夏の匂い   
              柏木亜希

「ママ、今日、雨降る?」
「せっかくの七夕だもの、晴れてもらわなくちゃ」
「だめよ、ママ。雨が降らないと、天の川に水が流れないでしょ……」
 昼間、都バスに乗っているとき、私の前の席で交わされた、五歳ぐらいの女の子と母親の会話である。
 もう5年以上も前のことだ。晴れたら大変という不安と、母親と意見が違うために不思議な感情の入りまじった視線で相手を見上げていた少女の横顔は、まだしっかりと私の脳裏にある。

 この記憶は振幅の大きい振り子のように何週間かおきに、私の中で幾度も再現されてきた。自分でもよく分からない。それを思い出すことによって何を得るのかはーー。安心感なのか、精神的な故郷(ふるさと)のようなものなのか……。自分なりに推測すれば、それは己をシンプルな考え方のできる状態に立ちもどらせるための、生理的浄化なのかもしれない。
(そうだよね。水を注がなくちゃ、川は流れない。川は流れない……)
 心の中でことばをかなでることで、私は確かに少しだけ安心しているらしい。それは勤め帰りに、バスから降りて自宅へと歩いているときに無意識にやっていることが多い。
 あの少女がくれた、永遠の夏のイメージは、私には少なからずすがすがしい記憶なのである。

 オフィスの窓を開けて机の前に座っていると、入ってくる風や空気が5月とは違うことに気づく。梅雨に入る前の6月初旬のこの時季、半そでから出している腕の肌が、まもなく訪れる夏の湿気を感じ取っている。それは、暑くなる兆しというより、日本列島の南方の熱気軍団から送られた直積的な、あいさつといえるかもしれない。
 学生時代の夏休みと同じで、「夏」は、始まるが前が楽しい。空気が動いて風が小さく起こると、地球のどこかで熱気軍団が移動して空気を押している証拠なのだ、と想像する。
 私も、居ながらにしてなぜか列車で旅行をしているような気分だ。遠く離れた場所を、私は幻の列車の透明な窓から眺めているのだ。風の中にイマジネーションをまぎれこませながらーー。

 仕事を終えて、妙に疲れているときには、何軒かあるお気に入りの喫茶店の中から選んで、ひとつのお店に入る。その日の喫茶店は、紅茶とケーキのおいしいお店だったが、店内が明るいので、いつも女性たちのおしゃべりで多少うるさい。
 落ち着けないことは承知していたが、ひと休みするためなら上々のお店だ。内装が上品なホテルのようなのもよいのだが、何より、飾られている花が素晴らしいのだ。
 その日の一階のコーナーには、ひとかかえほどもある青ねずみ色の花瓶に、ハーブのようなかわいい緑の藪(やぶ)から10羽以上ものやまぶき色をした小鳥たちが今まさに飛び立とうとしているところだった。しかし、目を凝らしてよく見ると、羽ばたきをしている鳥に見えたのは、極楽鳥花であった。冠羽根を持った鳥の顔のようなものは見たことがあったが、この日のように花自体が小鳥の羽ばたく姿まで開花したものは初めてだった。

 紅茶を飲みながら、こうした花をみていると、潮がみちてくるようにじんわりと、なくしてしまった元気がよみがえってくる。花には恋心を呼びさます力があるというが、恋心というよりは、何か忘れていた思いを新しく現実に同調させ、結びつける助けをしてくれるのかもしれない。
 花のせいかどうかわからないが、先日、友人との間にあったことについて、ひとつの考えが浮かんできた。
 今までの友情は、互いに、どこか甘えて体をあたためあうためのヒナ鳥の防衛本能のようなものであった。しかし、精神的につよくなってくる20代の後半になると、友情のあり方も変わってくるのだ。友情ではなくなることさえある。これからは、友情ごっこではなく、人間としてのプライドや価値観を強く提示していきつつ、融和していかなくてはならない気がしている。
 やまぶき色の極楽鳥花は、今は羽根を休めたように四方八方に向いているけれど、インスピレーションの中ではそのうちの一羽が、私の胸の中の異空へと飛び抜けていった。
      (気まぐれ雑記帳)