イギリス(湖水地方へ)
                         福谷美那子

 イギリスへ夫と旅立って五日目、今日はグラスゴーから約二二五キロメートルもある湖水地方へ向かう。今日まで比較的お天気に恵まれたのに、朝から雨が降っていた。
「霧のロンドンというから雨もいいさ」
 こんなことばで互いに励ましあい、バスに乗った。
 私は「ウィンダミアレイククルーズ」と「蒸気機関車」に乗ることよりも、その後の「ライダルマウント、ワーズワース」の散歩道を散策することの方が楽しみだった。しかし、雨は止みそうもなかった。
 最深の湖「ワスト・ウォーター」は国立公園に位置する。この緑と水の競演は時が止まったように、二百年前と変わっていないそうだ。
 ワーズワースもピーター・ラビットの作者ベアトリクス・ポスターもこの地方をこよなく愛した、と聞いている。
 バスを降りたとき、雨はしだいに激しくなっていった。そこへ、一メートル八〇センチはゆうに越える長身の初老のイギリス人が現れた。その人は、白髪がほどよく交じった長髪を無造作にゴムでくくっていた。日本女性の添乗員と握手をしながら、まるで昔からの友だちのように笑いながら彼女の肩を叩いた。
 この男性が散策のガイドをするのだと、私は納得した。
 彼の優しい目と、隣人のように安らぐ雰囲気に親しみを覚えながら、私はそのイギリス人らしい如才ない光景に見とれていた。そのとき、一陣の風に森の木々がことごとく梳かれるように、同じ方向へ倒れた。靴の下は雨水でゆるんだ石がごろごろする。秋の雨は容赦なく灰色の森の中をかき乱した。稲妻が光るたびにあたりはおびえたようにパッと明るくなる。
 こんな嵐の中でも私の魂は、ワーズワースへの憧れで昂ぶっていた。
 多分、鈴懸の大樹であったであろうか?
 ガイドが、一瞬立ち止まった。
「みなさん、あの、木の幹に穴がいくつ空いているでしょう? ぼくは少年時代に石を投げて幹に穴を空けて楽しんだんですよ」
 そう促されて、彼の指差す方へ目をやると、大木に直径五センチほどの穴が空いていた。
 背の高いガイドの一歩が、背丈の小さい私の三歩ぐらいになるのだから、息が弾んであたりを眺めるどころではない。足元の木の根をまたいだり、よけたりすることで精いっぱいであった。彼は少年時代の思い出が鐘の音のように響いてくるのであろうか。木、草、花のことなど、たてつづけに説明をした。
 長身をひょいと曲げて、笑いながらかたわらのブラックベリーの実をさりげなく摘み、後に従っている私たちに渡した。
「食べてごらんなさい」
「ほんとに甘い。一つ、いかが?」
 仲間の一人が私の手に渡した。
 ずぶ濡れになりながらガイドについて来た私たち一行は、やっとここで一息ついた。
 一時間半ほど歩き、ようやく見えてきたワーズワースの家はぬくもりのある暖炉のようであった。
 雨に濡れた花々と緑に囲まれた石造りの家は、ワーズワース(一七七〇年生)の八十年間の恵まれた生涯を彷彿とさせた。
 居間であった部屋には厚い本が開かれ、その横に高い蝋燭が置かれており、出窓にしゃれた小さな鏡が目にとまった。壁に桂冠詩人に推された賞状も掛けてあった。
 彼の自然体で書かれた作品が文学界にセンセイションを巻き起こしたのも、この自然が背景にあったからであろう。
 自伝的長詩『序曲』は有名である。妹(ドロシー)と心の交流を持ち、彼女が詩作の支えであったそうだ。
 窓から眺めると、雨で湿った森は、ときおり風が吹くと、木々は黄昏はじめた余光に光っていた。
 ワーズワースは、「汎神論的な自然観照」の姿勢で詩作をすると、学生時代に学んだが、恵まれた人生に私は神を感じた。
「儚いものも喜びにあふれて香り立つ」
 青春時代に、こんな思いで彼の詩を読んだことがあった。しかし、実感として理解できなかったものが、ほんの少しずつ分かってきたようである。
 私は小さな売店で絵はがきを二、三枚求めた。
 衣服が濡れたせいか、ほっとすると寒くなってきた。私たちを待っていてくれたツアーのバスに乗り込んで、持っていたお茶を一気に飲み干した。
 バスにいっしょに乗ったガイドがワーズワースの詩を朗読するそうで、わくわくしながら待った。いよいよ、彼の朗読、題名は『すいせん』、ワーズワースの詩の韻の美しさにため息が出た。まるで、
「幸せに向かって突き進みなさい」
 と、呼びかけているように聞こえた。
 途中で下車したそのガイドは、歩きながら私たちに何度も手を振って遠ざかっていった。
 バスの窓から虹が見えた。
   (『線路沿いの家』より)