初 釜
                石川のり子

 1 月8 日、午前11時40分、時間どおり向島の錦秋庵に到着した。
 茶事の始まる15分前には寄付(よりつき)で身だしなみを整え、足袋をはきかえ、扇子、服紗(ふくさ)、懐紙などを身に付けて、連客のそろうのを待った。
 初釜は新年早々のお茶事で、8日間のうちの初日とあって出席者はちょっと少なめの9人だった。メンバーはときどき研究会で顔を合わせる先輩の女性たちと男性が一人。みなさんは新年らしく付け下げや紋付の色無地を上品に着こなしておられる。
 私は淡い空色の地に小菊と椿の花枝の友禅染の付け下げに、母から譲り受けた白地に金糸と銀糸で末広がりを織り込んだ古い帯を合わせた。二重太鼓がよじれていたらしく、Iさんがさり気なく直してくださった。集った全員が扇子を前に新年の挨拶を交わし、お白湯をいただいた。
 席順は先生が決められて、正客(最上位の客)には大勢のお弟子さんに教えておられる70代後半のYさんだった。すでに席入りされている正客に扇子を前に挨拶して床を拝見する。新年にふさわしく青竹の花入れに、見事に垂れ下がった結び柳が入れられ、口元に紅白の椿が生けてある。掛け軸は「萬歳々々萬々歳(ばんざいばんざいばんばんざい)」と力強い筆で書かれてある。
 私が三年ほど前からお世話になっているこの教室は、息子である先生が母上から引き継がれて、今年で70周年とのことで、道具もそろっていて、組み合わせも素晴らしい。炉に掛けられた釜には牡丹と菊の模様があり、炉縁には蒔絵が施されている。棚は青漆(あおうるし)の爪紅(つまくれ)台子(だいす)で、杓立てには火箸、建水には蓋置が入れられて、総飾りである。
 9人が拝見しているうちに、湯の湧く松風の音が聴こえてきた。
 やがて亭主(先生)が襖を開けて、
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
 と、挨拶された。正客が、
「おめでとうございます。本日はお招きいただきありがとうございます」
 と応じる。次客以下8人には、
「新年を迎えられ、おめでとうございます。今年も変わらずお稽古に励んでください」
 とおっしゃる。客一同は扇子を前に丁寧にお辞儀をする。
「本来ならば、ここでお炭の点前なのですが、ご気分の悪くなられる方がおられますので、湯もよく沸いておりますし、濃茶を差し上げたいと存じます」
 亭主が引き下がると、半東が花びら餅の入った五段重ねの縁高(ふちだか)の菓子器をうやうやしく持ち出す。お菓子を懐紙にとって正客の合図でそろっていただく。
 厳粛な雰囲気の中で、亭主が濃茶を練り始めると、席中にお茶の甘い香りが漂い、幸せな気持ちになる。お茶事は濃茶をおいしくいただくために、空腹ではいけないのでおしのぎ程度の懐石やお菓子をいただくのだと伺っている。心をこめて練られた濃茶は一碗のお茶を数人で回し飲みするので、懐紙で飲み口を清めて回す。苦いとばかり思っていた濃茶が深みのあるおいしい味に変わったころ、お茶の楽しみに目覚めた。
 たっぷりの抹茶を先生が心をこめて練る初釜のお茶は格別おいしい。濃茶の茶碗に添えられた出し服紗は、今年の干支の未の絵柄である。三人ずつ三回に分けて抹茶が練られる。飲み終わった茶碗は拝見して、座は和やかな雰囲気になる。
 お点前につかった茶入れ、茶杓、仕服は亭主が服紗で清め、拝見に出してくださる。正客が代表して窯元や作者や銘などを尋ねる。  

 足が痺れてきたころ、「座立ちをして足を伸ばしてください」と、亭主にいわれ、正客から茶席を出る。ほどなく、「時分どきですので、粗飯を差し上げます」と、知らせがある。時計を見ると、一時半を回っている。
 亭主が飯椀と汁椀と向付(むこうづけ)をのせた膳を持ち出し、正客から順に手渡しする。9人に渡ると、「どうぞ、お取上げを」との挨拶があって、給仕口が閉まる。
 正客から「いただきましょう」と声がかかり、全員が「お相伴します」と、両手で飯椀と汁椀の蓋を取る。ご飯を一口いただいてから、汁を飲みきり、懐紙で椀を清めて蓋をする。
 懐石をいただくのにも作法があるので緊張するが、亭主が右手に銚子を左手に人数分の杯を重ねた杯台を持って出て、お酌をしてくださるころになると、気分がほぐれ、左右の客とも会話が弾む。私が、
「年女なので、近所の神社でおみくじを引いたのですが、大吉でたいへんうれしかったです」
 と、口にすると、ときどきお稽古が一緒になる若いOさんが、小さな声でおっしゃる。
「私も年女です」
「えっ、私の娘と同じ年ですね。ずいぶん落ち着いていらっしゃるから、年齢不詳でしたわ」
 ほめ言葉のつもりで口にしたが 、
「私は頭の働きが鈍ってきていますから、よろしくお願いしますね」
 と、付け加えた。
 奥さまの手作り料理は、煮物、焼き物、和え物、香の物と次々運ばれ、お酒も少しばかりいただき、満ち足りた気分になった。

 膳が片づけられた後、莨(たばこ)盆が持ち出され、干菓子が運ばれる。薄茶は濃茶より寛いだ気分でいただける。亭主は目の前では正客と次客の二人分を点てる。後の人数は半東が蔭で点てて持ち出す。「頂戴いたします」「ごちそうさまでした」などと気楽に会話もできる。
 最後は楽しみな福引である。数字が書かれて折りたたんである紙を順番に引いて、その数字の景品をいただくのである。
 初詣で大吉を当てた私は、このたびも未の描かれた扇子をいただいた。
 年女の私には幸先の良い初釜であった。