桜の季節の憂愁   
                    山内美恵子


 平成二十四年は、遅い春の訪れだった。四月に入り、東京はようやく桜の季節が始まった。
 桜の花によせる日本人の思いは深い。桜の魅力にとりつかれ、「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」と、詠んだ西行の歌はあまりにも有名である。桜は、西行のみならず日本人の憧れの花であり、心の花だからであろう。
 毎年私も、桜の下にたたずみながら、季節の歓びと生きることの幸せを感じた。しかしいまでは、その心持ちは異なってしまった。
 桜の季節を迎えると、胸が塞がり言いがたい憂愁に襲われる。全身の神経をすり減らす、耐え難い恐怖が待っているからである。
 桜を愛(め)でるどころではない私は、桜の花に同化できず、もの悲しく冷え冷えと桜の下に立ちつくす自身の姿を書いた、詩人萩原朔太郎の、「桜」や「憂鬱なる花見」の詩が脳裡に蘇った。
 
 消化器の弱い私は、三年前小さな手術を受けた。それで完治かと思っていたら、毎年様々な検査が待っていた。医師はまだ安心できないとでも思っているのか、検査のたびに私は、大量の放射線を浴び、検査薬の副作用に悩まされた。時には帰宅が困難となり、そのまま入院をする羽目となる。その上、検査後は免疫機能が低下し、いろいろな病魔に襲われた。昨年は帯状疱疹にかかり、即入院を余儀なくされたほどである。
 検査は、手術以上に体に負担がかかり、「桜の季節は毎年、お花見もできず生きた心地がしない」そう周りの人たちに漏らすと、
「そんなにいやなら、止めてしまえばいいのに――」
 ことごとく一様におっしゃる。
 周りのことばに輪をかけるように、「病気を治療するために医師が行う医療は、寿命をのばすどころか縮めるばかりである。検査は極力避けよ」と、提唱する医師も現れた。共感を覚えるも、もしものことを思うと、キャンセルする勇気が起きず、ますます憂鬱を誘う。

    手術日の大き花丸二月尽

 カレンダーに赤い花丸がついたのは、寒さが続く二月下旬だった。二番目の病院では、手術はせずに様子を見るという選択肢があった。私は、一度は決まった手術を取り止めた。あまりの嬉しさに、丸で囲んだ手術日に赤いマジックで花丸をつけた。ところが、次回病院に行くと、それは糠喜びにすぎなかった。
 内科と外科の医師の間で、意見が分かれたからである。外科医は、「手遅れになってからでは遅すぎますから、早めにお取りになった方がよろしいですよ。心配するとまた胃が悪くなりますよ」丁寧なことばで強く手術を促した。しかし、私の心は揺れつづけた……。
 これまで、私はかけがえのない友人たちを、手遅れのガンで喪った。ドイツで新しい技法を勉強してきたという、柔和な外科医のことばが胸に刺さった。家族に説得され、手術を決心したのだった。
 入院までの間、家を留守にするための段取りに追われた。料理をしたことのない夫のために、保存食を作ることにした。

    蕗味噌を夫にたっぷり入院す

 三月に入ると、ス―パ―にはフキノトウが並んだ。萌黄(もえぎ)色のみずみずしさが、郷愁を呼び起こす。温室栽培であったが、三パック求め「蕗味噌」を作った。丁度一年間熟成させた、味噌を開けたばかりであった。自家製の味噌を用いて、「蕗味噌」をたっぷり保存した。
 子どもの頃は、フキノトウのほろ苦さが好きではなかった。家庭に入り自分で作るたびに「こんな絶品はない」と、蕗味噌の醍醐味を満喫した。夫の箸休めやおかずにもなり、一石二鳥であった。これが後に、自分のために役に立つなど、当時は予想もしなかった。

