〈エッセイ〉
    『ゴッホの手紙』を読んで 
               高橋 勝

 昨年の夏、『小林秀雄 学生との対話』(新潮社刊)という本を読んだ。だいぶ前に買っておき積読しておいたものの一つなのだが、ずっと気になっていたため、時間が取れたので手にしてみたのだった。
 この書籍は、この作家が夏の合宿で学生を前に講演と質疑応答をしたものを筆記してまとめたものである。最初はカセットで販売されていたのを全て購入し、まるで難解だがひどく心地好い音楽みたいに繰り返し聴いた。その後暫くしてからCDで再発売になり、すべて購入し直したものを改めて引っ張り出し、今回の読後感がどこか久しく忘れていた感覚を蘇らせてしまったので、最後の第8巻まで最初から全て聴き直した。
 この一連のCDに「ゴッホについて」と題する講演も混じっていて、講演場所も日時も不明とあり、初めて聴いたように思うのだが、殊のほか感動したので、今度は『ゴッホの手紙』(小林秀雄全集・新潮社刊)という、同作家の作品を読んでみた。
 ゴッホについては、ただ、複写絵は昔から何枚か持っていて、ゴッホが自分の部屋を描いたものや、ジプシーの一団が牽き馬を休ませ、あぜ道に流れる水を飲ませているものは仕舞ってしまったが、椅子に座った赤い洋服を身につけた日本の少女像は、今でも部屋に掛けてある。だが、この画家がどのような生活を送り、いかなる精神で、自殺するまでにいかに絵を描き続けたのか、といったことについてはまるで知らなかった。今回、この本を読んで、遅ればせながら、そうした一片が自分なりに理解できたように思い、感銘を受けた。
 この書物には、著者がゴッホの精神について分析したつぎのような箇所が見られる。
 ―「確かに、貧乏がゴッホの画法を決定するのだが、要するに、環境が人を定めるといふ事には、言つてみれば夏には人間は汗をかくといふ以上の意味はないのである。彼は、ボリナージュの炭坑で、理想といふ自己欺瞞者の汚らはしい口実を、きれいさつぱり放棄して以来、経験からのみ学ぶ徹底した現実家が成長したのであるが、経験が、思想を狭くするといふ様な事は決して彼には起こらなかつた。彼の狭い経験は、彼の精神の徹底的な分析や推論の材料であり、その故に、其処にはいつも或る普遍的な意味が現れるのであつた。農夫といふ一つの端緒を掴む。それからひと筋に果てまで歩かないと彼は止めない、農夫は、人間といふものになり、百姓絵は、絵といふものに溶け込む地点まで。これが、この画家の極めて貧しい所有物の裡で、いつもはち切れさうになってゐた大画家の精神なのである。」
 ここで著者は、単なる主観的な理想という観念が信じられず、経験から学ぶ姿勢に変わったことに触れ、自己の経験するものがいかに限られたものであっても、その生(なま)の経験をありのままに表現するのではなく、謂わばその在りようを徹底的に分析し、推論することによって、より高次の、普遍的な意味へと変貌させてしまう精神の働きが、ゴッホのなかに生きていたことを指摘している。
 では、ゴッホはこのことを手紙の中でどのように表現しているのか。著者の限られた抄訳の中にも、ゴッホの実践している様々な分析や検証、推論が見られるが、ここではその一例を引用してみたい。
 ―「此処の蝉の写生を同封で送る。此処の暑熱の中の蝉の歌は、故郷の田舎の炉辺の蟋蟀(こほろぎ)の様に、僕には楽しいのだ。さゝやかな感動が、実は僕等の人生の大した隊長(キヤプテン)だ、僕等はそれと知らずにこれに服従してゐるのだ、ねえ、おい、もうこれからは、それを忘れない様にしようぢやないか。重ねて来た過失に、これから重ねねばならぬ過失に、又しても打勝つ勇気を持つ事、つまりそれが僕の病気の治癒といふものに違ひないのだが、それが未だ未だ僕には困難なものであらうとも、僕等の不機嫌も僕らの憂鬱も、いや僕等の善意や常識の感情も、僕等の唯一の案内者ではない、といふ事、特に僕等の最後の防壁になるものではないといふ事は忘れまい。(以下省略)」(No.603)
