丸太ん棒になったサンゴ樹
                        中井和子

 毎年、五月には植木の消毒をすることにしている。今年も(平成二十二年)庭師がやってきて、先(ま)ずは木の状態を確かめながら庭を一回りしていた。そして、庭の一角にある十メートルほどのサンゴ樹を見上げて、
「ああ、虫がついていますね。この木は虫がつきやすくて……」
 と、がっかりするように言った。よく見ると、葉という葉に虫がうごめいている。
 三十数年前、我が家の庭にきた一本のサンゴ樹は、いまでは幹のまわりは七十センチほどになり、根元からはひこばえも二本出て、それが親木とほぼ同じほどに生長した。見ようによっては、三本が一本の木のようにも見える。 毎年、秋になると珊瑚のような赤い実を鈴なりにつけていたが、しかし、ここ数年来、実はおろか、葉という葉は虫に食まれてしまい、穴だらけになって枯れ落ちていた。
 私は、その、見るも無残な姿に、いささかうんざりしていたので処分することに決めた。庭師は、「今日は枝だけを切って、後日、庭木の剪定にくる際に根元から伐(き)ることにしたいのですが……」と私に承認を求めて、サンゴ樹をすっかり丸太三本の姿に変ぼうさせて帰った。
 翌日、サンゴ樹は枝の切り口から、抵抗と悲しみを表してか、多量の白い樹液を溢れ出させて、地上を広くぬらした。そのようすは人間の血液を想像させて、私は狼狽した。
 ヘルマン・ヘッセの詩『刈り込まれた柏の木』の一節が浮かんだ。
 「樹よ、なんとおまえは刈り込まれてしまったことか、なんと見なれぬ奇妙な姿で立っていることか! おまえの心に反抗と意志のほかは何も残らぬほど……」
 毎日、私は、丸太ん棒になってしまった木を眺めた。あふれ出ていた樹液の勢いが治まると、こんどは、涙のように一滴、一滴としたたり落ちた。
 いっそのこと根元から伐ってしまえばよかったものを、庭師の仕事の手順上、半殺しにしてしまったことを私は悔い、サンゴ樹に処分しないことを約した。
 そして、「……伐り刻まれた枝から我慢強く新しい葉を萌え出させよ」と、ヘッセのことばを借りて、一日も早く蘇(よみがえ)ることを願った。
 一ヶ月近くも流し続けた木の涙が止まると、うれしいことにようやく光り輝くような若葉が幹のあちこちから萌え出てきた。私は、虫がつかないうちにと、さっそく消毒をしてやる。
 植物はどんなに辛くとも、動物のように声をあげたりはしないのだから……。
 私は、屋久杉を思い出していた。今年の(平成二十二年)三月、一年の三百五十日は雨が降る、という屋久島を訪ねている。
 川音だけが響く、苔むした深い森の中を、傘をさしながら歩いた。木陰から森の精がこちらをのぞいていそうな、そのような時を超えた感のある森であった。
 ガイドの説明が次のようにあった。
「この杉の幹に巻きついているのはヤマグルマという木で、杉を踏み台にしないと生きてはいけないのです。別名、絞め殺しの木、といわれています」
「絞め殺しの木」の呼び名には驚かされたが、杉の木の根元から数メートルの高さに、太い綱のようなヤマグルマの木が真横に巻きついて、食い込んでいた。そして、その部分の杉の皮が上下にきれいに切れているのが痛痛しかった。
 ヤマグルマの木の葉は互生していて、枝先では丸く車状にあつまっている。その木の表情が、まるで嬉嬉としているかのように私の目には映った。そのように見えたのは、私の判官びいきの心情からだろうか。本来、ヤマグルマは絞め枯らす植物ではないそうだ。
 花崗岩で形成されている屋久島には土壌がなく、苔が土がわりとなる。菌に弱いヤマグルマは、そのような環境の原生林で生き抜くために、防虫効果のある杉に着生して生長するしか方法がないらしい。
 無言の植物たちも、生き抜くために戦っているのだと、私には感慨深いものがあった。
 今日も丸太ん棒になったサンゴ樹を眺めやる。
 屋久島に比べれば、我が家の庭は生育するにはた易い環境であるはずだ――。 
 サンゴ樹の若葉が太陽の光を受けて、きらきらと私の目を射た。