    刻々と手術迫り来余寒なお

 手術の日を迎えたのは、三月も終わりの日だった。まだ春が浅く冷え込みが厳しかった。入院時、庭のサクラソウが、薄紅色と白い花をつけていた。紅白の花束を持参し、枕元のテーブルに飾った。よく眠れず深い呼吸をすると、サクラソウがほのかな香りを放つ。
 俳句の本を読んで気持ちを鎮めた。体にメスが入るのは、四度目であった。生来、私は人並みな体をもらってこなかった。しかし、どんな困難に局面しても恩寵を与えられ、今日まで生かされてきた。私にとって病気や入院は、自分と向き合う濃密な時間であり、生をも充実させてくれる貴重な時間でもあった。
 十七文字の短詩である俳句は、ベッドの中でも詠むことができた。人は病気になると心の目が開くのか、いのちのことばが湧き上がってくるから不思議である。句作は、手術の恐怖や術後の痛みを忘れさせ、精神を安らかにした。
 私が十七音の世界に足を入れたきっかけも、二十一歳の入院中、口をついて出たことばであった。それを新聞や雑誌、大会等に投句すると、面白いように入選した。初学だけに、若さゆえのひたむきさであり、未知なる発見に胸を躍らせていたにすぎなかった。次第に病みつきとなり、気が付いたら半世紀余り経っていた。   
 人生は何に救われるかわからない。苦手な句作は、やがて書くことへと誘い今日がある。しかし怠け者の私は、「二兎を追うものは一兎をも得ず」の諺を、いまなお地で行く人生を歩んでいる。
 退院の前日まで、二十四時間の点滴には閉口する。体の自由がきかないばかりか、食欲もわかない。おかゆのみの食事にも気が滅入った。夫が、「蕗味噌」を持ってきてくれた。おかゆとフキノトウのほろ苦さがよく合い食欲が増す。この時ほどいのちの力と、至福を感じたことはなかった。

    膳に添うひとひらの花明日退院

 入院時、固いつぼみだった桜は咲き満ちていた。退院を許可されたのは、その前日の午後だった。昼食のお膳には、まるで私の退院を祝福するかのように、桜の花が添えられていた。病院のさりげない心遣いに、私は胸を熱くした。
 早速メモ用紙に、感謝のことばと、右記の俳句を添えて、お膳をお返しした。担当医はもちろん、看護師、スタッフ、どの方々もお優しく親切で礼儀正しかった。それは、教育や訓練によるものではなく、院長の品位から各自が学びとったものであるという。おかげで十日間の入院生活は、温かい眼差しに包まれ心地よかった。

 今年の一回目の検査は、桜前線のただ中にあった。早朝に家を出る。埼玉県の病院まで電車で二時間以上を要した。時々本から目を離し、車窓から流れゆく遠くの桜をしばらく眺めた。
 梅のように芳香のある花は、近景ほど趣があった。けれども、香りのない桜は、空に白くかがよう遠景も、風情があり新鮮であった。白い雲のように空中にただよう桜に見入った。
 爛漫(らんまん)と咲き誇る桜の花の明るさは、苦しみや悲しみを背負って生きている人たちにとっては、あまりにもまぶしすぎた。桜への思いが深ければ深いほど、自身のいのちと向き合わされるからである。
 二階の検査室に急ぐと、一階の待合室のざわめきが嘘のように深い静けさが充ちていた。長い椅子には、髪を三つ編みにした血の気のない若い女性や、土色の顔をした働き盛りの精悍(かん)な男性、病院の寝巻に身を包み、苦渋にみちた表情の高齢の女性が、肩で息をするかのように座っていた。
 順番を待ちながら、私の心は切なさで胸がしめつけられた。どの方も目には輝きはなく、春の歓喜を一心に集めた桜からは、遠い存在だったからである。体の奥には、覗いてはいけないものが隠されているような気がし、私は膝に置いた本にそっと目を移した。

    朝桜絵手紙に舞はせ病む友へ

 桜の季節が巡ってくると、桜の花の一ひら一ひらに入院中の友人や知人たちに思いを馳せ、桜の絵をしたためずにはいられない。         
 私の桜など、どれほどの癒しにもならない。けれども、桜を観ることのできない友人たちの思いを、いくらかでも叶えてあげたいとおもうからである。そして、来年こそは、桜の下に立つことができるよう祈るのである。
 私も、満面の笑みをもって、心ゆくまで桜を愛でる日のあることを、祈りにも似た思いで待つのである。
 願わくは、生の終わりはせめて美しい落日にしたいと、私はいま、生きることを心おきなく楽しんでいる。憂愁に閉ざされた扉の向こうには、明るい光があることを信じて――。