しあわせの香り  
                     山内美恵子
 

 平成二十四年の桜の季節、郷里の知人から、『福島県美術展受賞作品集』と、丁重なお手紙をいただいた。
 はやる心でページを繰ると、最高の賞に輝く知人の「書」と「刻字」の作品は、まばゆいばかりに際立っていた。作品に漂う気品と格調が、私の心をゆさぶり感慨を新たにする。
 これまで私は、知人の大作を上野や銀座の美術館で、何度も拝見してきたからである。一段と磨き上げられた作品には、生の実りと輝きを見る思いがした。

 知人とは、古くからの知り合いであった。若い頃、私は県の指導員として知人の町に赴任。当時知人は、町の社会教育を担当され、新卒で仕事の右も左もわからない私を、何かと助けてくださった。
 誠実で温厚なお人柄は、住民の皆様方の信頼も厚く、実に頼り甲斐のある方だった。昭和三十年代は、女性の地位の向上や農村女性の労働軽減等、生活改善の運動が盛んに行われた。私の指導する「生活改善グループ」が、大きな成果を上げたとして県から表彰されたのも、知人の協力の賜物であった。とりわけ知人の真摯さは、今日の活躍を予兆させる、十分なものが感じられた。
 久しぶりに受話器をとり、声を弾ませお礼を申し上げると、
「先生に見ていただきたい一心で、逸(いち)早くお送りさせていただきました」
 変わらぬ謙虚さが返ってきた。先生とお呼びしなければならないのは、私であった。今や知人は、町や県の護寺会や書道協会の会長等、多方面でも重鎮として活躍する才人で、世界の「フクシマ」となった故郷の大震災の復興に、日夜奔走されておられるからである。
 お手紙やことばの端々には、多忙を極めながらも充実した日々が窺われた。人に誇れるものがある人の人生は、やはり輝いていた。

