心に残った京都・奈良の旅   
                 石川のり子

 このたびの「京都・奈良行き」は、ボランティアグループのリーダーT子さんが、心に残る旅にしましょうと、3泊4日で計画された。
 3月の初旬は気温の変動が激しく、体調を崩した人たちがキャンセルし、最終的に参加が確定したのは5人だった。全員がほぼ同年代で古希を過ぎているので、レンタカーで巡ることになった。
 3月6日の日曜日、東京駅から新幹線で京都駅に到着し、大阪から参加するYさんと八条口で落ち合った。T子さんが、京都をよく知っている義弟のYさんにレンタカーの運転をお願いしていた。
 最初に向かったのは東寺である。我が家は実家が真言宗だったので、父が亡くなったとき、母や姉たちが高野山に詣でたが、私は幼かった娘が風邪をひいて行かれなかった。久しぶりの東寺で、大師様と静かに向き合いたい気持ちだった。
 東寺には高さが55メートルと木造建築としては日本一の五重塔がある。遠くからでもよく見えて、京都に来たという実感がわいた。

 この東寺では、「生身供(しょうじんく)」という特別な体験をした。2日目の早朝、6人で宿を出て車で東寺に向かった。「生身供」は実際に弘法大師が暮らしていた御影堂(みえどう)で、6時から現在も朝食を差し上げる儀式が行われているという。まだ明け切らぬ広い境内に人影もまばらだが、御影堂は6時開門で、すでに4、5人が並んでいた。
 私たちが堂内に入ると、僧侶が席についてお勤めは始まっていた。外陣では熱心な地元の人(老婦人が多い)たちが礼拝していた。唱和している手のひらサイズの教本を隣の女性に見せていただくと、「東寺 真言宗 在家勤行法則」と書かれてあった。毎朝通っていらっしゃるのか唱和に淀みがない。
 内部の儀式の様子はよく見えないが、内陣前で白いマスクをした僧侶が厳かに膳を運び、受け渡している。
 やがて食事の儀式が終わったころ、マスクをかけた別の僧侶が赤い袋を恭しく掲げ、右手から現れた。隣の女性を真似て結界の手すり近くに進み出て、頭を垂れて両手を差し出していると、低い声で「ナムダイシヘンジョウ……」と唱えながら、赤い仏舎利の袋を頭と両手に当ててくださった。程よい重量感があり、とてもあり難い心地がして、深々お辞儀をした。
 私たちは7時過ぎ宿に戻り、朝食をいただいた。

 妙心寺では座禅の体験をした。宿泊した御室の宿の近くに、妙心寺があり、ここでは7日、8日の早朝に、座禅の体験ができるという。この座禅体験をするために日程を組んだ事情もあるので、みんなで歩いて行った。境内が広く、暮らしの道としても利用されているのか犬と散歩している人も見かけた。
 座禅の場所は大方丈と呼ばれるところで、広間に横3列に座布団が並べてある。その座布団に姿勢を正しく座り、精神統一を行うのだ。紺の作務衣姿に素足の外国人や若い女性、男性もいる。私たちの後ろの列、前の列に合わせて30人くらいは座っている。眠気が吹き飛ぶような鐘の連打で開始され、読経は大きな澄んだ声である。私たちのように座り方さえ知らない初心者には場違いのような戸惑いがある。背が丸くなって板で叩かれるのではないかと心配したが、道場ではないのでそんなことはなかった。
 読経の後の老師の提唱(説法)は、受付で渡されたB4の手書きの印刷で碧巌録の抜粋だった。碧巌録は臨済宗で重視されている書物とのことだが、熱心にメモを取っている若者もいた。

 昼間は、美しい庭園で知られる修学院離宮に行った。1か月も前にインターネットで参観の予約したのに4名しか入場できなかった。京都市内に比叡山を借景にしたこんなにも広大な敷地(54万5000平方メートル)があることに驚いたが、お天気に恵まれたので、散策は心地よかった。「上御茶屋」・「中御茶屋」・「下御茶屋」という3か所の庭園でなりたっているいるとのことである。また、手入れされた水田は、買い上げて、近くの農家に貸し出して耕作してもらっているとのことだった。30名ほどのグループで案内してもらったが、ずいぶん歩いた。
 京都御所も宮内庁に申し込んで、こちらは全員が許可された。やはり案内係の説明で順番でまわったのだが、修学旅行の高校生もいて、にぎわっていた。

 奈良では夜の東大寺二月堂を訪れた。ホテルのマイクロバスで途中まで乗せてもらって坂道を歩いた。3月1日から二週間にわたって行われる修二会(しゅにえ)はぜひ見たい行事だった。修二会は「お水取り」と呼ばれ、3月12日の深夜「若狭井(わかさい)」という井戸から観音様にお供えする「お香水(こうずい)」を汲み上げる儀式がある。この道明かりとして大きな松明(たいまつ)に火が灯される。仏様の前で罪を懺悔し、天災や疫病を取り除き、天下安泰、五穀豊穣など人々の幸福を願う行事として、長い歴史の中で寺院が火災にあった時も中止にならず、1260年も続けられているという。
 その修二会が体験できたのである。比較的暖かな夜だったが、それでも風は冷たい。下で見守る人々は息を詰めて待っているなか、松明に火が灯った。天上界の一昼夜は娑婆の400年といわれ、松明を持った僧は走って、群衆に火の粉をまき散らす。二月堂の欄干に集まった大観衆の歓声が夜空に響く。夜空を焦がすほどの勢いで11回も走り抜け、世界平和と観衆の平和を十一面観世音菩薩にお祈りする。迫力のある壮絶な修二会の舞、千二百六十年の間に、いったい何人の僧がこの欄干を駆け抜けたのだろう。
 興奮覚めやらぬなか、マイクロバスに揺られてホテルに戻った。
 心なしか今まで冒した罪が許されたような気持ちになっていた。