ゴミ屋敷
            中井和子


 ある日、私宛に差出人不明の手紙が届いた。何やら嫌な感じがした。開封すると一枚の白い紙に『お宅の貸家がゴミでいっぱいになっています。言わばゴミ屋敷です』とだけ書いてあった。私は仰天した。
 その貸家になっている建物は、二十数年前祖父の遺産で建てたのであった。祖父は五人の子どもたちに先立たれていたので、その孫たち三十五人に遺産が分けられた。祖父が先祖から守ってきたものを切れ切れにしてしまった、という感傷から、私はその一切れを形にしておきたいと思った。
 そして、市内に分譲地を買い、家を建てた。私の隠れ家ができたようで嬉しいのであったが、空き家にしておくと建物が傷む、と言われた。しかしそのころ、私には古里にいる夫の両親や、単身赴任していた夫の世話などで、建てた家を管理している時間はなかった。貸家にして、不動産会社に管理を依頼することにした。
 貸家は主に会社の借り上げ住宅として利用されてきた。私は無責任なようだが、入居の方と会うこともなく、管理をしてくれるYさんから報告を受けるだけであった。
 そして、現在入居中のAさんはある会社の社員で、十年前家族と共に関西から赴任してきたという方だ。
 管理を委ねているとはいえ、投書の手紙がきては、家主としての責任上、ゴミのようすを確認しておかなければならない。私は出かけていった。車で貸家の前を通る。外観からは何も見えない。ブロック塀の内側をのぞいてみると、壊れた台所用品や傘、玩具などの不燃ゴミが鍵型に塀に沿って塀の高さに積まれていた。
 どうして不燃ゴミ収集日に出さないのだろう、と私は不思議だった。私が収集日に来て運んでやりたい、という衝動に駆られた。庭の片隅には砂場とブランコが設置されており、小さいお子もいることを知る。私は車から降りることなく、道をぐるりと廻った。向い側の道路の家屋と家屋の間から貸家の居間のようすがちらと見えた。障子紙はぼろぼろに破れ、障子の桟(さん)もあちこち折れていて廃屋であるかのように無残であった。三人の子どもたちの元気があり余ってのことであろうかと推察しながらも、私は衝撃を受けて帰った。
 そうしたある日、市から、貸家のある地域が浄化槽切り替え工事をする報らせが、家主である私の方に届いた。
 私は、その工事説明のパンフレットを持って貸家に出かけた。十年にして初めてお目にかかる。
 相変わらず塀の中は不燃ゴミでいっぱいだ。私はちょっぴり緊張しながら玄関の呼び鈴を押した。返事がなかった。念のためドアの取っ手を回し引いたら鍵がかかっていない。無用心な、と思いながらドアを開けると、いきなり、あと数十センチで天井に届くと思われる部屋いっぱいのゴミの山が私の視線を遮った。ゴミの山の中央にはうっすらと凹みがあって、通り抜ける箇所なのであろうか。テレビで見ていたゴミ屋敷そのものだった。動転した私は声もかけずに、数秒のうちにそのようすを目に写すとドアを閉めた。家の中からは物音一つ聞こえなかった。私は見てはいけないものを見てしまったように、ゴミ箱のようになっている郵便受けにパンフレットを入れると、そそくさと車に乗り帰途に着いた。
 子どもたちは、あのゴミの中でどんな思いをして生活しているのだろうか。衛生上の病気にはならないのだろうか。どの部屋で寝ているのだろうか。二階だろうか。
 私は帰宅すると、管理しているYさんに電話をした。Yさんは、
「承知しています。些細な用事でも呼び出されてAさん宅へ行っていましたから、家の状態はわかっております。行くたびに片付けてください、掃除をしてください、と言ってくるのですが、だめなのですよ。病気だと思いますね。でも契約は会社になっているのですから、心配はしておりませんが……」
 彼もお手上げの風であった。
 そしてその夜、当のAさんから私に電話があった。
「パンフレットをありがとうございました。まだ、半年先の話ですが十一月に越すようになります。工事は私どもが越してからにしてください」
「わかりました。そのようにいたします。ところで、奥さんは知らない土地でお友だちがいらっしゃらなかったのでしょうか? 家がゴミだらけになっていましたし、私でもお話相手になって差し上げればよかったのかな、と反省していたところです」
「いや、ありがとうございます。でも、そのようなことではないのです。友人は私より多いくらいいるのですよ……。私は結婚を失敗したと思っております」
「そんな。そのようなことはおっしゃらないでください……。ただゴミだけは始末していただきたいのです。梅雨に入ると臭うようになりますから」
 Aさんは無言であった。
 奥さんという方は、Aさんのことばから、そして、Yさんの証言もあり、私が考えていたような単純なストレスからの依怙地とか、ため込み症ではなく、より深刻な発達障害の一つである注意欠陥、多動症候群の人だったのだろうか。
 ともかく、私はご近所にも迷惑をかけることもなくなると、ほっとしたのであった。
 十一月に入り、Aさんは定年退職で四国へ越されていった。お子が小さかったのは、奥さんがとても若い方で、親子ほどの年齢差がおありだったとか。
 それからの建物の手当てがたいへんであった。ゴミはトラック十台に及び、縁の下を清掃してシロアリ駆除の施工をした。幸い家の土台の床や柱などの骨組みは無傷であったので、壁や建具、床、畳、水まわりをすべて新しくした。建て替えたようなものである。
 工事が終わると、私は夫と共に向こう三軒両隣へ、ご迷惑をかけたお詫びのご挨拶回りをした。悪臭などで、毎日どんなに嫌な思いをなさったことか。もちろん、私たちはご近所の皆さんとは初対面であったが、気持ちのよい方たちばかりで、私はここに引っ越してきたい、とさえ思ったほどだ。
 現社会で、ゴミ部屋、ゴミ屋敷が増えているそうだが、何が原因なのだろうか。
 『もったいない』時代に育った私も、形あるものはなかなか捨てられないでいる。つい、物を重ね置いたりもする。それがゴミ屋敷の始まりなのだろうか。
 最近では、「ゴミ屋敷、ゴミ屋敷」と、私は呪文のように唱えながら片付けている。