折 鶴
            中井和子


 この四月に、(平成二十五年)拙著『花と向き合って』を上梓した。
 さっそく、本の文中に登場していただいた方方へお礼の意を込めて本をお贈りした。
 十日もたったある日、一通の封書が届いた。さいたまのS子さんの姓であったが、差出人の名まえが男性なので、私は少しの不安を覚えながら封を切った。手紙は、S子さんのご主人からであった。
 お手紙には本への礼と、奥様のS子さんが癌(がん)に侵(おか)され、昨年十二月に享年六十四で彼岸に旅立たれたことが記されていた。
 私は呆然とした。急に涙がレンズとなって、手紙の字がぼやけて見えなくなっていった。女性の平均寿命が八十歳半ばという現時代に、S子さんのお若い年齢の死がいかにも惜しまれた。私の唇から『美人薄命』の言がこぼれた。色白で気品があって、きりりとした日本美人であった。
 私の本の中では、奥様を『S子さん』とお呼び記していた。ご主人は私の本を読んでくださって作品中の『S子さん』が奥様であることをお知りになられたようだ。そして、次のようなご感想をいただいた。
 『ご本の中に生き生きとした女性に書かれていて、あたかも目の前にいるように感じてしまいました』
 思えば、初めてS子さんにお会いしたのは二〇〇九年七月の、『篤姫の眠る上野のお山を歩く』というウォーキングツアーであった。S子さんはお友だちとみえていたが、一人で参加の私に、なにかとお気遣いの声をかけてくださった。そして、この日のツアーのスナップ写真をお送りすると、S子さんとの一期一会の出会いは、その後、年賀状のご挨拶だけになった。
 二〇一一年三月、東北大震災があり、福島県の災害に遭(あ)った一部の人たちが『さいたまアリーナ』へ避難した。それをニュースでお知りになったS子さんは、さいたまアリーナへ駆けつけて私の安否を尋ねてくださったそうなのである。
 「そういう名の人はここにはいません」と言われて、家の方に電話をくださった。
 電話口に出ると、S子さんは開口いちばん、
「ああ、よかった!」
 と、緊張が一気に解けたようなお声を出された。二年ぶりのS子さんのお声に私の方が驚き、そして、恐縮しきりなのであった。
 それからお見舞いの品も送られてきて、その中には素敵なベルベットの生地も入っていた。その生地について尋ねると、S子さんのお父様は中部地方のF市で織物工場を経営なさっていた事業家で、日本で初めてベルベットの生地を織られた方で、そのお父様の作品とお聞きした。そのような大事な布地を、私が頂いてよいものか戸惑いながらも、結局ありがたく頂戴したのであった。そして、S子さんと電話で長話をしているうちに、S子さんもブティックを二十六年間経営したあと、小料理店を十数年営んだという事業家であることがわかった。
 小料理店を閉めてからは、日本の折り紙にご興味を持ち、その教授の資格を取得された。そして、『折り紙の家』を建設されるという。私は『折り紙の家』のオープンにはぜひ伺いたいと話した。震災以来家の中で鬱鬱としていた身にとっては、S子さんのご活躍ぶりに大いに希望と力をいただいたのであった。
 そして、話の流れから、S子さんの青春時代の楽しいお話や、ご主人との恋愛のことなどを何のてらいもなく語られて、私もお幸せなご様子を好感をもってお聞きしていたのであった……。
 それが、ご主人のお手紙の、『S子が中井さんとお会いしたころ、私たち夫婦のあいだはうまくいっていませんでした』の行に、私は衝撃を受けた。ただ、なにかの話から、 
「いまは、何かあれば、息子が心配して飛んできてくれるからありがたいわ」
 と、S子さんがおっしゃるので、私が、
「でも、ご主人もいらっしゃるでしょう?」
 と、申し上げた。
「今、ちょっと事情があって、家にいないのですよ」
 私は、S子さんの青春時代からのご主人への思いをお聞きしていたので、単純に、仕事のご都合で離れてのご生活なのだろうと、勝手に解釈をしていた。
 そして、翌年の二十四年二月、S子さんは内臓に発見された癌(がん)の摘出手術を受けられた。そのとき、連絡を受けたご主人は、二年ぶりに奥様とお会いになったのだそうである。
 それからのご主人は毎日病院に通い、お世話なさったのだとお察しする。S子さんは一時小康を得られ退院なさったが、半年後に脊髄に転移して再入院された。抗がん剤は断り、痛みの緩和処置のみを続けられたそうである。
 そして、亡くなる一月前、病床のS子さんは、ご主人に向かい、
「おとうさんと結婚してほんとうによかった。ありがとう」
 と、おっしゃったそうである。ご主人はお手紙に、『S子はそう言ってくれました』と、お気持ちを記してくださった。そして、S子さんのおことばから切ないような思いとお人柄が偲(しの)ばれて、私は深く感動したのであった。
 S子さんのご主人のお手紙へのお礼を書き、墓前へのお生花料として心ばかりを送らせていただいたのだが、かえってお気遣いやらお手数をおかけしてしまった。
 また、添えられたお手紙には、
「『折り紙の家』は実現へ向けて計画をされており、折鶴やくす球などの大量の折り紙の作品が残されていました。また、そこでお茶も出せるような道具なども準備保管してありました。大量の折り紙の本などは、協会に寄贈し、また『折り紙の家』に飾るための大量の作品は、少量を残して一つずつ開いて紙に戻し、焼却しました。」とあった。
 そして、お手紙の中には鶴が一つ副(そ)えられていた。それは、グリーンブルーのメタリックな折紙の折鶴であった。光を受けると地模様が虹色に光り輝く。その折鶴はまさに生前のS子さんのイメージそのもので、化身のようでさえあった。私の頬を一筋の温かいものが流れ落ちた。素晴らしい遺品を頂いた。
 お手紙の最後に、ご主人は『私にとってS子は素晴らしい女性でした』と記されている。
 そのご主人もまた、拝見したお手紙から、誠実でお優しい方であることがうかがえた。S子さんが『あなたと結婚してよかった』とおっしゃったとおりのお似合いのご夫妻であったのだ。
 人形ケースの中へ飾った折鶴へ目をやると、きらりと光った。