茶飯釜のお茶事   
                   石川のり子

 《「茶飯釜(さはんがま)」のお茶事を催します》という先生からの通知に、私は「ぜひ参加させてください」と、即刻申し込んだ。
 茶飯釜とは、主に三月、四月の吊り釜の季節に、懐石料理のご飯を茶席で炊く茶事である。初めて体験できるとあって、期待で胸がふくらんだ。
 私は三十代の初めに茶の湯の勉強を始めたのだが、母と同年代の師には、「ふだんのお茶のお稽古は、お茶事を楽しむためのものですから、目的を達成するために気長にお稽古を積んでくださいね」と、言われた。日々の稽古は覚えることが多く、割り稽古からは全体を見通すことができず、お茶事などには手が届かないと思っていた。
 しかし、初釜で懐石料理とおいしいお茶を頂いているうちに、師の言われた意味が分かるようになってきて、茶懐石の勉強もしたいと思うようになった。その師が亡くなり、職場近くに新たな同年代の師と出会い、時間のやりくりをして、怠りがちながら稽古を続けていた。五十代になって二人の娘が独立し、これからというときに夫が体調を崩した。心ならずも、茶の湯から遠ざかった。
 七年前に夫が天国に召され、心が折れそうになったことが何度かあったが、慰めてくれたのは釜の湯のわく静かな茶室だった。十年のブランクはあったが、茶の湯の稽古を再開することにした。決心すると、親切な知人が墨田区在住の茶の湯の先生を紹介してくださった。お弟子さんが六、七十人もいらっしゃるという初老の男性とのことで、通うのに一時間半ほどかかるが、末席に加えて頂くことにした。
 かつては常に時間に追われ、心をおちつけて稽古に励んだという実感はなかったが、不思議なもので、お茶室に座ると、体が自然に動き、一服の薄茶が点てられた。そして、無心になって点てているとき、常にないほど心が穏やかだった。健康なかぎりお茶の稽古を続けよう。茶の湯の世界は奥が深く、学ぶことが限りなくあるけれど、臆することなくお茶事を楽しむために、老化の進んできている頭を活性させたいと願った。

 茶飯釜のお茶事は十一時からの開始で、その十五分前には先生宅に到着しないといけない。逆算して、八時ごろ着付けを始めた。着物は前日に用意しておいた縫い紋のついたエンジ色の無地に、白地に末広がりが淡いピンクと銀色で描かれている帯を締めた。
 相客の人数は伺っていなかったが、先生宅の待合には、すでに正装した十人ほどがいらっしゃった。遅刻したのではと焦ったが、時計を見ると十時五十分である。足袋を履きかえ、服紗(ふくさ)と懐紙を懐中して、お白湯をいただいた。
 新参者の私は、先輩の方々に「よろしくお願いいたします」と、ていねいにご挨拶をした。
 先生の決めて下さった順番での席入りで、私は中ほどであった。正客は、茶道歴七十年の足腰のしっかりした八十六歳のご婦人である。私は気後れしながらも、扇子を膝前に置き、席中をうかがって、いつものお稽古とはちがう華やかな茶室に驚いた。桜の花をイメージしてピンク色に塗られた旅だんすが目にとび込んできたのだ。旅だんすとは、秀吉の小田原攻めに利休が使ったと伝えられているけんどん箱である。蓋が開けられ、水差が置かれ、茶器が飾ってあるが、三段になっている板にも彩色されている。本来は木地のままだが、汚れて黒ずんできたのでご自分で塗られ、花と枝と葉を描かれたとのことだった。
 その横の炉には天井から吊りさげられた鎖に、大ぶりの釜がかけてあった。
 一礼して席入りし、真っ直ぐ床の前に進み、掛物を拝見、「本来無一物」と書かれてある。床の次に、炉と旅だんすも拝見して壁を背にした席に着いた。出席者は十三名とのことで、紋付の着物に袴姿の亭主(先生)がご挨拶に出られた。
 いよいよ茶飯釜のお茶事が始まった。炉にかけてある釜でご飯を炊くために、まず、炭点前で炉にたっぷり炭がつがれた。再び釜がかけられ、お盆に載せた洗ったお米と水、しゃもじ、箸などが運び込まれた。子どものころに使ったことのある火吹き竹も載っていた。
 裏でされるご飯炊きが目の前で実演されているのだから、十三名の瞳が亭主の手元を注視している。釜がおろされ、その中に入れられた米をお箸でよくかき混ぜて、湯の分量を量る。多いとやわらかいし、少ないと芯のあるご飯になるという。亭主は何度も失敗して、おいしいご飯が炊けるようになったと話された。いつしか、私の脳裏には、実家のかまどでご飯を炊いた記憶がよみがえっていた。
 炊き上がるまでの十五分ほどの間は、収集されたいろんな桜の絵柄のお茶碗三十個ほどが拝見に出された。高名な作家の茶碗もあって隣席同士で話が弾んだ。
 やがてご飯の炊ける匂いが漂い、鎖をあげてご飯を蒸らす。お釜の蓋が開けられると、白く輝くおいしそうなご飯が炊きあがっていた。亭主は馴れた手つきでしゃもじでかき混ぜて、二口ほどの分量を盛ってくださる。その間に、膳が運び出され、その膳にご飯椀がのせられる。火にかけて温められた汁も、椀に注がれ膳にのる。先生は四日目の最終日とあって、運んでくださる半東さん(給仕)との息もぴったりあっている。
 お膳が全員にわたるとお銚子と杯台が運ばれ、お酒が勧められた。私は駅まで車なので、お酒は舐める程度である。それに、女性客のほとんどが、お酒はちょっと頂くだけで、あとはウーロン茶である。
 次いで蓋物のお椀に温かい煮物が運ばれてきた。半東さんに「冷めないうちに、どうぞ」と勧められ、竹輪麩と筍、椎茸などのお汁たっぷりの煮物を頂く。
 人数分のご飯の入った飯次(めしつぎ)も出され、汁の替えも順次していただく。稽古日は違っても同じ師に学ぶ者同士、心がほぐれて会話が弾む。ふだん手抜きの粗食のせいか、奥さまの懐石の料理はとてもおいしい。
 一汁三菜のお茶事の形で、焼き魚はサワラ、酢の物は青菜とワカメにシラスである。八寸には海の物としてカラスミ、山の物にはそら豆が盛られ、亭主はお酒を勧めてくだる。勉強だからと、お酒も交互にやり取りする。
 そして、いよいよ半練の主菓子を頂いて、席を立った。再び改められた席に入り、心をこめて点てられた濃茶と薄茶を頂いた。

 ちょうど三時に茶事はお開きとなった。四時間は経過していたが、期待どおり時間を忘れさせてくれた楽しい茶飯釜のお茶事だった。