初秋の武蔵野
             山内美恵子


 夜来の雨が上がった九月中旬の午後、しばらくぶりで木々の葉がそよぎはじめた。私の心が動いた。近くを逍遥するのに絶好の日和だからである。今年の夏は、お彼岸近くまで猛暑が続いたため、日中の散歩を控えてきたからだ。
 夕方、胸の高まりを抑え外に出る。二か月ぶりの散歩であった。雨が涼しさをはこび、心地よい風が頬をかすめていく。先ほどまでの体にまとわりつくような蒸し暑さが、嘘のようであった。風がこんなに心地よいとは――。この夏は風も雨も寄り付かず、すっかり風の恩恵を忘れてしまっていた。
 白い運動靴のひもを締め直し、久しぶりに風を感じながら、隣市(東久留米市)の民家の近くまで歩くことにした。森林に囲まれた民家が点在し、武蔵野の原風景がなごりをとどめているからだ。
 畑の土や木々の葉は、恵みの雨に洗われしっとりとつややかである。昨年まで里芋畑だった空地には、七棟の分譲住宅が建つらしく工事が始まった。近年、民家の所有している畑や雑木林には、建売住宅が立ち並び、民家の鼻先にも、住民たちの反対運動をよそに、霊園ができた。隣市も宅地開発の波が押し寄せ、武蔵野の面影は年々失われていく。それでも隣市はまだみどりが残っているため、四季の自然の躍動感が好きでよくこの地を逍遥する。
 しばらく休んでいる間に、武蔵野も秋の支度に余念がなかった。空き地に植えられた栗は、イガをはち切れんばかりにふくらませ、爆(は)ぜたイガがいくつか大きな口を開けていた。みかんも青い実をたわわにつけ枝をしならせる。道路に面した畑のニラが、雪を被ったように白い花をつけ風にゆれていた。
 道端の茶の垣根に、咲遅れたカラスウリの花が、ひそやかに純白のレースの花を編みはじめる。顔を寄せしばらく眺め、ケイタイで写真を撮った。何度観ても自然の匠の技に心を奪われる。野草の中でもこれほど白眉で、優美な花はあまり多くない。一夜のみの花だけに、この花を知る人が案外少ないのが残念であった。
 梅林の道なりに丈を伸ばしたススキが、小道を塞ぐかのように自己主張しながら、銀色の花穂を寝かせていた。フェンスに立てかけ、もうすぐ「中秋の名月」であることを思い出す。
 下に目を向けると、ミズヒキソウが紅白の小花をつけて待っていた。手を差し伸べ「今年もお会いすることができて嬉しいわ」つい声をかけてしまう。
 風に吹かれながら畑の横の小道を歩いていると、神社の境内に出た。雑木林のなかの神社は、薄暗く人影はない。横を黒目川が流れている。この川には鴨がツガイでよく姿をみせた。時々餌をやると寄ってきた。しかし、しばらくぶりで見る黒目川は、一滴の水もなく川底を剥(む)きだしていた。この夏はいかに雨が少なかったか、まざまざと見せつけられる思いであった。
 暗い神社の参道を抜けると、巨大な欅(けやき)の並木道に出た。風にそよぐ木々の葉に耳を傾ける。 欅の若葉の萌え出る季節も好きだが、夏は涼をとり巨樹にみなぎる気を浴びながらそぞろ歩く。みどりの香気を胸いっぱいに吸い、遠くの樹木に目をあそばせた。
 毎日パソコンや、電子辞書、ケイタイ等のデジタルに囲まれ、本と向き合っていると目の疲労と老化が著しい。そんな目をみどりのなかで休め、木々の香気をたっぷり全身に巡らせ森林浴をした。以前、「森林浴は免疫力を上げる」と何かの本で読んだからだ。それ以来、体調を崩すとこの森にしぜんと足が向く。
 右折すると、うっそうとした木立につつまれ茅葺(かやぶ)きの民家がいまも残っていた。江戸時代から明治期の主屋や離れ、土蔵等が、昨年国の登録有形文化財に指定されたという。主屋は、天保九年(一八三八年)の建築というから、一七四年経っていた。今でも人が暮らしているらしい。だが、門は閉ざされ人影もない。家屋は広大なうっそうとした樹木につつまれ、道路からは主屋の屋根しか見えない。この地にはこのような古民家が十二軒あり、これらの民家を守ろうと、市民団体が動き始めたことを新聞で知る。
 深閑とした木立のなかを窺い、道路沿いの「文化財指定」の立札を読んでいると、バッタの子どもが飛び出してきた。とらえると手のなかで大人しくしていた。野鳥が声高に、森の中から大空へ飛翔していった。耳を澄ますと蝉時雨から虫時雨に代わっていた。
