三時間のパニック 
                 中井和子


 私は「ブーウ、ブーウ」という、緊急を知らせるような音で目が覚めた。災害などの緊急事態が発生すると、テレビは電源が切れていても、それを報知する音を発するという、それかもしれないと思った。時計は三時を示していた。
 夫も目を覚まして、寝室のテレビの電源を入れた。ウィンブルドンテニス、男子試合の映像がまぶしく目に飛び込んできた。ラケットに当たるボールの快音が夜の静寂に弾み、私のまどろみの夢を破る。
 チャンネルを変えてみたが、どの局の放送も通常と同じだ。そして、夫は、
「テレビを消すよ」
 と、電源を切った。間もなく心地よさそうな夫の寝息が聞こえてきた。
 しかし、報知音はまだ鳴っている。隣室からだ。
 私は隣室をのぞきに行った。テレビが音を出しているのではなく、よこ二・五センチたて四センチの小さなバッチ式の、放射線感知器が緑色と橙色の光を忙しく点滅させながら危険信号音を出していた。
 福島市から六十キロ離れている福島原発で、また爆発事故でも起きたのだろうか? 三・一一の震災から四ヵ月が過ぎたというのに、原発は未(いま)だ収束しておらず、なにが起きても不思議ではない状況なのだ。
 私は、ぼうぜんとして、感知器の二色の点滅を眺めていたが、間もなく、それはバチッという大きな音を立て、息絶えたように黙った。感知器が吹っ切れたのだ。この夜中に国中大騒ぎになるようなことが、また起きたのかもしれない。
 ベッドに戻(もど)ってもなかなか眠れなかった。私の脳裏に、東日本大地震の災害時の避難騒ぎがよみがえった。
 震災の津波で破壊された原発が水素爆発を起こしたとき、原発周辺の町民の方たちはバスで強制避難になった。 急な事態に受け入れ先が定まらず、まるで「流浪の民」のように、一週間に三度も宿を変えながら、バスは県内の市町村を走り回った。私は、そのようすをテレビで見ていて、涙がこぼれたのだった。
 しかし、他人事ではなかったのだ。そのとき、私たち福島市民も一時避難をすべき事態であったからだ。政府は、市民たちのパニックを恐れて放射線量の数値をあえて低く発表したのである。
 核実験をしているアメリカは、常時地球上の放射線量をモニタリングしているという。 事故当時の日本国上空の線量が異常に高く、原発から八十キロ圏内は避難区域にすべきであると、日本に提言した。しかし、日本の政府は、その必要は無いと忠告を無視した。後日、テレビでその事故発生時の放射線の流れのシミュレーションが発表された。そのCG映像には、六十キロ離れている福島市の上空へ、悪魔の舌のように真っ赤な放射線が流れていく様はおどろおどろしいものであった。

 このたびは何が起きているのだろうか? そして、どうなるのだろうか? 眠くとも眠れない頭の中に、不安が渦巻く。
 こんどは福島市も避難という事態になるのだろうか? 家の車のガソリンの残量が半分以下の表示になっていることを思い出した。何キロ走れるだろうか。 遠くまでは行けない。震災時にはガソリンが不足して、給油は三十リットルという制限があった。 そのガソリン入手のために、数百メートルもの列を成していたのを目撃していた。そして道路も混雑する。
 やがて、私は夢から覚めたように我に返った。私はいったいこの場所からどこへ逃げ出そうとしているのだろうか。
 ようやく自分がパニック状態になっていることに気づいた。どうやら、震災の心象が心の傷となっているようだ。
 三・一一から不安の尾を引きずっている状況の街中には流言が飛び交う。「福島市は北海道の夕張市へ、郡山市は大阪へ移住するようになるらしい」と、いうように。
 若いご家庭ではお子たちの健康への心配から転出される方たちも多いようだ。年配の方たちは、何があってもこの土地を離れる気はない、という気持ちが強いので、流言もすぐ立ち消えた。老い先短い私も動じない一人であったはずなのに……。

 ベッドの中で身を硬くして六時になるのを待っていた私は、すぐテレビのスイッチを入れる。
 二ュースは、福島原発は相変わらず冷却作業を続けているという。どうしたのであろう、特別な緊急報道は何もない。 肩透かしに遭(あ)ったような朝のニュースの声のトーンが、いかにも間延びていて、まるで、私は暗く重い異次元の世界の旅から現世へ帰った感覚であった。 
 起きてきた夫に感知器の終えんを話すと、
「それは、電池が切れたんだよ」
 と、つまらなそうに言った。
「あら、電池は取り替えたばかりなのに?」
 私はそう言いながらも、不安に駆られて混乱していた自分がいかにも滑けいで、ひとり苦笑したのだった。
 やはり世の中、何事もなく普通の朝を迎えられる平和がいちばんいい。