懐かしい子ども時代
                      根岸 保

 私が子どものころ昭和10年代だが、四季を通じて里山や川原が遊び場だった。当時は何でも工夫して遊び道具にした。
 たとえば初夏、5月末から6月上旬にかけて麦が刈り取られ、その穂を落とした茎、草の葉で作った草笛、なかなかいい音色がでた。
 そして夏、川原に行き、笹の葉で舟を作って浮かべて仲間と競い、水切りと言って平らな石を水面に投げつけ、三段、四段と遠くへ飛ばす。対岸に届けば鼻高々だった。
 また、山や池を作っての砂遊び、流れを止めて魚やシジミをとり、水浴びなどもしていた。
 そのほか、細竹で水鉄砲を作り、スイカ割り、花火上げ、度胸試し、蛍狩り、カブトムシやセミ取りなど、数え上げればキリがない。
 秋は山遊びに夢中になった。杉山で杉の実を取ってきて、篠(しの)で作った篠鉄砲に実を詰め、撃ち合って遊んだ。栗拾いをして食べ、ドングリやカシの実でコマを自分たちで作った。今は禁止されているが、メジロ、ホオジロなどの小鳥をトリモチで捕ったりもした。
 小鳥を入れるさしこ(鳥かご)は、小刀一丁で竹を割り、ヒゴを作って組み立てていた。友達同士、「細工は流々」などと言い合いながら竹細工をしていたが、この小刀一丁は山遊びには欠かせない道具だった。竹であろうと木であろうと、小刀一丁で遊び道具を作り上げていた。木ゴマや竹トンボ、竹の弓と矢、二股の木の枝に輪ゴムを付けて飛ばすパチンコ、思い出を手繰れば次々浮かんでくる。
 冬は竹馬、タコ作り、ソリやスキーを作って雪遊びに興じた。また空き缶を二個、それぞれの真ん中に穴を開けて紐を通し、足を乗せて歩いたり、走ったりした。
 このように季節に応じた遊び、すべて出来合いの玩具ではなく、小刀一丁で子ども文化を作っていた。
 町内にはガキ大将が一人や二人いて、下級生の面倒見て、ナイフの使い方を教え、山や川での遊び方を教えていた。ガキ大将は良いにつけ悪いにつけ、遊びを通して世の中のルールを教えていた。自分の町内の下級生が他の町内の者にいじめられないように、いつも気配りをして守っていて、いじめ殺人なんてことはなかった。
 今になってみると、ガキ大将の果たした人間教育は素晴らしかった。と同時に、昭和10年代までは酒屋の店員、魚屋・八百屋のおじさんなどが学校外の生活指導の教師だった。いたずらをしていれば、どこでも注意してやめさせ、地域内の子どもに目を向け守っていた。
 今のような住宅街の隣組やPTAの月当番の校外補導などなかった。小学生は行政で下校時間になると「子どもたちが家に着くまで見守りましょう」などと放送をして、見守りを要請しているが、昔はそんなことはなかった。
 町内ぐるみで子どもを見守っていたし、子どもを注意してくれた人に感謝こそすれ、「うちの子にそんなことはしない。しつけはうちでやっている。いらぬおせっかいはしないでくれ」などと、文句を言うような誇り高き親はいなかった。
 また、学校の先生は学校まで歩きか、自転車か、路線バスで通勤していたから、子どもの行動が目に入った。どんな腕白でも、「先生に言いつけるぞ」の一言で、おとなしくなった。
 今は子どもを取り巻く環境が一変した。心ない大人によって、車に乗せられて連れていかれたり、殺されたりと、事件が起きる。
 80年も生きていると、事あるごとに昔の出来事が思い浮かび、追憶にひたっている昨今である。