お隣さん             
               石川 のり子

 二月中旬、千鶴子さんから、思いがけず寒中見舞いのはがきが届いた。昨年、一昨年と、年賀状の返信がなかったので、体調を崩されたのではないかと、案じていた。
 はがきはいつもの達筆ではなく、活字印刷で、「八十八歳を機に丹沢の麓の有料老人ホームに入居しました。静かな環境で、余生を送ります」と、書かれてあった。差出人は千鶴子代理とあり、施設名も住所もなかった。
 かつて教師をしておられた千鶴子さんは、活動的で年齢を感じさせなかったが、下宿屋を閉じたころから、
「私に残された時間はわかりませんけど、そろそろお迎えに来てって、主人に頼んでますの」
 と、心細いことばを口にされるようになった。広い家での一人暮らしは寂しかったのだろう。
 千鶴子さんとは三十年もお隣同士だった。我が家の隣の分譲地を購入されて、思いのほか安い値段で広い土地が買えたと喜んでいた。田舎育ちだから、周りに田んぼや畑がある風景は心を落ち着かせてくれるともおっしゃった。
 千鶴子さんは、住んでいる渋谷区の家が、道路の拡張工事にひっかかり、土地をいろいろ探していたらしい。東京を離れる気持ちはなかったらしいが、総合大学があって学生の人数が多い割には静かで、東京に比べ新鮮な野菜が安いのも気に入ったと、笑いながら話された。
「学生相手の下宿屋をしたいと思ってますの。健康なうちは働けるだけ働くというのが、私の生き方ですのでね」
 私はどういう理由であっても新しい住人は大歓迎だった。我が家は分譲地に家を建てて、地元の冠婚葬祭や行事に参加していたが、分からないことばかりで苦労していた。二軒ならば風当たりも二分の一になる。夫は引っ越してきたばかりのころ、土葬の穴掘りを体験させられた。すぐに火葬になったけれど、私もお棺をリヤカーに乗せて、お墓まで運ぶようすを初めて目にした。
 たしかに大学が駅の南側にあって、上り坂を二キロほど歩くと広いキャンパスがある。我が家から駅までは一キロである。自転車かバイクなら通えない距離ではない。ただ大学の周囲にはアパートがたくさんあって、空き室もあるらしい。親元から離れて心細い学生には、下宿生活は慰めになるだろう。
「地方の親御さんは安心しますね、きっと」
「三月までには完成予定です。工事の車が出入りしてご迷惑をおかけしますが、あしからず、ご勘弁願います」
 千鶴子さんは私の後ろから様子を伺っていた三歳の次女に、「お嬢ちゃん、どうぞ」と、デパートの紙袋から四角の包みを取り出して手渡した。次女は消え入りそうな声で、「ありがとうございます」と、お礼を言った。
「いいお隣さんでほんとに安心です」
 そう言って千鶴子さんは、何度も頭を下げて駅に向かった。
 予定どおり完成したお隣さん宅は、二階六部屋が学生用とのことで、南北に長い家だった。まだ外回りが出来上がらないうちに引っ越してこられて、学生を受け入れる準備を始めた。
「車さえ運転できれば、家の近くにお店がなくても、駅の周辺には何でもありますから」
 私の助言で、ペーパードライバーだった千鶴子さんは、軽自動車を購入して、小柄な体で活動的に動き回っていた。
 滑り出しは順調だった。食事作りの助っ人には、古くからの友人を頼んで、同居してもらっていた。
「お食事ですよ」「お風呂ですよ」
 二階に知らせるよく通る声が、我が家にまで聞こえた。静かな環境が少しばかり活気づいた。

 二十数年経って下宿屋を閉じたのは、下宿希望の学生がいなくなったためだった。我が家の周辺は驚くほど様変わりした。
 農業後継者がいなくなって、田んぼや畑が宅地になった。軒並みに学生専用のワンルームマンションが建ち、そのため学生はアルバイトに精を出し、小奇麗なバス・トイレつきの新築のマンションに住むようになった。
 スーパーには、学生向けの弁当やお惣菜が、見た目にも美味しそうに並べられた。インスタント食品も豊富にある。男女を問わず、食事の心配をせずに一人で暮らせるようになった。
 下宿屋さんを閉じた千鶴子さんは、お世話した学生がときおり訪ねてくれることもあって、うれしそうに話題にした。庭の手入れや大好きな犬の散歩だけのゆったりとした暮らしは、穏やかな気持ちにさせるのだろう。
「余生はね、故郷の名古屋の老人ホームに入るのが夢なんですよ」
 と、目を細めて笑顔でおっしゃっていた。
 我が家で夫の病気などという予期せぬ出来事が生じなければ、もっと隣人でいられたのだが、私が六十歳の定年までもう一息というところで、夫が退職した。転地療養を希望し、心ならずも引っ越すことになったのだ。荷物の整理で、ゆっくりと千鶴子さんと語り合う時間がなかった。立ち話で事情を説明すると、
「あなただけが頼りだったのに……」
 と、今まで見せたことのない悲しそうな表情をされた。私も長年暮らした家から離れたくなかった。しかし、夫の気持ちも尊重したかった。
 私がお別れの挨拶に伺うと、
「息子が定年退職したので、嫁といっしょにここに住んでくれると言いますのよ」
 と、明るい声でおっしゃっていた。

 当地(茨城県)に移り住んで六年になる。
 千鶴子さんがどういう経緯で丹沢の老人ホームに入られたのか分からないが、残された時間を大切に過ごしてほしいと、切に願っている。