伊藤若冲の展覧会             
                      石川のり子
 
 上野の東京都美術館で、伊藤若冲の生誕300年を記念して展覧会が開かれた。期間は4月22日から5月24日までの1か月間、今まで非公開だった「花卉図(かきず)」167枚の天井画と、「孔雀鳳凰図(くじゃくほうおうず)」の初めての一般公開もあって、想像を絶する混雑ぶりだった。
 私が長女と行った19日は平日で、特別混雑していたわけではなかったのだが、チケットを買ってから3時間、公園をぐるぐる回り、足の裏が痛くなって立っているのが辛くなったころ、行列は館内入口に進んだ。時計を見ると12時を回っていた。
 5時に起きて二人の息子にお弁当を持たせ、送り出してから急いで出てきたという長女は、疲れたのか無口になっていたが、「もう少しね」と声をかけると、笑顔を浮かべて頷いた。8時半には美術館前に着いたのだが、すでに大勢の人が照り付ける日差しの中で並んでいた。
 美術館の係員は台車に貸し出しの日傘を載せ、飲料水とうちわもテントの中に用意して、繰り返し水分補給をするように呼び掛けていた。

 ようやく館内に入ったものの、作品の前から人が動かず、なかなか見られない。係員が「少しずつ先に進んでください」と声をかけても、若冲の魅力が緻密な色遣いということもあって、丹念に見ている。私は長い間待ったのだからじっくり見たい思いもあったが、比較的人の少ない作品から、背伸びをしたり、横から覗き込んだりして見て回った。
 さすが噂に違わず、時代を感じさせない鮮やかな色彩である。初めて目にした蓮の花の白とピンクの色合いの美しさに心を奪われた。後ろから見ても若冲の独創的で大胆な構図、細部に心を配る緻密な筆遣いは伝わってきた。
 若冲は40歳で家業の青物問屋を次弟に譲った。本格的に絵に専念し、10年の歳月をかけて完成させた30幅の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」は若冲の代表作とされている。ことに、当時あまり主役としては注目されなかった雄鶏を描いた「群鶏図(ぐんけいず)」は、尾の長く美しい雄鶏を13羽描き、真っ赤な鶏冠(とさか)としなやかな尾を、毛並みまでも丁寧に描いている。庭に美しい鶏を飼い、写生し、高価の絵の具で緻密に描いたであろうことがうかがわれた。
「老松孔雀図」は老松の根元の岩で孔雀が片足で立ち、牡丹が咲き誇っている構図なのだが、孔雀の首から体にかけての羽が細かい線でレースのように描かれ、尾羽には金や青や緑の模様がある。生きているようで、少し開いた嘴(くちばし)などは、一声鋭く鳴いているように見える。背景の老松は松葉の一本一本が描かれ、牡丹の花弁や蕊、岩に生えている草までも手抜きなくきちんと色づけされている。

 これら30幅の「動植綵絵」の中に、「群魚図」もある。16種類の魚が同じ方向に向かって泳ぎ、魚の鱗が一枚一枚繊細な筆で描かれ光沢まで感じられる。蛸などは丸い吸盤がユーモラスに描かれ、思わず笑顔になる。また、「池辺群虫図」には、瓢箪の垂れ下がった水辺で、アゲハチョウが飛び、トンボや蝉、蜘蛛の巣にかかった蝶、蛙、オタマジャクシ、蛇、バッタ、カマキリ、ナメクジ、葉を食べている毛虫、池辺の虫たちが丁寧に描かれている。つい立ち止まって見とれていると、後ろから押されてしまった。
 これらの「動植綵絵」は、宮内庁三の丸尚蔵館に足を運べばいつでも出会えるという。

 若冲は信心深く、亡き父の33回忌の供養に「動植綵絵」といっしょに「釈迦三尊像」も相国寺に奉納されたという。これが若冲の画家としての名声を不動なものにしたそうだが、中央に釈迦、右に青、赤、緑をした獅子に乗る文殊菩薩、左に白像に乗る普賢菩薩。鮮やかに彩色された上衣をまとっている。中国の絵画を模写した作品らしいが、色にこだわる若冲は部分的に独自の色を使っているそうだ。
 私は若冲の墨絵に心を惹かれた。「果蔬涅槃図(かそねはんず)」は、亡き母への鎮魂のため奉納され、同時に家業の青物問屋の繁栄も祈願して描かれたものである。
 涅槃図とはお釈迦様が亡くなられたとき、弟子たちが中央に横たわったお釈迦様を取り囲んで悲しんでいる情景だが、江戸時代には、このような見立ての涅槃図もたくさん描かれたらしい。この野菜と果物の涅槃図は、お釈迦様が横たわる位置に二股の大根が描かれ、取り囲む弟子たちがナス、トウモロコシ、カキ、モモ、クリ、カボチャなどで、後ろの沙羅双樹がトウモロコシという果蔬尽くしである。さすが青果問屋の長男である若冲は、野菜をよく観察し、優しい目を注いでいた。
 展覧会場では、トラやゾウ、クジラ、伏見人形など、細かく描かれていない作品もあって、心が和んだ。

 結婚をせず、ひたすら絵を描いた若冲は、73歳で資産を大火ですべて失ってしまう。貧乏になったのである。しかし、創作意欲は旺盛で、大阪の豪商の依頼により、初めての金箔の襖絵「仙人掌群鶏図襖(さぼてんぐんけいずふすま)」を手掛ける。金箔の襖の6面に長尾の立派な雄鶏が6羽と雌鳥が4羽、それに可愛らしいひよこが7羽遊んでいる。鶏冠の赤、長尾の黒、サボテンの緑は華やかな背景の金箔に映えて力強く、とても75歳で描かれた作品には見えない。依頼主の家にあったウチワサボテンはトゲまで描かれ、小さな花も咲いていた。

 若冲は85歳の死の直前まで絵筆を離さなかったそうである。
 久しぶりに長女と若冲の世界を堪能した2時間だった。

      参考文献 『若冲への招待』朝日新聞出版