 私は、「書」も「絵」も無知に等しい。だが、それらは私の夢でもあるため、観賞するのは大好きである。友人や知人には、書、絵画、水墨画、刻字、てん刻等に造詣が深く、尊敬してやまない方々が大勢おられる。個展や美術展にもよく招かれることが多い。
 皆様のお作品を拝見するたびに、芸術の奥深さや素晴らしさに胸をふるわせ、「いつか私も――」と夢をふくらませてきた。
 しかし私は、この年までその夢を叶えることなく、馬齢を重ねてきたのだった。怠惰のなにものでもない。とりわけ「書」は、その機会がなくもなかったからである。
 私は小学校の頃から、筆を手にする次兄の姿を側でみてきた。役所から帰ると先ず墨をすり、黙々と筆を動かしていた。当時は、「書塾」はなく独学であった。やがて、自宅で教えていた。もともと次兄の字は、そのままでも、手本のような字を書く人だった。
 子どもだった私は、本を読む以外何の関心もなく、そんな次兄の姿に一瞥(べつ)を投げるのみであった。だが、家中に漂う墨の香りが大好きになり、小さな胸は幸福感に満たされた。
 二十代に入り、私は俳句を詠むようになった。次第に周りの人たちから、短冊や色紙を求められると、ことばをひねり出しては、悪筆を気に病むこともなくしたためた。若気の至りであった。
 その後、せめて仮名だけでも習おうと、「書塾」を探したが、師となる人を探しだせなかった。本を買い込み自習したものの続かず、私の夢は潰(つい)えてしまう。
 そんな私に、『源氏物語』の一節を書いてほしい、と言う友人が現れた。書家でもない私をからかっているのだろう、と首を傾げ意図を資す。だが、何度訊ねても真剣な面持ちであった。
「そんなにおっしゃるのでしたら、一年間待って下さらない。少し勉強してから考えてみますから……」
「それでは意味がないの、習った字は、皆同じで興味がわかないのよ。個性が感じられないでしょう。あなたのそのままの字で書いてほしいの――」
 私は唖然としてことばを失う。もちろん固辞した。それにしても、その時、なぜ勉強しなかったのかと、今にして後悔に苛(さいな)まされている。
 一筆も習ったことのない私だが、葉書も手紙も筆を用いている。特に葉書には、俳句や絵を添えるため、受け取った多くの人は、書の心得があるとでも思い込んでいるようだ。
 長年私は、原稿用紙のます目を埋めてきたせいか、五十代の頃から首や肩、腕の痛みに悩まされてきた。筆圧の強い鉛筆やボールペン、万年筆等を使用すると、頭痛までも頻繁に起きるようになった。
 苦肉の策で、墨の不要な筆ペンを用いることが多いが、早くてくずし字の多い私の筆字は、家族の顰蹙(ひんしゅく)を買っている。だが、背に腹は代えられず、未だに人前に醜態をさらしている。
 そんな私を、再び唖然とさせる友人たちが現れた。
「あなたからいただいたおはがきを、額に入れておきました。しまっておくのがもったいなくて飾って眺めています」
「リビングに貼っていつも見ています。読むたびにとても励まされ、元気が湧いてきます――」
 友人たちが口ぐちにおっしゃる。止めてほしいと懇願しても聞き入れない。才のない私が出来ることは、心を寄せて下さる人たちを慈しみ、思いやりと感謝のことばを、心をこめて伝えたまでのことである。家族の目にさらされているかと思うと、赤面の至りだった。
 私には、これぞ額に入れて永久保存しておきたい、という思いにかられる、素晴らしいお手紙を下さる方がおられるからだ。
 私が尊敬してやまないその方からは、心に染み入る書評や、一文字一文字に心が込められた美しい書状と、自筆の絵はがきが届く。慈しみに満ちたことばの一つひとつが私の胸を打ち、読むたびに熱い涙が止まらないほどである。それはまるで、しあわせの光のように私に大いなる力を与え、心を支えてくれている。
 その方は、中学校の国語の教師をされていた。私の知人の上司の校長が、一目置くほどの高い見識と人格を兼ね備えた、稀有な方である。退職後は、高校の国語の講師や、予備校の論文の講師をされた。ご自身も、短歌を詠まれ文章も書かれる。数々の作品を拝見してきたが、高名な作家にも劣らない眩しい筆力に圧倒されている。私はかってに師と仰ぎ、こよなく尊敬の念を抱いてきた。
 しかし私は、面識はあってもご指導いただいことはない。文章修業を全くしていない私は、このような先生に出合っていたら、もう少しましなことばを紡ぐことができたかもしれない、とお手紙やお作品を拝見するたびに、心をゆらすのである。
 お二人の知人に共通しているのは、こころざしの高さはもちろんのこと、常に学びを欠かさず、日々新しい人生を切り拓いて生きておられることである。そればかりか、一介の主婦に過ぎない私のような者にも、いつの時も謙虚であたたかく、感謝にみちたことばと心を、惜しみなく寄せて下さることである。
 お二人の揺るぎない高い精神と生き方から、私はどれほど心の目を開かされてきたことだろうか。怠惰で涸れた私の心に、いつも水を与えて下さったからである。
 詠む、書くに終わりはない。私もお二人のように、生の終わりまで知的好奇心を失うことなく、新しい自分を見つけていきたい。どうせ生きるなら、自分を成長させる人生でありたいからである。心が涸れ魂にしわがよった人間には、何の魅力も感じられない、と自らの生き方を自戒している。

 五月の風が、みどりをたたえた木々をわたっていた。
 『作品集』をいただいた郷里の知人から、今度は掛軸のご恵贈にあずかった。揮豪の書もことばも美しい、心洗われる見事な品である。
 私のために、わざわざ書いてくださったという。
 眺めていると、優雅なしあわせな香りに包まれた。全身をほのぼのとした心持にいざない、何かしあわせを運んでくるような、深い喜びで満たされる。
 二日後、その予感は的中した。早速福音が舞い込み、私を驚かせた。二十五年前、私の小文を採用下さった出版社から、再度掲載依頼の封書が届いたからだ。それは、今回で三度目であった。
 高邁(まい)な人たちは、周りの人間をも照らし、さらなる喜びとしあわせを運んでくるようだ。何と素晴らしい人たちに、恵まれたことだろうか。幸福感が私の胸を熱くした。
 また一つ、かけがえのない私の宝物が増える。それは、今後の私の人生をより豊かに、さらなる幸運へと導くに違いない。
 さわやかなみどりの風が、高揚した頬を撫でていった。