句 碑
                     黒瀬 長生

   帰りたし薄紅梅の咲くころに    つる女
   斎庭の梅もほころび道真忌     杏史
   白梅のことに輝く日和かな     道子

 これらは、お天神さんの境内の梅林の一角に建てられた句碑の俳句である。私は俳句に造詣はないので、善し悪しはわからないが、いずれも梅園を見事に詠んだ佳句だと思われる。
 その句碑は、周囲を石組みした4坪ほどの台座に、横幅3メートルで高さ1・5メートル、奥行き1メートルの大きな伊予の青石で墨蹟鮮やかな3句が刻まれている。石垣の上部には句碑を取り囲むようにツゲが植えられ、句碑の右側には大きなツバキが配置されている。また、句碑の背面には昭和55年2月建之とあり、5つの俳句結社の名前が刻まれ、いかにも堂々とした立派な句碑である。

 私は、散歩がてらにこの句碑の側のあずまやに時々立ち寄るが、この句碑が長い間、手入れもされず荒れ放題なのが気掛かりであった。ツゲやツバキの樹木はここ数年、剪定をした形跡は見受けられず枝は伸び、無数のクモの巣がからまり石垣の周辺も雑草に覆われている。
 これらを清掃してなんとか奇麗にして貰いたいのだが、いったいこの句碑はだれが管理すべきものなのか。神社の境内の一角なので神社が管理すべきか、いや俳句の作者か、はたまた建立した俳句結社なのかと思案した。しかし、そんなことをいくら詮索しても始まらない。なんとか私個人でできる範囲の清掃をしようと決心した。
 ところが女房は、「他人様の句碑をいじると怒られるのでは……」と心配顔で言った。私は、「注意されたら、この俳句が好きなので掃除をさせて貰いましたと言えば怒る方はいないだろう」と答えた。

 次の休日、早朝7時から一人で清掃作業に取り掛かった。まず、石垣の周辺の雑草をクワで削った。続いてクモの巣を取り除きツゲの剪定だが、新芽や枝が伸びて俳句の文字が読みづらくなっているので、それらを切り詰めた。後は、ツバキの剪定である。樹高は4メートルくらいなので高枝切りバサミを使って密集した枝を切り落とし、風通しを良くした。
 やっと一段落したので休憩することにした。これほどの句碑である。建立の式典は結社の俳人が多数集まって盛会であったであろうと想像される。それが、40年近く経過するとこんなに忘れ去られて放置されるのかと、一抹の淋しさを感じた。
 句碑に刻まれた3名の俳人はおそらく亡くなられていると思われるが、そのご遺族の方はいないのだろうか。また、句碑の背面に刻まれた俳句結社は全て解散して無くなってしまったのだろうか。

 俳人にとって自分の詠んだ俳句が句碑として後世に残ることは、この上なく名誉なことである。ましてや句碑に刻まれる句となると、俳句大会で入賞するとか、結社の同人誌などの巻頭を飾るなど相当高い評価をうけた俳句であることは間違いないであろう。
ことに、句碑はいずれもが公園や社寺の境内、名所旧跡など公衆の目につく場所に建立されているが、それを後々までだれかが管理して貰いたいのである。それは句碑を建立した結社にお願いしたい。また個人で建立したのならば、その個人であり、そのご遺族だと思われる。

 そんなことを考えていると、散歩中の高齢のご婦人が近づいてきた。
「奇麗にしていただきありがとうございます。長い間放置されていたのが気になっていました。私がすればいいのだがこの歳なので……」と、言いながら切り落とした枝をゴミ置き場まで運んでくれた。
 私が、「この句の関係者ですか」と訊ねると、「そうでないのですが、私はこの句が好きですから……」と笑顔で答えた。あわせて、「句碑を建てた以上は、後々まで管理する責任がありますね」とおっしゃった。
 全く同感である。私と同じお考えの方に巡り合えて嬉しくなった。ご婦人のお力添えをいただき、昼前になんとか樹木の剪定と全体の清掃を完了することができた。
 句碑は、今までとは打って変わって、生気を取り戻し何かを語りかけているようであった。