散 歩
                羽田竹美

 夏の暑い時期は私は血圧が下がり、上数値が百を割ると昼間ボーッとしてしまう。夕方になって少し気温が下がるころ、やっと元気を取り戻す。つば広の帽子とサングラス、足首には補装具をつけて散歩に出た。
 散歩という日本語は幕末に西洋人が目的を持って、てくてくと歩いているのを見た勝海舟が取り入れた言葉なのだと何かの本で読んだ。プロムナードという言葉を散歩と翻訳したのだという。
 私の散歩はぶらぶら歩きでリハビリという目的を持っている。昨年左膝を手術したが、今度は足首関節の軟骨がなくなるという関節症になった。
 膝の手術後、病院で膝より足首の痛みが辛かった。膝はすっかりよくなったが、両足の足首関節症の痛みが増した。しかし、痛いからといって歩かなければ筋肉が落ちてしまう。筋肉がなくなれば歩けなくなる。それで、この日も両足首をがっちり固定して痛みを緩和する補装具をつけて散歩に出たのであった。杖をつき、ゆっくりと転ばないように注意しながら歩く。近くに疎水の流れる遊歩道があり近隣の人たちがお世話をしているようで色とりどりの草花が植えられている。
 花が好きな私は一つ一つを愛でながら歩く。クチナシの黄ばんだ花を摘み取ると手の指にまで香りが広がる。桜並木の下には紫陽花が最後の青を残しながら緑へと移り、秋色アジサイへと変わりつつある。もうすぐ切られてしまうその花を何本かいただく。リビングの壁を飾るアートにしたいと思ったからだ。
 蝉の声が賑やかだ。虫取り網を持った三年生ぐらいの男の子が樹上を見上げながらやってきた。お母さんも見上げている。やがて、立ち止まってそっと網を木に近づけて蝉を捕まえた。うれしそうに男の子は網から蝉を出し、じっと見ている。羽や足を調べるようにさわっている。私に昔日の記憶が蘇った。生まれ育った家の中庭には赤松が一本あった。夏になると、蝉がとまってうるさいほど鳴く。私は手作りの網を使って必ず捕まえた。捕まえた蝉は籠に入れて、兄と数を競うのだった。ところが、今蝉を捕まえた子は籠に入れることなくパッと逃してしまった。「えーっ?」
 驚いた。籠を持っているのに籠は空のままであった。この子は私と違って蝉を捕まえる瞬間の喜びを味わっていたのだ。
「かわいそうだから」
 とつぶやいた男の子に感動して思わず声をかけた。
「えらいのねー」
 お母さんがにこにこして男の子に、
「おばちゃんが褒めてくださったわよ」
 男の子は私の顔を見上げてにこっとした。このお母さんはどんなものにも命があることを教え、その命の大切さをしっかりと教育しているのだろう。蝉ははかない命の話を聞かせているのではないかと想像して心はほっこりした。
 夕方は犬の散歩タイムだ。来る人も来る人も犬を連れている。元気な犬、年寄でヨタヨタした犬、大きな犬、小さな犬、みんな飼い主の大切なパートナーなのだろう。まるでぬいぐるみのような犬が来て、思わず、
「かわいいですねー」
 と声をかけてしまった。犬も私を意識して寄ってきて手を舐めようとする。飼い主さんはうれしそうに、「ありがとうございます」。真っ白でふわふわした毛がよく手入れされていて美しい。「女の子ですか?」「お名前は?」などと、少しお話をして別れた。
 桜並木がなくなってハンゲショウやツツジなどの茂る遊歩道が続いている。目黒川の疎水に大きな鯉が何匹も泳いでいる。その向かい側に遊歩道から入れる家の門扉がある。その前に黒猫が寝そべっていた。片耳が破れて垂れている。何かに咬まれたのだろうか痛々しい。どうもノラ猫のようだ。
 少し前ここを通ったとき、高校生の男の子が座り込んでじっと見ていた。猫は50センチほどの距離にいる男の子を怖がる様子も見せず穏やかに座っていた。今日も同じ位置にいる、私は、
「クロちゃん」
 と、話しかけた。門扉の前にお皿が置いてあって餌が入っている。この猫のために住人が置いたものらしい。
「クロちゃん、おなかいっぱいなのね。よかった、ごはんくれるところがあるのね」
 すると、猫はすーっと近寄ってきて私の前にごろんと寝ころんでお腹をみせた。
「あらっ、なでさせてくれるの?」
 私はうれしくなってそっと手を出した。ノラ猫でも人に慣れているらしい。ここを通る人にかわいがられているようだ。
 ひとしきりなでてから、私は又歩みを進めた。明るい遊歩道の両側に花がいっぱい植えられている。ハツユキカヅラ、黄花コスモス、百合、キキヨウ、ローズマリーの大きな株には薄紫の花が咲いていた。珍しいチョコレートの香りがするというコスモスがあったが囲いの奥で立ち入ることができない。匂いを嗅げず残念であった。ピンク色のアメリカノウゼンカヅラも珍しい。日当たりが良いせいか花をたくさんつけている。花の名前をたくさん知っている私でもわからない白やピンクの花が3~4メートルほどに続いて咲いている。又又、分からない花で悩んでしまう。帰ってから調べようとよくよく観察した。
 もう少し先まで歩きたかったが、足の状態を考えてユーターンしてもどる。1時間20分歩いて家に帰りつくと、早速先ほどの分からなかった花を調べた。たくさんの図鑑等の中からやっと見つけた花は白蝶草という名前であった。心地よい疲れの中で今日のたくさんの収穫を心の引き出しに大切にしまった。