 この手紙は、ゴッホにとってただ1人の心の友であった弟テオに宛てたものの1通である。ここでゴッホは、自分の病気の治癒における唯一の拠りどころは、「ささやかな感動」であり、不機嫌や憂鬱や、善意や常識の感情ではないと述べている。これは、ゴッホにとっては、「(省略)僕が恢復するなら、それは仕事のお蔭だといふ事になるだろう。仕事は意志の力を強めてくれる、心の弱さに捕へられぬ様にしてくれるからだ」(No.602)とあるところから、病気を回復させるには、仕事としての絵を描くことであり、その前提として必要不可欠なのはささやかな感動であるという意味である。そのために彼は、絵筆を持って外に出る。麦畑の広がる田園であったり、舟の浮かぶ海辺であったり、入院している病院の庭であったりする。そこで得られる感動があって、それを絵画というフォームに表現していく作業があり、そうした労働が自分を救ってくれることを述べている。
 なお、右に記したゴッホの病気について、著者は先に記述した講演でつぎのように語っている。「ゴッホは、絵を画いているとき、突然、発作が起きて獣のように倒れると書いている。俺は正気のときだってとても風変わりな人間だったのだ、自我の強い、妥協心を知らない、個性の強い人間だったのだ。俺ほど自分の個性にこれくらい悩まされた人間はないんだ。
 個性の強い人物だったため、牧師はダメだった、家庭教師もダメだった、恋愛もダメだった、弟とも会うとうまくいかなかった、ゴーガンともうまくいかなかった、みんな俺の個性のためだ、なんと俺はこの個性を捨ててしまいたかっただろうと。最後において俺の1番個性的なものは何かというと、俺の病気だ、俺の気違いだ。あれほど自分にとって個性的なものはなかったけど、俺はあれと闘ったのだ、どうかして闘って正気になろうとしたが、ついにダメだったので自殺してしまったのだ、こういうふうにゴッホが答えたら誰も反対できないだろう」。ここからは、精神分裂症の発作である持病に加えて、個性の強烈な自分をいかにも乗り越えようとする強烈な思いがゴッホのなかにあったことがうかがえる。
 ゴッホが持病である〝気違い〟に向き合う精神的姿勢の背後には、以上より、精神分裂症という持病があったがゆえに、発狂への対応の在り方のなかに、逆説的に、倫理的な意志が明らかに内在していることを透かして見せてくれていると考えられるのだ。ゴッホは、明確な言葉で表現することはないが、明らかに「人間いかに生くべきか」という自身への問題が、結果として、そこには一貫して存在していたのである。
 この問題は、夏目漱石以来、日本近現代文学の根源的なテーマであり続けている。個人的にもそれはどのような思想であり哲学なのかと、学生時代、漱石の作品を一通り読んでみたり、研究書を探ったりするなど、この問題を文学的に深く追求した作家には漱石しか居ないと思い込んで、没頭する時期もあった。漱石の場合、この課題に対して、最後に「則天去私」という短いフレーズで示してくれたのだが、全体の作品への理解が行き届かなかったせいだが、何か高尚な理念のような気がして、自分には絶えず遠い存在のように思えていた。
 漱石未完の小説『明暗』に登場する清子の生きざまに、この理想形が象徴的に描かれていると言われているが、なるほどここに漱石の最後に到達した理想的境地があったことは疑いない。そのことを、改めてここで短く検証してみたい。
 まず、『明暗』のあらすじをネットで検索すると、つぎのように記されている。
