成田山に参詣        石川 のり子

 今年も新年早々に、一年間の健康と家族の安泰を近所の産土神さまにお祈りした。例年どおり、利根七福神めぐりもする予定でいるが、日ごろ不信心の私がお正月にかぎってお参りするのも心苦しいが、今年は孫の受験があり、御守りをいただいて、送ってあげようと思っている。
 1月5日、お正月にしてはめずらしいほどの暖かな晴天である。お詣りには絶好の日和とあって、姉夫婦と成田山の新勝寺に出かけることになった。
 成田山は我が家から電車で30分ほど、参道をゆっくり歩いても20分あまりと近いので、何度もお参りに行っているが、車では行ったことがなかった。
 このたびは道路にくわしい義兄が一緒なので心強い。それに毎日成田空港に通勤している甥が、「三が日が過ぎたので道路の混雑もピークを過ぎましたよ」と教えてくれていたので、助手席に姉、後部座席には義兄に乗ってもらって、出発した。
 利根川の側道は地元の人しか知らない細い道のせいか、対向車とすれ違うこともなく順調に成田市内に入った。成田市街はさすがに車が多くなり、ことに成田山に向かう道路は狭く渋滞していた。
 道路に面した家々では、どこも庭を開放して駐車場にしていた。どこに入れようかと迷っていると、中年の男性が「歩いても5分ですよ」と呼びかけてくれた。見ると比較的広い庭で、障害物の庭木も何もない。すでに20台ほど駐車してあった。毎年のことなのでできるだけ多くの車が駐車できるように工夫されていて、車のキイを渡して、縦列駐車してもらった。一律1000円。

 駐車場の裏口から細い道に出ると、100段ほどの石段があった。それを上りきると本堂の裏口に出るとのこと、足がもつれそうになったが、脊髄の圧迫骨折を克服した姉が弱音を吐かずに上っているので、歩調を合わせた。
 正月休みが終わってピークは過ぎたといっても、参道には露店が並び、境内は混雑していた。私たちは押されて石段を上り、本堂へ足を踏み入れた。内陣には大勢の老若男女が座っていた。
 ようやく正面に回り、お賽銭をあげて、家族の健康を祈願した。やがて太鼓が鳴り響き盛装をした僧侶が4,5人列になって姿を現した。
 不動明王像の前で護摩(ごま)が焚かれ、僧侶の先導に従って参詣者も真言を唱える。怒り、愚かさ、貪りなどの衆生の煩悩を不動明王の力を宿した炎が焼き尽くし、ご利益を授けて幸福へと導いてくれるのだという。
 成田山の護摩祈祷によるご利益は家内安全、商売繁盛、災難消除、開運成就など20にもおよぶそうである。夫を介護していた10年前は内陣に座して加持祈祷をお願いしたが、このたびは、自分のために「交通安全のお守り」と、受験を控えている孫のために「学業お守り」を求めた。
 時計を見ると11時を回っている。参詣者は続々と増え、どこかしこも人・人・人で身動きができないほどだ。
 寺院の中ではこの成田山が初詣客のトップと新聞で目にしたが、ことに成田空港ができてからは外国からの参拝者も増えて、なんと年間1300万人が訪れるらしい。人気の理由はいろいろあるが、五木寛之氏の古寺巡礼によると、歌舞伎役者の市川團十郎が信仰していることも大きい。初代の團十郎は子宝に恵まれず、成田山に籠って世継誕生を不動明王に祈った。願いが叶って男の子を授かり、信仰はますます深まった。市川家が成田屋の屋号をもつ理由が深い信心によるものと分かった。
 また、出開帳の役割も大きかったそうだ。どういうことかというと、ご本尊を江戸深川に移動させて公開する。わざわざ遠方の成田山に出かけずとも、不動明王のご利益が授けられれば、信仰は広まるのは当然だ。
 平安時代に開かれた成田山新勝寺の境内には、重要文化財の大日如来を祀る光明堂(こうみょうどう)、三重塔、釈迦堂などの堂宇が建っている。混雑している中でゆっくり拝めるような状況ではない。

「春になってゆっくり来ることにしましょう」と、閑散としている成田山公園に出た。少々寒いが、落ち葉が掃き清められ、大木の天に伸ばした細い枝から見える青空が清々しい。すでに梅の蕾が膨らんでいるものの花はまだ見当たらない。花の時季なら藤も桜もあらゆる花木が目を楽しませてくれるのだが、想像するだけである。
 鈴木三重吉の文学碑や松尾芭蕉、高浜虚子の句碑など、じっくり見ていたい石碑がたくさんあるが、寒さには勝てない。
 私たちは広い公園を池の方に向かって下って歩いた。隅に土産物と飲食のできる小さなお店があった。喉も乾いていたので3人でストーブを囲んで甘酒を飲んだ。体が温まって元気が湧いてきた。