生かされて生きる
                山内美恵子

 朝から汗のふき出す暑い日だった。洗濯物を干し終え階段を下りると、電話が鳴った。
「至急来てください。救急車を手配しましたから――」
 ただならぬ男性の声に、私の胸は大きく波打ち、さっと汗が引く。電話は、夫が通う市内の整形外科からだった。リハビリ中、夫が脳梗塞を発症したという。駆けつけると、夫は既に救急車に乗せられ横たわっていた。
 その日以来、わが家の平穏な日常は壊れ、時間さえも止まってしまった。
「今日のように明日が来るとは限らない」ということばは、まさにこのことだった。
 平成二十五年九月四日の、午前の出来事である。

 夫が脳梗塞を発症したのは、今回で二度目である。初回は十三年前だった。幸い軽症のため一カ月の入院で事なきを得た。その後発症はなく血圧も正常に戻った。
 夫は整形外科医の配慮により、初回お世話になった新宿の病院に運ばれた。
「再び起きないように、少し強めの薬をだしておいたはずですが……」
 白髪が混じった初老の医師は、カルテを一瞥し温和なお顔を曇らせた。そして、「心房細動によって肺の血栓が脳に飛ぶ、典型的な脳梗塞です」と、ご説明された。
 近年の夫は、脳梗塞の再発をあなどり、高をくくっていたのであろう。
 降って湧いたような突然の出来事は、私の人生までも大きく沈ませた。これからは静かでふくよかな余生を送ろうと、胸を弾ませていたからである。
 季節は秋の終わりを告げていた。間もなくリハビリのため転院することになった。そんな矢先、夫は三度目の脳梗塞に見舞われる。回を重ねるごとに脳の打撃は大きく、夫は身動きもままならなかった。自分のいる場所さえ分からないほど混乱し、幻視幻覚幻聴に怯え、意味不明のことを口走った。
 一進一退を繰り返りながらも二か月後は、リハビリのため郊外の病院に転院した。しかし、一週間後またもや脳梗塞に見舞われる。今度で四度目であった。
 発症翌日救急車に乗せられ、元の新宿の病院に戻されてしまった。今度は反対側の脳に血栓が飛んだという。発症時、リハビリ中だった夫は、失声やよだれ等体の異変を感じ、紙に記し訴えたという。だが、救急車に乗せられたのは、翌日のお昼だった。
 長い時間の経過は、脳の機能をより打撃した。言語、嚥下、認知機能までも悪化の一途をたどる。戻ってきた夫に、驚嘆した看護師さんたちが、
「二日前、どうしていらっしゃるかしらと、みんなで話していたところですよ。虫が知らせたのですね――」
 口ぐちにおっしゃった。声を失った夫の目には、大粒の涙があふれるのみで、意志の伝達も、感情の制御もままならなかった。その上、新たに嚥下の症状が加わり、いつ誤嚥性の肺炎を発症するかわからないという。
 一度壊れた脳細胞は、回復が困難であることを本で知る。大脳のことばをつかさどる部分が傷つくと、「聴く、話す、読む、書く」等の言語能力が障害されるという。大切な脳の機能の全てが壊れてしまった夫は、一体どうなってしまうのだろうか……。
「すぐに介護保険の申請をしてください」
 信じがたい医師のことばがこだまする。夫の人生の悲哀を思うと、私の胸は激しく締め付けられた。見るものすべてが色失せる。
 私の悲しみを癒すがごとく、近隣の方々が温かい手を差し伸べ励まして下さった。様々な介護の情報や、病院への送迎、庭の手入れ等をめいめい買って出て下さった。
 脳神経外科の医師たちも、日参する私に憐れみを覚えたのか、一丸となって全力を尽くして下さる。看護師さんたちの、慈愛にみちた温かさや、リハビリの先生方の熱心さに頭を垂れた。おかげでことばを発すまでに至る。そんなある日、夫は突然身を起こすと、
「辞書とノート、筆記用具を持ってきてくれ。馬鹿になりそうだ――」
 悄然とうなだれる。夫の頭の中は、底知れぬ暗黒が広がり、大きな不安に苛まされていたにちがいない。癒えることのない絶望感からか、ある時、つぶやくように言った。
「夢も希望もなくなった……」と。
 絶望しきった目には、うっすらと涙がにじんでいた。病を得て以来、無念の涙は止まることはなかった。
 夫の苦悶の表情は、私の胸をも塞ぎ悲しみを誘った。とっさに私の脳裏に、長年胸に刻んできたあることばが立ちのぼる。

 「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたへの期待をすてない。どんな人にも固有の生きる意味がある」

