ひめすいれん               
                 早藤貞二 


 私の家の前の木陰に、「ひめすいれん」を生けた小さな鉢がある。
 このすいれんは、昨年の夏、上の森の中の湿地帯から私が掬ってきたものである。
 湿地帯を見つけたのは、私がいまの家へ引っ越してきて(十年あまりになる)二、三年後のことであった。
 当時は、まだこの辺りは緑に囲まれた高台で、湖を見下ろせる眺めのいい場所であった。私は、日曜ごとに森の中の散策を楽しんでいた。木もれ日の坂道をふんでいくと、うぐいすの囀りがよく聞こえた。
 森の奥に大きなため池があった。湿地帯は、その池の堤の中ほどから雑木林をくぐって下りていった所にあった。
 そこだけが台風の目のようにぽっかりあいて、青空が広がっていた。
 ある夏の日のこと、この湿地帯の芦の間に、ひめすいれんの白い花がひっそりと咲いているのが見えた。
「こんなところに、こんなかわいらしいすいれんの花が!」
 私は、家へ帰ると、植物図鑑を開いてすいれんのことを調べてみた。
 楕円形をして、少し切れ目の入った緑の葉、もんしろ蝶のような何枚かの花びら、真ん中に寄り合う黄色い雌しべと雄しべ。どうやら、それは「ヒツジグサ」というのらしかった。
 小型のスイレンである。和名のヒツジグサは、ひつじの刻(午後二時)に開花するからだといわれる。この真偽をたしかめるために、牧野富太郎が昭和八年九月十三日に、京都の巨椋池に舟を浮かべて観察したところ、正午ごろからがくが少しゆるみ始めて、二時ごろに花弁が全部開き、五時半に閉じることを確認した。
        (朝日百科)

 毎年夏になると、湿地帯のすいれんは咲いているだろうかと、それをたのしみに森を訪ねた。
 湿地帯には、すいれんばかりではなく、ピンク色をした可憐なとき草や、白い清楚な感じのさぎ草もたくさん見られることを知った。
 ところが、いつからか、赤いペンキを塗った小さな杭が、森のところどころに打たれ始めた。
 それから何年かが過ぎた。
 あるとき、いつものように湿地帯の土手に座っていると、どこかで、チェーンソーを使って木を伐っている重い響きが伝わってきた。そして、それは日ごとに大きくなり、心なしか近づいてくるようになった。
 その後、仕事の忙しさにまぎれて半年ばかり森のことを忘れていた。
 昨夏のある朝のこと、私は、湿地帯のまわりはみんな木が倒されて赤土が運びこまれている、という近所の人のうわさを耳にした。
 私はびっくりした。そして、走るように丘へ上ってみた。
 いつの間にか、広い範囲で森は姿を消していた。赤い土砂があちらこちらに山をなして、荒々しい光景であった。
 私は、伐り倒された木の幹や枝をふみ、泥に足をとられながら湿地帯に近づいた。そして、火事場の焼けあとに立ったときのように空(うつろ)ろな気分におそわれた。しばらくぼう然とあたりを眺めていた目に、埋め残された水たまりが映った。そして、そこに、ひめすいれんの数枚の葉っぱが見えた。私は、とっさに泥水に足を踏み入れた。水たまりに近づくと、両手を広げ、すいれんの根を掬うようにかかえあげた。
 私は細い茎が折れないように注意しながら、すいれんを持って家に帰った。
 とりあえず、すいれんを素焼きの鉢に生け、バケツに水を張ってそれを沈めた。丸い葉が四、五枚浮かんだ。私の心は、やっと和んだ。
 暑い日が十日ほど続くと、すいれんにかわいいつぼみがついた。それが日ごとにふくらんできた。
 ある日、勤めから帰ると家の者が、すいれんの花が咲いた、と告げた。
 日曜日を待って、私も、昼すぎからすいれんの小さな花びらが開いているのを目にすることができた。
 それは、湿地帯での仲間をしのび、ほろんだ仲間のために精いっぱいの花を開いたように思えた。
 また、彼女を救いあげた私への感謝のほほえみのようにも感じられて、私はうれしかった。
 やがて、店に頼んでおいた信楽焼のすいれん鉢が届いたので、それに生けかえた。そして、家の前庭の雑木の蔭にそれを置いた。
 私は、このひめすいれんを枯らさないように、いつまでも大事に育てていきたい、と心の中でつぶやいた。
          (『ひめすいれん』より)