散歩の途中で                     石川のり子

 梅雨の中休みの日曜日、空に日差しを遮る雲が一片もなく、気温は上昇して30℃近くになった。家の中にいても暑く、昼食後は冷房をつけて冷たい麦茶を飲みながら、テレビを見ていた。
 モモ(犬)は真っ黒な毛皮を身につけている分、暑さには弱く、涼しいキッチンの勝手口近くの板の間で伏せている。その姿を見ていると、のんびりした気分になって、六時過ぎのチャイムが鳴り出すまで、時間を忘れていた。  
 まだまだ明るいが日課の散歩の時間である。外はだいぶ涼しくなってきている。
「さあ、行こうか?」
 声をかけると、モモは待ってましたとばかりに玄関でお座りをして、リードをつけてくれるのを待っている。
 門を出て扉が閉じるまで従順だが、一歩道路に出ると、どこにそんな元気があるのかと思うほどの力で走り出す。いくら3.5キロのチビでも、私は引きずられてしまう。
「ゆっくり歩いてちょうだい」
 私の言葉が通じたのか、歩調をあわせる。
 散歩コースは決まっていて、300メートルほど離れた利根川の堤防である。まだ夕日は川向こうに沈みきっておらず、私は日焼けをおそれて帽子を目深にかぶる。
 ここでは顔見知りの犬に出合うことが多い。犬によっては興味なさそうに通り過ぎたり、大きな声で吠えたりするが、モモは目的地に向かってひたすら歩く。
 モモの目的地とは、住宅地の西側の芝生である。ここは大きな桜の木が横一列に10本ほどあって日陰で涼しい。ご近所の方がいつも手入れをしてくださるので、芝も短く刈られ、季節の草花がいつも咲いている。今は白いアジサイが特に美しい。
 モモは我が家の狭い芝生より、この気持ちの良い広々とした芝生でのボール遊びが、何より好きなのである。入り口に到着するとお座りをする。私は周囲を見渡して誰もいないのを確認してから、リードを外してやる。そしてゴムのボールを力いっぱい投げる。
 モモは敏捷に飛び上がって口で受け止めて、くわえて走り回る。バウンドしないでキャッチすると、「うまい、うまい!」と拍手をしてほめてやる。全速力で二、三周もすると疲れて腹ばいになる。まだ遊びたいのかボールをくわえているが、リードをつけて帰途につく。

 帰り道は遠回りだが坂道を上る。すると、いつも吠えないモモが甘えたような声をだして、ぐいぐい歩く。日よけ帽子のつばをあげて前方を見ると、男の子がうずくまっている。日頃は子どもの姿をほとんど見かけないので、モモは孫と同じぐらいの男の子に、ためらわず近寄っていく。
 野球のユニフォームを着た坊主頭の少年の肩に前足をかけて丸い尻尾を振っている。少年は顔を伏せたまま、モモの前足を振り払うように身をよじる。靴は履いていない。
「モモ、いけませんよ」
 少年は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をユニフォームの袖で拭いて、ちょっとモモを見たが、また顔をふせた。
 野球の試合でもあったのだろう。腕や首筋など日に焼けて赤くなっている。私もしゃがみ込んで、
「どうしたの?」
 と、尋ねた。すると、すすり泣きが一段と大きくなった。
「試合に負けたの? 悔しかったのね」
 顔を伏せたままうなずいた。
「負けても、今度がんばればいいのよ。さあ靴を履いて…、靴はどこにあるの?」
 少年は小さな声で、
「家です」
 と言う。
「じゃあ、靴を履かないで飛び出したの? パパとママが心配しているから帰りましょうね」
 背中にまわって抱き起そうとしたが、我が家の中学一年の孫より重い。
「大きいのね。中学生?」
 すると、またほんの少し顔を見せて言う。
「小学五年です」
「こんな暑い日に一生懸命がんばったのだから、シャワーを浴びて、さっぱりしたら、またがんばろうと思うわよ」
「パパに叱られたから……ボールの投げ方が悪いって」
「じゃあ、パパはすごく上手なのね」
「そうでもないです……コーチだから」
 幼いなりにも謙遜しているところが可愛い。親が我が子に対して過度の期待をしてしまうことは、子育てをした身としては痛いほど分かる。
「パパも心配しているから帰ろうね。送ってあげるから」
「知らない人と帰ると叱られるから……」
「そうなの。じゃあ、おばちゃんは先に帰るけど、だいじょうぶよね?」
 一人にしておくのは気がかりだったが、機嫌が直ったようなので、モモと家に向かった。
 するとすぐ、自転車に乗った男の子に出会った。
「お兄ちゃんを探しているの?」
 と、声をかけた。大きくうなずいたので、坂を指さして、
「ほら、あそこにいるから、仲良く帰ってね」
 と言った。弟は「はい」と返事をして、兄の所に自転車を走らせた。

 暑い一日だったが、久しぶりに小学生に出会い、エネルギーをいただいた。気のせいかモモも足取りが軽くなって、小走りで家路についた。