一本の包丁
                黒瀬 長生

 三箇日も過ぎ明日から仕事始めの夕方であった。女房は台所で夕食の準備で、おせち料理に飽きたのかカレーを煮込んでいるようであった。
 しかし、私は、なぜか鍋焼きうどんが食べたくなって、そのことを女房に伝えるとインスタントの鍋焼きうどんの買い置きがあるとのことであった。

 私は居間のコタツから立ち上がり鍋焼きうどんのアルミ鍋をコンロにかけた。あわせて、それにお餅を入れると旨いだろうと、お餅二個をレンジで温めた。
 そのとき女房は流し台に向かって野菜をきざんでいたが、私は、女房の後ろを通り鍋にお餅を入れようとした。ところがどうしたことか私は、後退(あとずさ)りし右の踵(かかと)に何かがあたった。その弾みでよろけそうになったので、あわてて女房の左肩を摑むと、女房は何と仰向けになって、食卓と石油ストーブの間に転倒した。それに折り重なるように私も倒れかかった。
 突然の事態なので、何が何だかわからないまま、私が女房の具合を訊ねると唇が痛いと言う。二人して何事が起きたのか理解できない状態であったが、石油ストーブは50センチほど移動し、その上に置いてあったヤカンの湯が床に零(こぼ)れ、食卓も30センチほどずれていた。

 私は、右肩に少し痛みがあったが、そんなことはどうでもよかった。女房が心配であった。唇に続いて左の頬骨(ほおぼね)が痛いと言うが、一見する限り外傷はなかった。また、起き上がったとき左の背中が痛むとも言う。
「お父さんが急に肩を持ったので、どうにもできなかった。声でも掛けてくれれば……」 
 と言いながら、やや不機嫌そうに居間のコタツで横になった。
 その後、私は落ち着きを取り戻し、あらためて辺りを眺めて見ると、食卓の下に鈍い光を放った一本の包丁があった。女房が野菜を切っていたものである。身の毛がよだった。女房は包丁を持ったまま転倒したのである。大事が起こってもおかしくない状況であったことは確かである。まさに神仏が救ってくれたのだと心の底から手を合わせた。

 私は石油ストーブの角で強打した右肩の痛みを我慢しながら、その状況を振り返ってみると、私が後退りしたとき、床に置いてあったタマネギに右足の踵があたりバランスを崩し、助けを求めて流し台に向かって野菜を切っていた女房の左肩を摑んだ。
 ところが女房は、私の急な事態を一切意識していなかったので、肩を引っ張られるまま横転し、続いて私が折り重なるように倒れ込んだのである。
 女房も目の前で異常事態が起これば、視覚で捉え何とか対応できたはずであるが、背後に目はなく無防備であった。また無意識なのでなおさらであった。
 後方に倒れそうになると、膝を折ればしばらくは踏ん張れる。また、後方に引っ張られたときは、頭部を前にうなだれれば何とか対処できるのはわかっているが、とっさに、そんな行動が取れるはずはない。

 私は女房に常々言っていた。
「台所の床に物を置き過ぎだ。足に引っ掛かると大ケガをするぞ……」 今回は、その心配が見事に現実となってしまい、女房もやや弱気になって反省したのか、翌朝は台所が少し整理され動線は確保されていた。しかし、まだまだ整理整頓する余地は十分あるが、女房の領域なのでそれ以上は口出しできなかった。やはり物が多すぎる。不用品はもっと処分するしかない。
 事件や事故は予想だにしないちょっとした不注意で発生するものである。手に持った包丁で負傷しなかったのが不思議なくらいである。
 女房は、包丁を右手で握り締めたまま転倒し、その後に手放したと言うが、顔や胸に万が一のことがあったとしてもおかしくない状況であった。

 正月早々大事を免れ厄払いができた。これも神仏のお蔭と感謝しながら、今年一年を無事に乗り切りたいものである。
 それにしても怖かった。