恩師の遺言 
                黒瀬 長生

 久しぶりに恩師の書籍を味読した。神尾久義著『やさしい文章作法』(日本随筆家協会)である。
 神尾先生は、作家で日本随筆家協会理事、『月刊ずいひつ』編集長であったが、5年前に享年70で逝去された。

 私は、神尾先生を師事し、約10年ほど随筆の書き方について修行を受けた。随筆は日常茶飯事を綴ればいいと理解していたが、日記とは違い歴とした文学である。そこに想像以上の難しさがあった。
 先生は、文才のない弟子を破門にすることなく、気長に親切丁寧に、ときには厳しくご指導くださった。毎月のように作品を書き添削をお願いし、それらを取りまとめて、二冊の随筆集『小さな親切』『恥のかき捨て』を、上梓することができた。
 あらためて先生の、『やさしい文章作法』を読み返してみると、先生の常日頃おっしゃっていたことが、懐かしく蘇った。

 書籍は、物書きの心得として、「文は人なり」で、文章は小手先の単なる遊びではない。自らを高めないといい文章は書けない。心を込めて書いて初めて読者の心を捉えることができる。そのためには、己のいたらなさを知って謙虚な気持ちで心を磨き、温かい眼を養うべきである、と教えている。
 また、文章上達の秘訣は第一に心を磨くことだが、後はテクニックの問題で、その代表的なものを問答形式で順次記述している。
 その1
 文章は表現する手段の一つである。やさしく分かりやすい文章で書く。よりよい表現をして読者を納得させなければならない。楽な道を辿らず、みっちり書き込む必要がある。何を描くか、何を書かないか、その計画を立てて書くべきだ。
 その2
 読者にイメージを的確に伝えるためには描写が必要である。描写力をつけるには表現力を養うしか方法はない。書いて書いて書きまくる。描写は抽象語や観念語に寄り添ってはいけない。物を見る目を養い、いかに深く見るか、どこまで深くえぐるかである。
 その3
「思う」という表現は極力避けよ。「思う」は幼児語で、便利なことばなのでついつい使いたくなり癖になってしまう。断定すべき箇所を「思う」で逃げの姿勢になると自信のない文章になる。「思う」以外の同義語や、それに近いことばに置き換えるべきで、それが不可能なときに止むを得ず使うべきだ。「思う」の誘惑から逃げ出せ。
 その4
「こと」について、この「こと」という表現も便利である。しかし、「こと」は無意味なことばである。「こと」に頼っているうちはコクのある洗練された文章はものにできない。使用頻度を最小限に減らす努力をせよ。
 その5
 擬態語、擬音語、使い古された比喩は用いない。「ふと」「何の気なしに」は使わない。効果のない接続詞は省く。
 その6
 素材やテーマを手中にしたら、なでて透かしていろいろな角度から眺める。すると、それまで見えなかったものが見えてくる。たとえ石や花でも会話を交わせる。
 その7
 作品の出だしは短いセンテンスがいい。さりげなく生き生きとした文章で読者の心を捉えるような配慮が必要だ。また、ラストは最も大事な部分で、作品の良し悪しを決定づける。ラストを生かすには、ラストを先に決めて、そのラストに向かって突き進んでいけばいい。ただ、注意すべきことは書き過ぎないことである。

 これらが『やさしい文章作法』の要旨であるが、先生から何度もご指導を受けた事項を網羅したもので、今となっては先生の遺言となった。
 これらの大切な教えも、いざ原稿用紙に向かうと、ついつい忘れてしまい安易な道を選んでいないか、と反省しきりである。
 今後も、恩師の書籍は、私に物書きのヒントを与えてくれる貴重な虎の巻で、弟子の一人として、ときには合掌しながらひもとくべきである。
        『もう一人の私』より