花 束
                   石川のり子

 ユリ、バラ、オンシジュームといった豪華な花に、緑の葉のレザーファンをあしらった生け花が、玄関の下駄箱の上に飾ってある。
 青銅の大振りの壺に、ただ無造作に入れてあるだけなのに、私の心を豊かにしてくれる。
 
 私は9月30日で2年半勤務した学童保育の指導員を辞めることになっていた。
 3時半のおやつを食べた後、20人の児童の前で、
「じつは……先生は今日が最後です」
 と、告げた。
 事前に知らせていなかったせいか、驚いた40の瞳がいっせいに私を凝視した。私は一人ひとりの顔を見ながら、噛んで含めるように言った。
「みなさんのおばあちゃんがお家にいるように、65歳になったので、お家にいることにしました」
「えっ、先生は55歳じゃなかったの?」
 3年生のシン君が頓狂な声をあげた。4人の指導員はみな同じ年齢だと思っていたようだ。私は彼の方を見てうなずき、急に緊張が解けてざわめき出した児童に向かって、声のトーンをあげた。
「みなさんは元気で、一生懸命勉強して、立派なおとなになってくださいね。みなさんのこと、いつまでも忘れません」
 すると、4年生のシュン君が、
「みんなで先生にお礼を言おう!」
 と立ち上がった。彼は学童保育が開設された2年半前から通ってきている。孫と同じ年齢の彼とは事あるごとに、褒めたり、叱ったり、慰めたりと、真正面から向き合ってきた。優等生の彼は卒業式などで、何度か先生との別れを経験しているのだろう。全員を起立させると、大声で言った。
「ありがとうございました!」
 1年生から4年生までの20人がいっせいに頭を下げた。私も一緒にお辞儀をした。さすが学校教育が行き届いていると感心した。
 腕白坊主でいつも手を焼かせている1年生のユウ君が、
「良い子になるから……」と目に涙を浮かべて近寄ってきた。自分のせいで辞めると思っているようだ。
「ほら、駆けっこしても、ユウ君に負けることがあるでしょ? 新しいイリヤ先生と仲良くしてね」
 後任の3歳若い指導員を見やりながら言い聞かせる。切り替えの早いユウ君は、「はい、わかりました」と、積み木遊びを始めた。

 あいにくの昼過ぎからの雨で、校庭に出られない子どもたちは、オセロ、トランプ、折り紙、ブロックでの物づくりと、にぎやかだ。譲り合うことができず喧嘩になることもあるが、指導員の仲裁を素直に受け入れてくれる。
 私はお迎えの保護者にも順次お別れを言った。62歳からの第2の職場は、引っ越し先の利根町に早く馴染むためもあった。敏感な地元の子どもたちは方言を使わない私を異質なものと感じたようだったが、すぐに心を開いてくれた。仕事は楽しく順調だったが、育ち盛りの子どもの相手ができるのは、65歳までと決めていた。
 別れが寂しくなかったと言えば嘘になる。保護者に連れられて帰っていく一人ひとりに、
「さようなら、元気でね」
 と頭を撫ぜ、小さな手を心を込めて握った。
 ヒロキ君は6時過ぎにおばあちゃんがお迎えにきた。外はすでに真っ暗になっていた。まだ3人残っていたのだが、ヒロキ君は仏頂面で、今まで遊んでいたブロックを、ぞんざいに片づけた。
「シン君に任せて、帰りなさい」
 私が言っても相変わらず返事もしない。こんなことは今までになかった。家庭がしっかりしているせいか、礼儀正しく、学童保育でも宿題を真っ先に終わらせる模範生なのである。ただ神経が細やかで、単身赴任をしている父親と会った翌日などは、同じ境遇の同級生に「お父さんがいなくても寂しくない?」などと訊いていた。
 その彼が、おやつの後、急に無口になった。繊細な彼の気持ちは察したが、無関心を装った。
 うつむいたまま「さようなら」も言わなかったヒロキ君が、30分後に再び現れた。腕に大きな花束を抱えていた。おばあちゃんに促されながら、赤い目を向けて小声で、
「ありがとうございました」
 と、差し出してくれた。私は目頭が潤んでくるのを必死でおさえ、彼の優しい気持ちをしっかり受け止めた。

 最後の日の花束は、私にとって最高のプレゼントだった。
 そして、それは指導員としての私への評価だと、花を見るたびに満ち足りた気持ちになった。