枕 勝 手       黒瀬長生

 枕勝手とは、枕の落ち着きぐあいのことである。私は、この枕勝手が気なって仕方がない。ことにその高さや固さ、大きさが……。そのため、旅行などでホテルや旅館に宿泊したときは一苦労で、なかなか寝付かれず、座布団を使ったり、バスタオルを何枚も折り重ねて代用することが再三ある。
 枕の素材の多くは、あずきやモミガラ、スポンジ、綿などだが、私は、これらの素材の枕はいずれもしっくりこない。ところが、自宅で使っている枕は数珠(じゅず)玉で、これには満足している。

 数珠玉は、イネ科の多年草で熱帯アジアが原産地である。草丈は1メートルほどで、初秋に花穂をつけ、雌花を包んだ球状のものが硬質化する。私の子どもの頃は田舎の小川の縁(ふち)にたくさん自生していたが、近頃は、いずれの河川も改修工事で川岸をコンクリートで固めてしまったため、ほとんど目にする機会がなくなった。
 私が使っている数珠玉の枕は、母親が何年もかかって、地区に自生する数珠玉をかき集めた物である。今では、この数珠玉は入手できなくなり、同じような数珠玉の枕を作ることは難しくなってしまった。
 数珠玉の枕は、高さ加減も簡単に調節でき、熱もこもらず、私はこの枕さえあれば安眠まちがいなしである。しかし、シャカシャカと小さな音がし、五キログラムと重く難点もある。

 先日、信濃の善光寺に詣(もう)でた。西国霊場三十三箇寺参り満願のお礼参りである。門前の宿坊に宿泊した。夕食は精進料理であった。私たちの部屋は二十畳程の広さで、五人の男性が雑魚寝である。雑魚寝は高校の修学旅行以来なので何か楽しい気持ちになった。
 男五人は車座になって、西国霊場参りの苦労話や満願の喜びを、それぞれ語り合ったが、明朝は、善光寺本堂で行われる朝のお勤め、「お朝事(あさじ)」に参列するため、十一時過ぎに床に入った。
 しかし、私は枕勝手が違いなかなか眠れない。いくら努力しても無理であった。やむなく十二時頃に宿坊を抜け出して薄暗い参道を三十分ほど散歩した。
 その後、また床に戻ったが、枕勝手が悪い。高くて固い。しかたなく座布団を枕代わりにすると何とか高さが合ったのか浅い眠りに入った。ところが、今度は隣で寝ている方のイビキの襲来である。これが並みのイビキではなかった。まさに往復のイビキでその音量もただものではない。ときには身体をよじりながらのイビキである。これには閉口したが打つ手がなかった。
 注意すればいいのだが、それほどの間柄ではない。ましてや他人様の人格をむやみに傷つけることはできない。私は我慢するしかないので、午前三時に部屋を出て玄関口の椅子で朝を迎えた。

「お朝事」の六時を待ちかねて善光寺の本堂に向かった。本堂の前は、すでに参拝者が長い列をつくり、貫主様の「お数珠頂戴」を待っていた。「お数珠頂戴」は、貫主様が参拝者の頭部を数珠で撫でて功徳を授ける儀式である。
 拍子木の合図で、天台宗大勧進から貫主様が朱色の大きな傘を持った従者を伴ってお出ましになった。参拝者一人一人の頭を貫主様は、「南無阿弥陀仏」と唱えながら数珠で触り始めた。私の頭も撫でてくださり身が引き締まった。
 その後、本堂の内陣に入り「お朝事」に参列した。「お朝事」は、全山の住職が一堂に会した読経で、堂内は厳粛な雰囲気になった。次に内々陣に進み、ご本尊「一光三尊阿弥陀如来」の前で回向となった。参列者の先祖供養や祈願が執り行われた。
 まさに、善光寺が祈りの聖地であることを実感させられた「お朝事」であった。

 昨夜は、枕勝手とイビキで寝不足であったが、善光寺の厳粛な「お朝事」に参列し、眠気も吹き飛んだ。そのうえ、貫主様が私の頭を数珠で撫でてくださり心底(しんそこ)感激した。
 数珠の珠の数は百八個で、百八の煩悩を取り除くといわれているが、私の愛用している枕には数千の数珠が入っている。そのため、数千の煩悩を取り除いてくれるのならば、ありがたいことである。
 数珠玉の枕を作ってくれた亡き母親は、数珠にそんないわれがあることを知っていたのであろうか……。ましてや、善光寺で「お数珠頂戴」の儀式が毎朝粛々と執り行われていることなど、知る由もなかったであろう。