カメラ教室
            中井和子

 ある会合があって、そのときのスナップ写真を頂いた。一眼レフのデジタルカメラで写されたもので、会場の様子がいきいきと、その場のふん囲気までも見る側に伝わってきた。
 私も小型のデジタルカメラで、記念にと、撮ってはきていたが、その出来上がりの差が歴然としていて、私は自分の写真に落胆した。
 街(まち)はずれから吾妻連峰の山脈を撮ろうと、コンパクトデジタルカメラのズームを精一杯に伸ばして写してみたものの、やはり小さいカメラには機能の限度があった。
 私も一眼レフのカメラに挑戦してみたくなった。一眼レフのカメラは、花とか、物とかを、マクロ撮影をしたり、それに、なんといっても色彩をより美しく表現できるという。 私は、望遠レンズを装着して撮ってみたい。しかし、七十八歳の私に、はたして使いこなせるかどうかが不安であった。 大いに迷ったが、気を取り直し、店にある中でいちばん軽くて小さい、ニコンのカメラを手にした。ところが、なにやら機能がたくさん付いていて説明書を読んでもさっぱりわからない。 だからといって、カメラが撮影状況に応じて写してくれるオート機能だけの撮影では、芸がなさすぎる。

 四月に入ると、生涯学習各講座の広告のチラシが入ってきた。その中の「一眼レフデジタルカメラ教室」が目に留まり、さっそく週一回受講することにした。
 講師は五十歳ぐらいの男性で、生徒は女性限定の教室であり数人であった。
 第一回の講義では、一つの被写体を絞りや、シャッター・スピードでいろいろなパターンに変化させられることを学んだ。
 そして先生が、
「パソコンを使って、色を変える、ということもできるのです」
 と、おっしゃった。
すかさず一人の方が質問された。
「それでは、写真の入選作品なども操作してあるのですか?」  
「まあ、多少はありますね……」
 とたんに、私は、それらの写真にたいしての興味を失った。 テーマで募集された入選作の写真を拝見するたびに、この一瞬を捉えるのに写真家は、どれだけの日数と時間や情熱を費やされたのだろうかと、その努力に深い敬意を抱いていたからである。
「この春の緑のモミジも色を変えれば、秋の紅葉になります」
 これは思いもかけないことであった。私は、自然を冒涜されるような、いささか憤慨気味に質問した。
「春のモミジに色をつけても、秋の紅葉とはちょっと風情が異なるのではないでしょうか?」 
 春の生命力に光り輝いている緑の葉と力強い葉脈。晩秋の力を失った葉と葉脈は、赤や黄に紅葉して、鮮やかな中に侘(わび)しさを湛(たた)える。 色さえ付ければ、おもむきまでも同じになるというのだろうか。
「では、こんどやってみましょう」
 先生は自信がおありのようだ。
 私の撮りたい写真は、自然の中の、その「時」を切り取りたい。だから、自然の妙にまで人工的に手を加えることには抵抗を感じる。
 お天気のよい日の講座は、外へ撮影に出かけて、露出やシャッター・スピードを変えて画像の変化を確かめた。
 背景を暗くして、タンポポの白い綿毛がふんわりと浮き出た写真が撮れた。写真展でよく見かけていた花の作品と同じ出来ぐあいである。
 なんの変哲もない造形物も、撮影メニューの操作によって、陰影のついた芸術品のように変貌する。まるで魔術を見たように驚かされた。
「こんどはカメラを回しながらシャッターを切ってみましょう」
 先生のご指示どおりに、私はちょっぴり抵抗を感じながらもカメラを回して、いすを撮影する。
「あ、面白くできましたね」
 先生が映像をのぞき込まれておっしゃった。写した被写体はなになのかわからない。まるで台風の目のようだ。カメラの目を中心に、まわりは渦を巻いている。
 そのように、カメラが目を回したような写真のどこが面白いのか、私にはわからない。私の感覚が古く、遊び心もないことを自認せざるを得なかった。

 そして、五月のある講座の日、何の前ぶれもなく、七十六歳の私の弟が肺炎で急死した。優しい弟であった。遺影が私に語りかけてくる。
「悪いけど先に逝(い)ってるからね。あとのこと、よろしく頼みます」
 母が亡くなったときより私は悲しかった。カメラを持つ気にもなれなかった。

 結局、講座をドロップ・アウトしてしまった。
 しかし、数回の受講で終わってしまったが、その後の写真撮影はオート機能ではなく、絞りは? シャッター・スピードは? と、多種多様にためしながら生意気にレンズをのぞいている。