八月一日       
           羽田竹美


 平成十年八月一日、この日は忘れようとしても忘れられない日である。
 夜九時、電話が鳴った。
「もしもし、羽田Aさんはお宅の息子さんですか?」
「はい、そうですが」
「今、交通事故に遭われました」
「えっ、それで、息子はどうなったのですか? 何にぶつかったのですか?」
「トラックにぶつかりました。頭を怪我しています。意識はありません。詳しいことはわかりませんから、また連絡します」
 ああ、もうだめだ。Aが死んじゃう……私は足元から力が抜けていった。震える手で受話器を握り、長男と姉のところにやっと電話をかけた。
「しっかりするのよ!」
 姉の声が遠くの方から聞こえていたが、私は自分が自分でないような、どこにいるのかわからないような夢の中に座っていた。
「お母さん! お母さん! しっかりして!」
 長男の声に、はっとする。
 第二報が警察から入る。
「今、都立広尾病院に搬送しています。意識はもどりました」
 そして、四十分後の第三報は病院からだった。
「頭部のCT検査、内臓の検査、体じゅうのレントゲン検査を行いましたが、異状はみつかりませんでした。集中治療室にいますので、すぐお出かけください」
 長男夫婦と一緒にタクシーで病院に行くと、姉と兄夫婦が来てくれていた。集中治療室のベッドの上で次男Aは上半身裸でボーっとしていた。  
 警察の話だと、車線変更したAの車に右斜め後ろから十トントラックが八十キロのスピードでぶつかったのだ。車はすぐに止まらず、トラックに押されて縁石にぶつかってやっと止まったという。Aはとっさに助手席の下に頭を突っ込んで気を失った。頭に擦過傷を負い、打撲だけで助かったのはまさに奇跡だ、と警察官に言われた。四年前に亡くなった父親が守ってくれたとしか言いようがない、そのくらい大きな事故であった。
 Aは中学時代から陸上部で走っていた。高校では四百メートル走を得意とし、東京都大会ではメダルをいくつももらっている。大学でも競争部で毎日トレーニングをしているため筋肉はしっかりついていた。体脂肪は一桁(けた)だったようだ。瞬発力もあったのではないだろうか。それになにより、助手席に人を乗せていなかったのが幸いであった。
 小さいときから車が好きで、どんな車でも一目見ただけで名前を言い当てるほどであった。大学が決まってすぐに免許を取った。取るとすぐ、障害者の私の車を乗り回していた。昼間は私が使うので、夜になるといつの間にか出かけていく。夜中の三時ごろ帰ったこともあり心配していたが、まさかこんなことになるとは……今、思い出しても足が震える。
 免許も一か月かからないで取ったと得意げだったし、私の慎重過ぎる運転をばかにしていた。車線変更ばかりしてスピードを出す運転に、私は少し気になっていたのだ。

 Aは次の日に退院した。背中と腰に湿布剤を貼って、頭には網包帯をかぶってであった。 だが、ドクターはきびしい顔で言われた。
「今は何もないかもしれませんが、頭の中の毛細血管が切れていたらじわじわ出血しますから、何かあったらすぐ連絡してください。一か月は安静にさせておいてください」
 一か月後に脳波検査をしてみるまで予断は許せないという。
 
それからというもの、心配で退院したAの部屋に夜中にそおっと入り、息をしているか手をかざしてみた。静かな寝息に安心すると、私は足音をしのばせて自分の部屋にもどるのであった。
 一か月経って、脳波検査が異常なしと出て、やっと本当に安心できる日がやってきた。
 新車も購入できて、これでやれやれと思った矢先にAが、
「新車を運転して友達を横浜まで連れていくことにしたから」
 と、言った。まるで事故なんかなかったような顔をしてである。あんな大事故を起こして私を心配させたことをこの子はなんとも思っていないのだ、と感じたとたん、私の今まで抑えていた箍(たが)がことんとはずれた。ホロホロと涙がこぼれた。
「あなたは……お母さんがこんなに心配したのが、ちっともわかっていなかったのね……」
 Aはびっくりしてしばらく無言だった。が、その後、低い声で言った。
「ごめんなさい。心配かけて。今までどんなに高慢だったかがよくわかった。すみませんでした」
 あの事故はAを大きく成長させたのだろう。
 今年、よい伴侶を得て私のもとを巣立っていった。
 がらんとしたAの部屋に入ると、あの日の思いがこみあげてくる。幸せになって欲しいという願いとともに。