 それは、ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医、ビクトル・フランクルのことばであった。氏はユダヤ人であるがゆえに、捕虜としてアウシュビッツに収容される。
 人は誰でも心にアウシュビッツ(生死を分かつような苦悩のこと)を持っている。しかし、どんな人生にも、どんな人にも必ず生きる意味があると、『夜と霧』『それでも人生にイエスと言う』等の著書で説く。
 生き地獄を体験した氏の魂から発せられたそのことばは、私の心をも揺さぶって止まなかった。絶望感や悲しみに打ちひしがれた時、私に多くを与えてくれたことばでもある。
 このことばこそいま、生きることに絶望しかかっている夫を鼓舞する、ぴったりのことばに他ならなかった。そう思った私はフランクル氏のことばを静かに話した。そして、夫を励ますように語りかけた。
「あなたにはまだ使命があるからこそ、四回も脳梗塞に見舞われながらも、こうして生かされているのです。これからは、生かされた感謝の気持ちを、他の人たちにお返しして下さい。それはやがてあなたの人生を照らし、幸せに導いてくれるはずです。病気になっても、幸せに生きている人は大勢います。あなたもこれからは、生かされたいのちであることを、心して生きていって下さい。折角実らせてきた人生を、あきらめてはいけません」
 深呼吸をし、私は再びことばを継いだ。
「梅や桜の木は、いまは枯れ木に見えても、やがて、美しい花を咲かせるいのちが息づいているのです。人間も同じです。あなたもまだ心の花を咲かせることが出来るはずです。時間は十分あります。病気にも自分に負けてはいけません。これからも、あなたに光をあてて下さる大勢の人たちが、待っているはずです。退院した後のことは、私にまかせて下さい。必ず希望がわくはずですから――」
 つい熱が入る。すると、精彩を欠く夫の目に光がやどり頬を紅潮させた。それは、日差しを受けて咲き満ちた花のごとく、張りつめていた空気を和らげ、私の心を輝かせた。
 人は困難に遭えば会うほど、力となる新しい何かが生まれるという。人には内なる力が秘められているからであろうか。かつて私も、そう自分自身を鼓舞しながら、幾度もいのちの危機に瀕する、小さないのちと向き合ってきた。
 しかし、夫の場合は全く自信がなかった。今後病院通いから解放されても、先の見えない老老介護は、難行苦行の何ものでもなかろう。私の胸に不安のかげが広がった。
 今さら夫の前で、弱音をはくことはできない。自分に負けては、二十四時間の介護など出来るはずもないからだ。
 病院から帰ると私は机の前に座った。お香を焚き、写経をした。心を静めるためである。柔らかい香りがただよう中で、私は無心に筆を動かした。やがて筆を置くと、熟睡した時のような清々しさに包まれ気持ちが安らぐ。
 それはひと時の癒しにすぎない。しかし、私の安んずる祈りの時間でもある。魂が癒されると、新たな力が湧いてくるような気がするからだ。私は困難に遭遇した時ほど、自らを癒す時間を大切にしている。 

 十一月下旬、夫はリハビリのため新宿の病院から、郊外の(清瀬市)病院に転院した。広大な敷地を有するこの病院は、かつて国の「結核療養所」であったという。大地のいのちの息づかいが聞こえてくるような、豊かな自然に恵まれていた。新宿の高層ビル群や雑踏とは、まるで別世界であった。
 葉を落とした木々は、冬の光をたっぷりたたえ、黒い枝を天空に広げていた。木立のしじまの中を小鳥たちが行き交う。番(つがい)のキジバトがのんびりと歩いていた。日だまりのなかで、黒い猫が驚く様子もなく、日向ぼっこをしている。
 夫のいのちとばかり向き合っているせいか、どんないのちも愛しく、ほのぼのとした気分になる。久しぶりに季節を感じ、私の心を安らがせた。しばらくたたずみ、心ゆくまで武蔵野の大地に耳を傾ける。生気が甦るようだ。芽吹きの季節はより趣が深かろう。
 夫も自然のなかに身を委ね、心を遊ばせる時間を楽しみにしていた。毎朝リハビリのため、病院の周りを散策する。付き添って下さる若い指導員たちに、木や花の名前を教え喜ばれていると頬をゆるめる。
 病室には、採ってきたカラスウリの朱い実や、木の実等を並べ眺めている。晴れた日は雄大な富士山頂が姿を現す。夫は窓辺に身を寄せ、静かな喜びにひたっている。
 自然の大地から、生きる力をもらったのか夫の目は次第に生気があふれ、周囲へのいのちへの眼差しも、これまでとは違ってきた。人はいかに自然のつながりの中で生かされているか、身を以って感じずにはいられない。
 病を得るまでの夫は、明治時代の男性のごとく、尊大な態度で会津魂を振りかざし、それを頑なに死守して生きてきた。
 そんな夫もこの頃は、帰り支度をする私に向かって、
「今日はありがとう。暗くならないうちに気をつけて帰りなさい」
 と、縮んだ身を伸ばして気遣う。ようやく夫は、生かされて生きていることを悟ったのであろうか。それとも、生きる意味を見つけ、壊れたはずの脳の神経細胞や思考回路が、修復でもされたのであろうか……。

 私はいま、絶望を超えて生きるいのちと向き合っている。願わくは、わが家に以前の時間が流れんことを祈りつつ。