黄金のしずく
             山内美恵子

 新しい年が近づくと、おせち料理の折り込み広告が多くなる。わが家は無縁とばかりに、私は決して心を動かされることはなかった。夫が病に倒れるまでは――。

 平成二十六年の師走、都内に住む息子が帰宅したので、家族でレストランに出かけた。席に着くやいなや、小太りの年輩の女性店員が、大きなパンフレットを抱えてやって来た。
「おせち料理の説明をさせていただいて、よろしいでしょうか?」
 女性店員は、イセエビやアワビ等の詰まった、三段重ねのお重の中身を事細かく説明。いかに新鮮で美味しいか、誇らしげに語った。見るからに食欲をそそる、豪華絢爛たるおせち料理である。値段は三万円だという。パンフレットに目を奪われた私は、
「一層の事、来年のお正月はこのお重にしよう」
 と胸が高鳴った。
 料理を作ることはいとわない。だが、日がな一日夫の介護で手足の乾く暇がない。二十年来のウオーキング習慣も断たれ、老化の加速を如実に感じる。年ごとに一人での買い出しも、身にこたえるようになった。私は喜びをほとばしらせながら、
「ねえ、来年のお正月は、このおせちにしようかしら……」
 声高に夫と息子に言った。二人とも無言である。やや間をおいて、息子が口を開く。
「お好きなようにしてください」
 そのことばは、賛成の意思表示とは思えない、素っ気ないものだった。二人の顔からは反対の表情がありありと見てとれた。私はしばらく逡巡ののち、
「やっぱり、作ることにしましょうね」
 二人を安心させるかのように、晴れやかな声で言った。
 塩分制限の病人を抱えていると、塩分や添加物等の心配が尽きない。調理済みの加工品や、練り物、冷凍食品には、老化を促進させるナトリウムや、リン等の添加物が多く、あまり食べさせたくなかった。
 今年は材料調達の予定表を作り、早めに買い出しをすることにした。

 わが家のおせち作りは、先ず「だし汁」を作ることから始まる。昆布や鰹節のだしを取る前に、干し椎茸や貝柱をもどす。それらも、わが家のおせち作りを担う、大切なだし汁の素である。
 大鍋の湯気が立ち上ると、昆布と鰹節を入れて火を止めそのまま冷ます。冷めたら昆布をひく。昆布の種類によっては、水からよりも熱湯からの方がぬめりがでにくい。鰹節は布巾でしぼる。こがね色に染まった澄んだだし汁が、しずくとなって落ちる。
 昆布のグルタミン酸と、鰹節のイノシン酸のうま味が凝縮したこのだし汁を、私は「黄金のしずく」と名付けている。濃くなく薄くなく、飲めるくらいが一番おいしいようだ。
 しかしそれは、いつの時も料理の主役ではなく裏方に過ぎない。普段はあまり意識されることもない。だが、和食はこの裏方こそが、料理をより美味しくする。
 私はこの裏方がないと、おせち作りに力が入らない。お正月の実感もわかない。黄金のしずくは、私にとって祈りのしずくでもあるからだ。「家族が一年間つつがなく暮らせますように」と、祈りを込めてとる。
 丁寧にひいた昆布と鰹節のだし汁は、組み合わせてお雑煮やお煮しめ、郷里の伝統料理、そばつゆ等に用いる。会津の郷土料理には、貝柱と椎茸の戻し汁が欠かせない。雑煮の風味も、煮しめや郷土料理も、このだし汁によって美味しさが決まる。よいだし汁は、素材の持ち味を引き出してくれるからだ。

