「命があと一日としたら」
                   黒瀬長生

 元旦の朝、200枚ほどの年賀状が届いた。そのうち3枚の年賀状に、「誠に勝手ながら来年からの年始のご挨拶を御遠慮させて戴きたく存じます」と添え書きがしてあった。
 これらの年賀状の差出人は、職場の大先輩と趣味の文学で知り合った方々で、いずれもご高齢なのでその心境も分からぬでもないが、何とも言えぬ淋しさを感じた。
 たしかに、この数年はお目にかかる機会もなく、お互いが惰性で年賀状のやり取りをしている状態であったが、それはそれで大きな意義があったはずである。一枚の年賀状だが、それを手にするとそれぞれの顔を思い出し、お元気なのだとほほ笑みながら拝見していたからである。
 だれしもそうだが米寿近くになると世間の儀礼的な付き合いから解放されたいと、人生の終末の準備に取り掛かる気持ちも理解できなくもない。また、それは残された家族に煩わしさを引き継ぎたくないとの配慮なのかもしれない。
 そうは言いつつ、私と年賀状の交換をしている方々も、それぞれご高齢になられたのだと、あらためて自分の齢を思い知らされた。

 そんな淋しく、心の打ち沈んだときであった。手元の同人誌『架け橋』第14号の特集、「命があと一日としたら」が目に留まった。これは、まさに人生の終末の準備どころか、死の直前の心の持ち方や行動について記述したもので興味深く読んだ。
 私のように平凡な日々を送っている者にとって、「命があと一日としたら」などと深刻に考えたこともなかったが、未来永劫に生きながらえることはできず、必ずその日は訪れてくるのである。
 特集の内容は、15名の作家や随筆家、俳人や歌人の方々がそれぞれの立場で筆を執っていた。
 家族と別れの宴を開く。お茶を点てて生きた時間を感謝する。心の平衡を回復し自分のためだけに過ごす。あなたに会えて良かったと感謝する。信じる聖書の神様に委ねる。神仏を求めて祈る。
 こんな主旨のお考えを各人各様に披瀝(れき)されていたが、そのなかで俳人小倉和子さんの記述にいたく感銘を受けた。
「……誰にも告げずに両親の故郷である九十九里海岸に行きたい。私を支えて下さった方々に顔を砂につけて感謝したい。日の傾くまで渚を歩き、峠の灯台に上がって落日を拝み、やがてせまりくる闇の中で灯台の灯を眺めながら、うずくまって最後の時間がくるのを待つことにしよう」
 俳人だけにいかにもロマンチックである。さて、私ならどうするであろうか。私も、おそらく故郷の山間の地を訪れ、ご先祖や両親の墓前に額ずき、「私もそこに行きます」と報告し、次に東予国民休暇村にある高台にたたずみ、霊峰石鎚山に手を合わせて生まれ育った道前(どうぜん)平野を茫然と眺めるであろう。その後は妻や子供たちと夕食を摂り、ほろ酔い加減になって今まで出会った方々に感謝しながら永い眠りにつきたい。

 しかし、これはあまりにも理想的な終焉で、現実はなかなかそうはゆくまい。私は、今はこれといった持病はないが、今後は加齢とともに気力や体力が衰えることはたしかである。かつては、「家族に見守られて、畳の上で……」が、平穏な大往生の見本のように言われたが、昨今ではそんなことは到底考えられず、病院のベッドで喘ぎながらそのときを迎えるであろう。
 所詮、死の直前に故郷を訪れるなど、暢気な幻想を抱くことは無理な話である。おそらく、私の最期は突然迫ってくるのではないだろうか。それを受け入れる準備と覚悟は今できているかと問われても、当然否である。そのためには、いかにして平凡な日々を目的意識を持ちながら過ごすことができるかどうかである。
 男性の平均寿命は80歳、私にとっては10年先である。この80歳までは何とか生きながらえたいと思っている。もし、それ以上生きることができればありがたい余禄だと感謝し、そのときこそ自由気ままな日々を送り最期を受け入れる準備をしたい。
 こんな欲深い希望を神様や仏様は叶えてくれるだろうか。