幸せになってね
             羽田竹美


 東南アジアの貧しい民族の赤ちゃんの写真が載っている封書が届いた。口蓋が裂けていて口と鼻がつながってしまっている男の子であった。この赤ちゃんは生まれたときからこの状態だったのでおっぱいが飲めず、貧しさから病院にも行かれず死を待つだけだった。手を差し伸べた国際医療団によって裂けていたところが縫合されて、ミルクが飲めるようになったという。封筒の中には元気になった赤ちゃんの写真があった。それでもその後、水害に遭って家もすべて流され貧しさに追い討ちをかけたとあった。このような子どもが世界中にたくさんいることを知った。支援を待っているという。
 私が十五歳のとき、股関節を手術するため入院した同じ病棟に、若いお母さんに付き添われた赤ちゃんが入院してきた。赤ちゃんを抱いたお母さんに何の前触れもなく、
「こんにちは!」
 と、挨拶をしてのぞきこんだ私は、一瞬自分の顔がひきつっているのがわかった。口蓋裂で口がどこにあるかわからなかった。
 一緒にいた付添いさんが、
「大変だねぇ、きっと治るからがんばりなさいよ」
 と声をかけると、お母さんは涙ぐんでいた。後で付添いさんが聞いてきた話によると、この子が生まれたときから、お母さんは奇形児を産んだと、たいそう責められているという。ことにご主人の両親や親戚からは離婚を迫られて悲しいおもいをしているそうだった。
「なんてひどい!」
 私は憤りを感じた。お母さんのせいではない。
 ましてや、この障害を持って生まれた赤ちゃんを奇形児なんていうこと自体に腹が立った。「お母さんも赤ちゃんもかわいそう」と思ったが、私にはどうすることもできなかった。
 そのあと、赤ちゃんのお父さんがこの障害をしっかりと受けとめて、必ず治してやろうと言っていると聞いてうれしくなった。
 手術は成功し、赤ちゃんは口蓋が塞がってミルクが飲めるようになった。が、これから大きくなっていくうちに何回か手術をしなければならないそうだ。食べるのには不自由しなくなったが、きちんとしゃべれるようになるには形成しなければならない箇所がたくさんあるという。
 両親の絆が強ければこの赤ちゃんは立派に成長していくだろうと、願いをこめてそう思った。
 それから何か月かして今度は同じ病室に口蓋裂の若い女性が入院してきた。生まれてすぐに治したのだろうが、話す言葉がはっきりしないのでもっとよく話せるように形成するようだった。地方から来た人らしく若い男性が付き添ってきたが、カーテンを閉めてボソボソと話しているうちに女性が泣いている気配がしていた。小柄でまるで少女のような可愛い顔だが、鼻の下に手術の痕がはっきり残っていた。男性が帰ったあと、少しずつ私たちに心を開いてきて楽しいおしゃべりの中に入ってきたのだった。
 彼にプロポーズされているが、彼の両親はおろか兄弟や親戚までが反対しているという。そのころ口蓋裂はミツクチ(兎唇ともいった)といわれて差別されていたのだ。これは遺伝すると信じている人が多かった(今では遺伝説は否定されている)ので猛烈に反対され、もし結婚するのなら親子の縁を切るとまで言われたそうだ。
「私のためにあの人を不幸にしたくないから結婚はできないと何回もことわったのだけれど、どうしてもあきらめないって言われて……」 
 こんなに愛とは強いものなのだと私の胸は熱くなり、感動で大きく波打った。
 お部屋のみんなも私と同じに感動したようでそれからずっと、何かにつけてはやさしく励ましていた。
 手術が終わりしばらくすると、彼が迎えにきて退院していったが、入院したときに見せたおどおどした様子ではなく、しっかりと前をむいて歩いていかれるようであった。私はまだ子どもだったから何も気の利いたことは言えなかったが、後ろ姿に心をこめて「幸せになってね」と願った。
 この随筆を書くにあたって口蓋裂とはどういうものなのか調べてみようと、結婚するときに購入した『医学全書』を紐解いてみた。なんと、驚くことに昭和四十二年発行のこの本には口蓋裂ではなくミツクチ(兎唇)とあった。項目も奇形のところであった。私が十五歳のときが昭和三十二年だからまったく変化がなかったのだ。
 精神病の項目には分裂症が載っており、隔離が必要だとあった。今、この病気は統合失調症と名前が変わっており、薬である程度抑えられるので隔離は必要ない。ハンセン病も少し前までは、らい病といって隔離され不幸なおもいをされた人々がたくさんいたのだ。
 医学は日に日に進歩している。手術でよくなる病気もあるし、薬で抑えられる病もある。病気に対する意識も時代によって大きく変わってきている。
 先進国医療の知識は進んでいるが、発展途上国の人々の意識はまだまだ昔のままで差別が大きく、口蓋裂も蔑まれているのではあるまいか。障害をもって生まれた子が蔑みの中で死に直行しないようにと、祈らずにはいられなかった。
 そんな気持ちだけでは何にもならない。私は師走の町に出て、郵便局に向かった。