一口随想「社会人」「自然人」
                      水品 彦平


「もう十年になるのね」
 カレンダーをめくりながら、妻がふと呟いた。
 当たり前のことだが、わたしにも現役時代があった。それが退職して十年になろうとしている。
 現役当時はそれなりに精を出してがんばってきた。勤務先で、組織の一員としてエネルギーを費やしてきた。社会は組織の集合体でもあるが、その組織の中の歯車の一つで人生の大半を過ごしてきた。
 時には意に添わぬこともあった。反発したりめげたりして、自分を見失うこともあった。しかし、個人の思惑など組織の前では消し飛んでしまう。それがイヤなら辞めるか、組織を飛び出して別の道へ進めばいいものを、さしたる才覚もないわたしは目の前の勤めに精を出すしかなかった。家族のためとかお客さんのためとか、いろいろ言い訳はあっても所詮度胸も覚悟もなかった。
 そして、ようやく四十年の宮仕えから解放されて退職した。それからさらに十年が過ぎる。今では、現役のころのことはまるっきり忘れたかのように日々を過ごしている。すでに「社会人」として卒業ということであろうか。
 朝、目を覚ませば主な日課である家の中の掃除と、時たま生じるちょっとした力仕事や散歩などで、日の出・日の入りの日々の暮らしの中に埋没して生きている。
 この頃は、まるで「自然人」そのものになってきた。天から授かった己の身体の調子や、周囲の木々や草花、遠くの山並み、川の流れなどに目がついてくるようになった。
 命の神秘さ。生きていることの不可思議さ。生きとして生けるものへの限りない関心。わたしは今、自然人としての生き方にしか興味がない。
 寿命はあとどれくらい残されているのか。振り返れば、長年連れ添ってきてくれた妻にも急にいとおしさを覚える。
「お前も白髪が増えたなあ」
 でも、わたしの口からは素直ないたわりの言葉が出てこない。照れ隠しの裏返しの言葉しか口をついて出てこない。
「お父さんだって、ホント真っ白になったね。それも薄くね」
 と、負けないで妻の憎まれ口が返ってくる。まあ、この調子ならまだお互いに呆けるには間があるか。
 日々小さなケンカのような掛け合いでも交わしながら、できるだけ社会人としてよりも、自然人として生きていきたいと思っている。