〈エッセイ〉
          『本居宣長』を再読して
                    高橋 勝

 この秋、ある程度のまとまった時間が得られたので、『本居宣長』を読んでみた。正確には再読である。初刊発行時に読んだとき以来のことだから、すでに35、6年は経っている。この本は個人的にも特別の思い入れのあるものだ。その後暫くして、紺の布表紙になめし革の背表紙装丁の小林秀雄全集本が刊行されたのを機に、発行順に全て入手していたので、今回はこちらの方で読んだ。
 単行本としては、当時破格の値段だと話題になっていたが、迷わず購入し、赤鉛筆で傍線を引いて頁を真っ赤にしたり、鉛筆で書き込みをしたりしながら読み込んだ。ときどき疲れた目を外に向けると、当時下宿していた鎌倉の部屋から、ガラス窓を通して眺められる、どことなく古寂れた景色が、今更のように目の前に浮かんでくる。それはともかく、我知らず書に没頭するということは、一生のうちにそうあるものではない。自分でもそこまで一心に取り組めた理由は明確に意識できるわけではないが、それまでの人生の中で、自分の探し求めている何かがそこに表現されているのを直感していたからに違いない。若いときには若いなりの辛苦をなめた数々があり、そうした痛みや悩みに対する根本的な見解を、破れた衣服を縫い合わせるように、一つひとつ適確に言い当てているのを見出しては、自らの認識を紡ぎ出し、高揚していたに違いない。
 その後、地元に戻って勤め始めてからも、それとはっきりは分からなくても、自らの生きる方向性を左右するような際には、つまりそれを機会に自分の考え方を創り上げるようなときには、多少にかかわらず影響を受けていたことは否定しがたい。例えば、教員時代のことが真っ先に挙げられる。生徒との関係が悪化したとき、保護者との折り合いがつかなかったとき、他の職員とのトラブルを抱えたとき、こういった危機に陥ったときは、いつも自分を振り返り、自問自答して対象とする存在の本質を得るべく吟味したり、本当の自分の姿や思いを把握しようと努めたりした。すると、いつしか、どこからともなく浮かんでくる新たな気づきを得て、密かな、そして深い喜びを見出していった。組合の支配する学校の職場環境で、幾度となく「損か得か」などと詰め寄られ、勧誘されても、「よく分かりませんので」などと返答しながら、一度として誘いに乗ることなどなかった。
 今回は、付箋を貼るだけにして再読したい、とそれ以来の念願がいよいよかなうのかとの思いから、『本居宣長補記Ⅱ』の最後まで、多少の時間はかかったが、畏まって熟読し終えたと自負している。初読のときには気づけなかったことや、理解できなかったことが多々あった。当然のことと言えば当然であるが、それだけ社会人として、また読書した量においての人生経験に裏打ちされた読みができたということだろう。新たな認識を得たことや感銘を受けた点は多々あるが、今、改めて振り返ると、最も心に残っているのは、この著者独特の文体(書きざま)であることに気づく。
 この著作は、主に『源氏物語』を書いた紫式部の執筆動機としての「もののあはれ論」と、宣長の『古事記伝』における、ものに囚われずに神の道に至るべき方法、謂わば古人(いにしえびと)の抱いていた素朴な真心を真心として得るための道について、宣長の主張を現代人に分かりやすく解き直したものと言える。宣長は自ら古人の立場に立って考察し、そのありのままの生き方に共感したのとまったく同じように、小林は宣長の立場になりきって、宣長の信じたとおりに古人の魂や精神性を信じたのである。この叙述の詳しい内容は読者が自ら読んで理解するのが一番だと思う。その中から、ここでは、文体に絞って僅かばかり目を向けてみたい。
 小林秀雄の文章は、みんなが難しい、難しい、と会う人ごとに言われる、と本人が語っているのを何かのCDで聴いたことがある。小林は、それに対して、特に難しく書いているという意識はないし、敢えてそのように書こうなどとも思っていない、ただ書くべきように書かなければ思うことも書けないから自ずとそのように書いているだけのことだ、と反論している。
 それでは、書くべきように書くというこの「難しい文章」とはどのようなものか、なぜ難しいと言われるのか、却ってそこに小林の魅力が隠されているように思え、従来からこの点に関心を持ち続けていた。今回改めて読んでみて、その正体がいささかなりとも分かったような気がする。
 まず一読して分かるのは、この作品の場合、古典からの原文引用が、それも長文で詳しい語釈もなく多数見られることだ。契沖、荻生徂徠、賀茂真淵といった当時の国学者や、物語作家の上田秋成などの文例が挙げられる。今日では死語となってしまった古語を使った文章を読むのは、普段接していない一般読者には、一見して、理解できない外国語に接しているような感覚に陥らせるだけなのかもしれない。まずここで引っかかり、読み続けるのを当初から断念してしまうのではないだろうか。
 次に、内容そのものの難しさが挙げられるだろう。考え抜かれた事柄を充分に理解するには、読者もその地点まで降りていくことが求められる。考えを深めることや、哲学的考察に慣れていず、普段からものの真理や本質的存在を突きつめて認識しようとする姿勢が身についていないのであれば、やはり難解な文章と捉えるだろう。