 毎年一番先に作るおせちは、お吸い物風の郷土料理「こづゆ」である。出来たてを小皿にとって口にふくむ。何十年作り続けても試食は、胸のときめきを覚える。深いふくよかなうま味が舌に広がった。昆布と椎茸貝柱のだしが、それぞれの具材の味をほどよく生かす。後味も軽やかで品のいい味に仕上がる。
 この味こそ、子どもの頃から舌になじんできた、わがふるさとの味だ。久方ぶりに故郷の味に酔いしれる。満ち足りた心に小さな幸せがおしよせた。それはいつも私が、「日本に生まれてよかった!」と思う至福の瞬間でもあった。
 わが家には毎年、北海道産の上等な昆布を贈って下さるお方がある。そのお方は実にお心のゆきとどく、気高い魂の持ち主の才媛であられる。昆布のうま味は、減塩にもなり大層感謝している。夫が嚥下障害の病を得てからは、トロミのある料理や、薬膳風のスープ類を作ることが多く、昆布のだしが欠かせないからである。

 近年日本の和食が、世界各国でもてはやされているという。和食は栄養のバランスがよく、低カロリーで健康にいい。何よりも繊細で優美である。
 そんな和食は、今後ますます国際的になるであろう、と思っていたら、二〇一三年、ユネスコの「世界無形文化遺産」に登録された。和食の基本であるだし汁も、当然文化遺産にふくまれている。と、私はとても晴れがましい気持ちだった。
 しかし、ある料理研究家は、だし不要論を唱え、具材からのだしで十分だという。和食はだし汁を加えた方が、よりうま味も風味も増すのであなどり難い。お吸い物や煮浸し等単純な料理ほど、だしの力は大きい。
 そんなだし汁は、「いつ頃、誰が考えたのか」拙文を認めつつ気になった。調べようとしていた矢先、日本文化論研究者、原田信男氏の「食事の歴史学」が、二月下旬の朝日新聞に掲載された。
 氏は文中で、「室町期には、精進料理からヒントを得て、だし汁の利用が本格化した。出汁に不可欠な北のコンブや、南のカツオも削り節として利用されるようになった」と述べる。
 室町期には、だし汁に不可欠な昆布や鰹節をはじめ、発酵食品の味噌、醤油、日本酒などの調味料まで登場していたことも、私は氏から教わる。
 当時は武士たちが時代をリードし、その努力によって今日の和食の基礎が築かれ、日本的な伝統文化が確立したという。氏からいろいろなことを学んでいるうちに、「文化遺産」に歓喜する、武士たちの声が聞こえてきそうな気がした。

 出来上がったおせち料理は、毎年二つに分ける。お盆も正月も休むことができない息子に、お正月くらいは手作りのおせち料理を食べさせたい、という母心である。
 一九九九年の大みそか、二〇〇〇年問題でコンピューターの誤作動騒ぎがあった。外資系のIT企業で、新技術の開発を手がける息子たちは、泊まり込みで待機していた。
 その日の午後、息子が専用の電話番号を知らせてきた。私は幸いとばかりに、おせち料理が出来上がると、その番号に電話をかけ、取りに来るように言った。
「そういうことにはお答えできません」
 他人行儀で静ひつなことばが返ってきた。間もなく日付が変わろうとしていた。
 息子たちは誤作動に備えて、固唾を飲んで待機していたにちがいない。そんなさ中の私からの電話である。意表をつかれた息子は、周りの皆さんの手前、さぞ返答に窮したことだろう。愚かな親を持つと子どもは大変である。
 心配していた誤作動はなかったのか、息子は深夜おせち料理をとりに来た。毎年料理が出来上がると、その時の光景が思い出され、私の顔が自ずとほころびだす。

 人生の黄昏は静ひつで、黄金のしずくのように、深い味わいのある日々でありたい。と、私は若い頃から憧れを抱いてきた。だが、待っていたのは、予想もしなかった介護人生だった。
 例え叶わぬ夢であろうとも、いつか花咲く日が必ず来よう。その日を信じてやまない。しかし、その頃の私は老耄(もう)し、さまざまな病が重畳して現われ、視力も脳もまどろみ、だしをとることさえできないであろう。
 それでも、私が私であり続けるために、夢の叶う日を心から願い祈るのである。