おもてなしをする犬
                   中井和子 


 他市に住んでいる次男の嫁さんから電話があった。送った品の礼であった。それから取りとめのない世間話に花を咲かせていたが、私は、数年前から、彼らの家族の一員となったボーダーコリー犬のメルモを思い出して、どうしているのかようすを聞いてみた。コリー犬種の特徴である面長な顔をした、黒と白の中型犬である。
 嫁さんは、
「元気です……今日は私の友だちが二人遊びに来てくれたのですけど、メルモは接待でたいへんでした。ご挨拶のつもりなのでしょうか。友だちのそれぞれのひざに手を載せたり、いつもは、見向きもしないおもちゃを隣の部屋から銜(くわ)えてきたり、ボールを転がして遊んでみせたり。友だちに『じょうずねえ』などと、ほめてもらうと、ますますハッスルしちゃって……私が料理を運ぶのに、キッチンと居間を往復していると、いっしょになって、いったりきたりしているんですよ、自分も料理を運んでいるつもりなのでしょうかねえ。先ほど友だちが帰りましたが、メルモは疲れ果てて、今はぐったりして寝ています」
 と、おかしそうに笑ったが、私は驚いた。犬がおもてなしの気持ちを表現できるものなのだろうか。
 数年前、私が「熊野山古道を歩くツアー」に参加したとき、初めて牧羊犬であるボーダーコリーという犬種に出合った。そのときのことを思い出した。
 そのバスツアーの道中でのこと、いまとなっては、地名も、牧場の名も失念してしまったが、その牧場のレストランで昼食を摂ることになった。
 そして、食後の案内があった。
「食事がすみましたら、表にお集まりください。牧羊犬による羊の放牧のようすをご覧いただきます。いままでのベテランの犬が老犬となり、引退いたしました。いまは若い犬で、新米です。羊に馬鹿にされながら、一生けんめい頑張っています。その仕事ぶりを見てやってください」
 昼食後、三十人ほどの客たちは牧場の柵のところへ三々五々集まってきた。私は友人とみんなの後方で、その時を待っていた。すると、一匹の黒い犬が人人の間を縫って私に近づいてきた。そして、いきなり私の体に頭をこすりつけたのである。突然のことであり、私はたいへん驚いたが、犬の親しみを込めたその行為に感動して、
「可愛いいわね!」
 と、私は犬の頭をぐりぐり撫でてやった。
 すると、犬は集まっている人人へ、次々と同じように、親愛の情を示し回ったのである。どうやら、ショウのために集まってくれた客たちへのご挨拶なのだと、私は理解した。
 誰かが、そのような指示を犬に与えているのだろうと、辺りを見渡したが、それらしい人の姿はなかった。
 やがて、犬飼いの若い女性がやってきた。犬は体を弾ませるようにして主人のもとへ走って行った。そして、女性が客たちにあいさつをし、牧羊舎から羊を表に出す犬の仕事を説明した。犬には何か注意を与えているらしいのだったが、犬は、突然、一キロメートルほど先の丘の上にある牧羊舎めがけて脱兎のごとく走り出した。「まだですよ!」と犬を制する女性の叫び声も耳には入らない風であった。
 みんなで丘の上に建っている牧羊舎に視線を注いでいると、羊の群れが舎から出て、こちらへ下りてくるのが見えた。その数二百頭ぐらいだろうか。前方の羊たちはみな揃っていて優等生のようだ。後方からボーダーコリー犬が追っている。しかし、後方の羊の群れはばらついて、その中の十数頭の羊たちは犬を囲むようにして、犬に向かい、かしましく「めえ、めえ」鳴いている。先ほどのガイドの説明もあり、羊が犬に、なにやら文句を言っているように見える。そして、また、その羊たちの口々に言っていることばまでが聞こえるようでおかしかった。
 おばさん羊たちが喚いた。
「何よ、新米のくせに、私たちを勝手に出したり、閉じ込めたり……大きな顔をするんじゃないわよ」
「そうだ、そうだ、生意気だよ」
 おじさん羊たちも囃し立てる。犬は怯んだようすをみせたが、気を取り直したように前方を見据えて羊たちを追った。
 柵の外から拍手が起こった。動物の社会を垣間見たような、楽しいショウであった。出発時間まで、客たちは建物の中で待つことになったが、私と友人は牧場の空気を楽しんでいた。
 すると、先ほどの女性と犬が水道口にやってきた。蛇口から美味しそうに水を飲んだ犬に、私は親しみを込めて、
「ご苦労さまでしたね」
 と、声をかけた。犬は私をちらと一瞥すると、すぐさま踵を返した。女性は慌てて私たちに会釈をすると、犬の後を追った。
 私は肩透かしを喰ったように唖然とした。ショウ前の、あの親しげな態度は営業用であったのか、犬にそのような使い分けができるというのだろうか。

 私が旅行から帰ったある日、次男の家で犬を飼うことにしたと、まっ黒な、熊の子のようなスナップ写真が送られてきた。ボーダーコリー犬だ! 私は仰天して、さっそく嫁さんに電話をしたのだった。嫁さんは笑って言った。
「ペットショップから引き取るときに、この犬には二面性がありますからね、って言われました」
 成犬になったメルモはおとなしい性格で、そして、おもてなしもできる犬に成長した。
 人間ばかりではない、動物にも感情があり、性格もある。
 でも、やはり、自らおもてなしのできる犬には驚かされる。