 ―「主人公の津田由雄とその妻お延は半年前に恋愛結婚したが、2人の生活はどこかぎくしゃくしている。お延は津田からの「愛」を得ようと日々奮闘しているが、津田は妻の技巧じみた所作を、少し気味悪く思ってしまうこともある。金銭問題などの様々な問題を抱えながら夫婦は二人で暮らしているが、あるとき津田は上司の妻(吉川夫人)に唆され、以前交際していた女性(清子)の元へ、お延に内緒で出かけてしまう。津田と清子が再会して間もなく、この作品は作者死亡のため未完で終わる。津田とお延、そして彼らを取り巻く様々な人間関係と、それぞれの人物の思惑が複雑に絡み合う様子を、巧みな心理描写を用いて描いた作品である。」(夏目漱石『明暗』における「愛」について 葛西紗弓)
 テーマとしては、随分以前に読んだのでくわしく覚えてはいないが、概ね、次のようなことだったと思う。お延の「技巧」に飾られた「我」の世界と対照的に描かれるのが、清子の「大きな自然」に従って生きようとする姿である。「大きな自然」に従って生きるとは、自分(我)に捕らわれたり、世間の掟に縛られたりすることではなく、自然に生かされて生きる生き方というものである。「なるようになって生きていくだけよ」といった言葉を口にする清子の、この宇宙的とも言える大きな自然体で生きる生き方こそが、「則天去私」の在り方であり、他人本位ではない自己本位によって、こうした生き方を積極的に生きようとする姿である、と言われている。
 いずれにしても、天に則して私を去るとは、天上界に住まわれる神様や仏様みたいに清らかな心を手に入れて人間関係を生きることであり、そのためには我欲に捕らわれず、強い自我を抑えて主体的に生きることが肝要であるということだと、自分なりに一種宗教的な教えとして理解してきた観がある。しかし、神仏に縋らずして、我欲はいかにして去ることができるのか、自力によって強烈な自我はいかにして抑えることができるのか、天や大きな自然に従って生きるとはどうすることなのか、などといったことは理屈では分かっているつもりでも、具体的な場面でいざこうした境地を獲得することは極めて難しく、到達できた実感など得られたためしなど果たしてあったのかなという念ばかりが今にして残る。
 再び『明暗』に戻ると、清子の生き方の意味することは、理念としては理解できても、いかにしてその理念を実現しているのか、その在り方が具体的に描かれたり、論じられたりしていないため、自身でも分からなかったのだと思う。それゆえ、清子はいかにしてこうした境地を身につけたのか、それとも生まれつき自然な人格として備わっていたのを失わずに保っていたのだろうか、作品からは明確な指摘は見られないが、漱石が、若いときから漢文に親しんでいて、そこで学んだ老荘思想や道教等、中国古典から影響を受けていた理念を、清子という1人の女性に託すことで、意識的に身につけさせられていたのではないかという想いが残っている。
 だが、今回、ゴッホの生き方の一端に触れ、ゴッホはまさにこれを自分のものにしようと、死にもの狂いで生きようとしていたことが分かる。ここには生き方の理念などはない、ただ生活や労働を通じての実践だけがあった。それによって自分の病を何とかして乗り越え、自らの個性を克服するための、意識的な追求と、飽くなき行動のみがあった。このことが理解できただけで、今までの、人生、いかに生くべきか、という倫理的な課題に対する、脳髄に薄く雲の掛かったような状況は、吹き飛ばされた思いがする。
 要するに、自分にとってのこの近代文学の大きな課題は、何時からか、もっと一般の人々が、日々の生活や労働に根差したところから、やむに止まれず生まれてくるものではないかと考えるようになっていったのだが、そのことが、確かめられた思いがする。具体例を挙げるとすれば、子供があるテーマのもとに作文を書かされるとき、ありのままの思いを綴った作文を提出したところで、先生には分かってもらえるはずがないと思ったとき、彼は、子供心にも、止むにやまれず白紙で提出するか、他の題材を見つけて、何か他のことを書こうとするだろう。ここには、既に、いかに生くべきかという倫理的な姿が看て取れるのである。