宿の裏山には、まだ残雪があり、やはり雪国なのであった。
 久方ぶりの遠出であったが、銀山温泉を訪ねて、感慨無量の心境に浸ったのであった。