 猛暑が長かったこの夏は、生きものたちも大変だったにちがいない。手の中のバッタに「カマキリに食われないで、大きくなってね」優しく声をかけ元の場所にもどしてやった。
 森林の清澄な空気に包まれていると、身も心も清々しく新しい血液が、さらさらと流れていくような気がした。しばらくぶりで暑さとストレスから開放されたせいか、体にも力がみなぎる。雑駁(ぱく)な日常から離れ、誰にも邪魔されることなく、心をあそばせることのできるこの静謐(ひつ)な時間は、私の心を安らがせ至福の境地へと導いてやまない。
 老境に入った近年は、散歩とウォーキングを別にしている。自然の営みに目がいき、道草ばかり食っている私の散歩は、少しも運動にならないからだ。時間にこだわり忙しげに歩いていると、風の色や雲の動き、自然が発する声も読み取れず感動も発見もない。
 とりわけ短詩の俳句は、季節を詠み今という時間を詠む。心のゆとりがない時は何も見えず何も生まれない。私の散歩は吟行をも兼ねるため、新鮮さを大切にするからである。
「楽しみながら歩けば、風の色が見えてくる」
 そう教えてくれたのは、かつて朝日新聞論説委員で、「天声人語」を執筆された辰濃和男氏であった。 「天声人語」欄でこのことばと出合って以来、散歩に出ると必ず氏のことばが眼裏に浮んだ。
 若い頃、天声人語をノートに貼り勉強した時期があった。氏に手紙で申し上げると、丁重なお返事をいただき感激した。今日では、「天声人語」の書き写し専用ノートができ大変な人気だという。写しながら、熟成した文章から立ち上る香りや息づかいリズム等を学ぶ。
 散歩は、ウォーキングのような一面的視点と違って、上下、左右等の他面的視点と思考が自在である。 ひたすら歩くのみのウォーキングでは、道草もままならず物の奥行や深さを感じることはできない。散歩とウォーキングを別々にしたのは正解であった。
 週に何回か、道草を食いながら心をあそばせていると、行き交う人たちからは、
「お暇でいいですね――」
 一様のご挨拶をいただく。本当は、「一日三十時間ほしい」と熱望してやまない。散歩も何とかやりくりしている。だが、それを説明したところで詮無いことである。私はことばを呑み込み、いつも涼しい顔で「はい」と笑顔をお返ししている。
 散歩は誰が見ても、暇を持て余して遊んでいると思うのは当然であろう。夫さえも「遊び」と言ってはばからない。どれほど肩身の狭い思いをしてきたことか。しかし、この道草は、私の心の糧なる大切な時間でもあった。自然は様々な好奇心を掻き立ててくれる、私の偉大な学校でもあるからだ。その上、四季の季節観は、直観やしなやかな感性を養ってくれるからである。
 そんな折、本を読んでいたら実に興味深い本に出会い心を沸かせた。かつて『英語青年』の編集長で、評論家の外山滋比古氏が「年をとると、人間が劣化する。それを防ぐには、文章を書くのが、いちばんである。そう考えてしきりに原稿用紙をよごすのである。文章は、手先で書くものではない。頭で書くのでもない。 心で書くのであると思うようになってきた。足の散歩は四十年来、つづけているが勤めを辞めてからは手にも散歩をさせてやらなくてはいけないと思うようになる」と、著書の中で述べる。
 手先のみで書いてきた私には耳が痛かったが、氏の「手にも散歩を」ということばにすっかり魅せられた。長年、肩身が狭かった散歩だが、手の散歩のためと思うと胸のつかえがとれ心も軽くなる。これなら家族にも大義名分が立つ。手に散歩をさせるには、書く前の仕込みや準備こそ書く作業以上に大切だからである。心で書くとなるとなおのこと、風の色も雲の動きもつぶさに観察し、全身で物を見て感じなくてはならないからだ。
 おかげで私は今、足取りも軽く身も心もはずませ、心おきなく道草を食っている。

 鳥たちがねぐらに帰るのか、ムクドリの一群が騒々しい声で頭上を通り過ぎる。空を仰ぐと、あかね雲がいちめんに広がり大空を華やがせていた。淡いむらさき色にたなびく雅やかな宇宙のショーを、私は陶然として見入った。
 帰途、虫たちが懸命に音楽を奏で、耳を楽しませてくれた。