 また目に付くものとして、読点が多いことと、一文が比較的長いものが混じっていることだ。読点に沿って微少な間を取りながら読んでいくと、執筆者の息遣いが少しずつ読み手の肌に伝わってくる。また一文がいつ終わるのか分からない文体には、『源氏物語』が想い起こされる。今日、一文はできるだけ短く簡潔に書くべきと論文の指南書には記してあるが、これは書き手の内的リズム感を犠牲にして、ある意味、読み手にへつらった手法であると言えよう。これに対して、紫式部の文体からは、執筆に取りかかる前に、考え抜いたことや、細部まで想像の働きが行き渡って自らのものになった世の中だけを、興に乗じたまま一気呵成に筆を進めていったのではないかと感じられてくる。こうした文体における言葉の繋がりと、リズムカルに流れて止まない文脈を読み進めていくと、いつしか好みの音楽を聴いているような錯覚を覚えてしまう。しかし、これはあくまでもそこで使われている言語と、その繋がりがもたらす一文や、そのまとまった段落や文章全体がよく理解できないと、むしろ言葉自体に呑み込まれ、混乱させられてしまう危険性がある。宣長が『うひ山ぶみ』で述べているように、これを避け、古文の持つリズム感を味わうには、倦まずたゆまず、繰り返し原文を読み続けていくことが大事なのだろう。
 もう一度繰り返すことになるが、紫式部の立場に自らの身をおいて、「もののあはれ」がこの作品の核になることを深い意味で直感した宣長のあり方に、小林は、その同じ方法で自ら宣長のものの学びようの中に入って、彼の認識を我がものとしてしまった。また、『古事記』の元々の創り手、ないし語り手であった、名もなきいにしえびとの中に、漢意(からごころ)に囚われずに、直に推参して、古代日本人の魂を直覚した宣長のあり方に、小林もそれと同じ姿勢で宣長の中に入り込み、古代人の心を掴んだのである。彼がこのような境地に至れたのはいかなる方法によるのか、と考えてみることは大変興味ある課題である。
 この文章を細かく読み込んでいくと、宣長の主張には直接は当てはまらない、先に挙げた国学者たちの文例とその解釈が大部を占めているのに気づかされる。読者としては、ややじれったさを感じるかもしれないが、筆者はこれを思想劇として展開しているのである。つまり、宣長の正しさを初めから一途に述べるのではなく、まずは宣長の師匠である賀茂真淵や、国語学者でもあった上田秋成といった宣長本人とは基本的に相反する考え方をする人物をまずは登場させ、その考え方を分析し、吟味したのちにやっと宣長を表舞台に立たせ、相互に見くらべ、前者の限界や過ちを論証したうえで、はじめて宣長の主張に沿った真実を導き出して行くのである。これは、相対立する考えの本質を公平に比較し、その上で結論を導き出すという論述の仕方であるため、分かりやすく、ダイナミックな展開の面白さがあるので、読者を興奮させてしまう方法論と言えるだろう。
 著者自身、このことを『本居宣長補記Ⅰ』の第1章で、対話編『パイドロス』(プラトン著)を引き合いに出し、ソクラテスの弁論術、ないし哲学の方法は問答(ディアレクチック)にあると記し、宣長の基本的な考えに直ちに通ずるものであると指摘している。ここで、この経緯を詳しく述べることはできないが、いわゆる「ディアレクティケー」とは、今日、問答法とか、弁証法と呼ばれているもので、人々の抱いている観念や知識について、互いに比較して相互の矛盾を抉り出したり、共通すると思われるものを括ったりしながら、普遍的でかつ理知的な知を求めようとする思考様式であると定義されている。つまり、物事をそれ自体、単独で観るのではなく、他の物事と比較しながら相対的に検証し、その後に結論を出していくという方法である。例えば身近なところでは、今日問題となっている地方の過疎化や人口減少、あるいは第1次産業の衰退などに関し、まずは都市部へ流出する若者を地方に留めおくことが喫緊の課題だとの考えから、若者を惹きつける大型商業施設や雇用を確保できる魅力ある企業を誘致しようと、数々のメリットを声高に叫ぶ場合が挙げられる。しかし、この施策が実現したとしても、その一方で、地元に根づく伝統的な商店街や地場産業などに与える影響はどうなのか、地元の雇用は安定的に増えると期待できるのか、あるいは景気が悪くなり利益が見込めない事態に立ち至っても、依然としてそうした企業は地元に居続けてくれるのか、といった論議の展開も考えられる。そのうえで、これはいったい活性化策として地方にとって本当に必要なものなのか、と吟味する過程が入り込むことになる。つまり、以上の論議からは、結論(真実)を導き出すには、合わせて3つの視点が存在しているのであり、それぞれを単独ではなく、あくまで関連づけて相互に思考し、判断するあり方が見てとれるのである。
 小林が若い頃から親しんだ唯一の哲学者にベルグソンがいるのは、この評論家に関心のある人であればよく知られたことである。私事であるが、これまでの限られた読書量からも、このフランス人哲学者の著作を読んだものを振り返ると、まさにこのディアレクチックな問答体を駆使して、一つひとつの問題点を相対的に考察し、飽くことなく真理を追究していく姿勢は痛快であったことが思い起こされる。ソクラテス以来、この哲学的問答による認識方法を、自身のものとして文筆に生かしているこの一作家によって、同じくその一読者の私が、今度は自分の実人生におけるところどころで、身の振り方を建て直してもらったのだ、と改めて思えるのと同時に、何故あのときもっとこうした方法で慎重に取り組まなかったのか、と溜息の出てきてしまうできごとも、白露の如く浮かんできて仕方がない。